2009年10月8日
午前中と午後の一時までは全部勉強の時間にあてて、宿題もルーズリーフもやれることはほとんどやった。午後は何をしたかというと、初め読書をするつもりだったけれど、部屋の雰囲気がそれに合わないから、ちょうど図書館も空いていて入館者も少ないだろうし、そちらに行ってみることにした。
デートの前のように着飾って、何度も自分の姿を鏡で確認。だって図書館ですもの。お洒落していきたくなる場所でしょう? リュックに財布とドイルだけ突っ込み、午後3時頃出発。秋の空は透明なくらい澄み、湖の水面のよう。淡い水色の天空、曇り無い天井の下、木々の葉は所々色づき、枯れた葉が道に散らばる。冷たい空気。温かな陽の光。秋だなあって、実感した。
私が図書館に着くと、入館者は職員しか無く、読みたい文庫本を適当に漁ったあとは、4人がけのテーブルに陣取ってシャーロック・ホームズを読み始めた。短編を二つも読んでしまうと満足して、時間も丁度4時20分頃。ベージュ色のの陽光が外の世界に溢れ、木の実の零れ落ちた坂を照らしているのが窓から見えた。
貸し出しを申し出、本を受け取るときに職員と二言三言言葉を交わし、図書館をあとにしてロビーを出た。C科棟が目についた。白い壁、その上に仰ぐ高い空。その澄んだ青と白の絶妙な混色で塗られた場所に引き寄せられるように、私は斜光の降りる螺旋階段へと向かった。登り詰めたときには背中が微かに汗ばんでおり、息も上がっていた。広い、広い世界を見下ろし、見渡し、見上げる場所。残念ながら太陽は、教室によって遮られていて、西空は拝むことはできなかったが。秋に染み行くこの忌まわしくも…美しい世界を目にすることができた。
一点一点を取り上げ、道ばたに落ちているゴミまで注視してしまうと、この世界は汚らわしく忌まわしく、醜く落ちぶれた哀れなものかもしれない。
けれども、視点を大きく広げ、遠くから眺め、壮大なものとして事象を受け止め瞳に映せば、綺麗で澄んで、美しく故に儚く、愛おしく感じられるものなのだ。世界というのは。
不思議なことだ。世界も人生も、同じである。物も人も、同じである。
階段を下り、ヤオハンに向かい、簡単な買い物をした後、寮へ帰る途中に、鮎壷の滝によってしまった。
夕日は沈んで、空は黄色から橙色に至るグラデーション。その空気が澄んでいることが分かるかのように、清澄な水のような秋の空。スニーカーの表面が汚れないように注意しながら、林の中を歩き、吊り橋に至る。
台風の影響で大量の茶色い水が、勢いよく岩の間から落下してた。巨大な質量、人間が立ち打ちできない圧倒的な自然の事象だった。吊り橋の上から、隣に老人がいる数メートル横で、夕日によって薄紅色に色づいた富士山とちぎれかけて時を止めた雲、その前にどっしりと構えた鮎壷の滝にしばし見入った。
公園の方へ歩いていく。ちらほらと人影が見えるのは、散歩に来た年配の方ばかり。安心して、ゆっくりと草の上を歩く。ふと懐かしいものが胸に広がり、その因果が周囲に漂う仄かな甘い香りだと気づく。肺一杯に吸い込み辺りを見回すと、前方に背の低い2本の木。葉の形とその深い緑色、点々と咲くオレンジ色の花を認め、金木犀を見つけたと心の中で密かに喜んでいた。甘ったるく、懐かしく、花の咲くのより先に匂いの漂うのに気づき、初めてその低木の存在に気がつくのだ。ああ愛おしい、故郷に漂った幼い日の香り。小さな胸に満ち溢れた遠い日々の匂い。目を閉じて、鼻孔を広げて吸い込む。その一瞬、しばしの永遠に浸る。秋の日、黄昏れ、済んだ空、金色の光、金木犀。
忘れはしない。
素敵な一日だった。たまにはこういうお散歩も、いいかもしれない。
