手術直前に出たタロットカード | すえつぐりえ物語

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人と会う時間は、神様からの贈り物。
このブログを読んでくださったご縁に、感謝✨

手術日の朝。

タロットカードを1枚、引いてみました。


出たカードは、私が「自分カード」と勝手に思っている、「女司祭のカード」。

※はじめてタロットを購入し、中身を見た瞬間にそう感じたのです。







手術をしたほうがいい、と主治医に告げられたとき。

私の気持ちを落ち込ませた要因は、
「また肉体的不快さと不自由さを、術後しばらく味わわないといけない。」
という思い。

前回の手術のときは、
麻酔の影響や、あちこち管に繋がれている不自由さなどで、本当にきつくて大変だったので。

ああ…あのときの苦痛、再び!かぁ〜(泣)
と、憂鬱になりました。
(痛みには意外と強いほうなので、痛みへの恐れは、なし。)

もはや、「がん再発」よりも「術後の不自由さ」のほうにフォーカスして落ちこんでいた感じ。

ちなみに、がんがある場所が頸動脈の近くだったことも、多少は不安要素であったものの。

頸動脈がやぶれたときは仕方ない。
そのときはそのときだ。
どうせ人間、いつか必ず死ぬんだしね。

……と、そこは覚悟していました。

死に関しては、3年前から強く意識して生きてきたので、
自分の人生にはすでに満足しているのです。
1日1日を慈しみながら、ありがたく生きていると、自然と心が満たされたのです。


それよりも、身体の不快さを感じ続けながら生きていくことに対する恐れ。
のほうが、私には強かったかと。

そもそも「私という人間」は、
身体的快・不快へのこだわり、悪く言うと執着心がやけに強いところがあります。

例えば、
お風呂に2日以上入れないとか、
肌に触れる感触に不快さが伴うとか、
暑さ寒さに長時間耐えないといけないとか、
騒音がする場所・嫌なニオイがする場所に居続けるとか、
不衛生な環境に置かれるとか。

あ、もちろん誰だって嫌ですよね!😅
でも人によっては、程度の差はあるかと。

私の場合は、やけに恐れるところがあるんです。
変に潔癖というのかな?🤔


あら、話がくどくなってすみません(笑)

で、そんな私に、手術直前に出たのが、女司祭のカード。

自分の身体感覚への執着心に対して、ひそかにうんざりしていた私だったけれど。

このカードは私に、
「それがあなたの魂が望んでいることなんだから、仕方ない。」
と、クールに告げてきました。


女司祭:「それを受け入れた上で、魂の望みに反する体験を、これからするかもしれないけれど……」

わたし:「は、はい……。」

女司祭:「その体験を通して初めてわかることが、あるはず。大切なことは、そういう体験からしか見えてこない。」

わたし:「なら私は、無駄に不快さを味わうわけじゃ、なかとね?」
※なぜか急に久留米弁(笑)

女司祭「魂が望まないことを体験することで、魂が望む方向へ向かう力が、みなぎってくる。」
※女司祭は、あくまでクール(笑)


こんな会話が手術直前にかわされ、
(痛い人だと思わないでいただきたい 笑)

私は、「自分の恐れ」も「そんな恐れを抱いている自分へのもどかしさ」も、
なんだか素直に受け入れて、
いい意味で諦めの境地になって、

「私は私だ。不快な身体で過ごしても、私は私。私の本質は何も