午前中と午後の一時までは全部勉強の時間にあてて、宿題もルーズリーフもやれることはほとんどやった。午後は何をしたかというと、初め読書をするつもりだったけれど、部屋の雰囲気がそれに合わないから、ちょうど図書館も空いていて入館者も少ないだろうし、そちらに行ってみることにした。
デートの前のように着飾って、何度も自分の姿を鏡で確認。だって図書館ですもの。お洒落していきたくなる場所でしょう? リュックに財布とドイルだけ突っ込み、午後3時頃出発。秋の空は透明なくらい澄み、湖の水面のよう。淡い水色の天空、曇り無い天井の下、木々の葉は所々色づき、枯れた葉が道に散らばる。冷たい空気。温かな陽の光。秋だなあって、実感した。
私が図書館に着くと、入館者は職員しか無く、読みたい文庫本を適当に漁ったあとは、4人がけのテーブルに陣取ってシャーロック・ホームズを読み始めた。短編を二つも読んでしまうと満足して、時間も丁度4時20分頃。ベージュ色のの陽光が外の世界に溢れ、木の実の零れ落ちた坂を照らしているのが窓から見えた。
貸し出しを申し出、本を受け取るときに職員と二言三言言葉を交わし、図書館をあとにしてロビーを出た。C科棟が目についた。白い壁、その上に仰ぐ高い空。その澄んだ青と白の絶妙な混色で塗られた場所に引き寄せられるように、私は斜光の降りる螺旋階段へと向かった。登り詰めたときには背中が微かに汗ばんでおり、息も上がっていた。広い、広い世界を見下ろし、見渡し、見上げる場所。残念ながら太陽は、教室によって遮られていて、西空は拝むことはできなかったが。秋に染み行くこの忌まわしくも…美しい世界を目にすることができた。
一点一点を取り上げ、道ばたに落ちているゴミまで注視してしまうと、この世界は汚らわしく忌まわしく、醜く落ちぶれた哀れなものかもしれない。
けれども、視点を大きく広げ、遠くから眺め、壮大なものとして事象を受け止め瞳に映せば、綺麗で澄んで、美しく故に儚く、愛おしく感じられるものなのだ。世界というのは。
不思議なことだ。世界も人生も、同じである。物も人も、同じである。
階段を下り、ヤオハンに向かい、簡単な買い物をした後、寮へ帰る途中に、鮎壷の滝によってしまった。
夕日は沈んで、空は黄色から橙色に至るグラデーション。その空気が澄んでいることが分かるかのように、清澄な水のような秋の空。スニーカーの表面が汚れないように注意しながら、林の中を歩き、吊り橋に至る。
台風の影響で大量の茶色い水が、勢いよく岩の間から落下してた。巨大な質量、人間が立ち打ちできない圧倒的な自然の事象だった。吊り橋の上から、隣に老人がいる数メートル横で、夕日によって薄紅色に色づいた富士山とちぎれかけて時を止めた雲、その前にどっしりと構えた鮎壷の滝にしばし見入った。
公園の方へ歩いていく。ちらほらと人影が見えるのは、散歩に来た年配の方ばかり。安心して、ゆっくりと草の上を歩く。ふと懐かしいものが胸に広がり、その因果が周囲に漂う仄かな甘い香りだと気づく。肺一杯に吸い込み辺りを見回すと、前方に背の低い2本の木。葉の形とその深い緑色、点々と咲くオレンジ色の花を認め、金木犀を見つけたと心の中で密かに喜んでいた。甘ったるく、懐かしく、花の咲くのより先に匂いの漂うのに気づき、初めてその低木の存在に気がつくのだ。ああ愛おしい、故郷に漂った幼い日の香り。小さな胸に満ち溢れた遠い日々の匂い。目を閉じて、鼻孔を広げて吸い込む。その一瞬、しばしの永遠に浸る。秋の日、黄昏れ、済んだ空、金色の光、金木犀。
忘れはしない。
素敵な一日だった。たまにはこういうお散歩も、いいかもしれない。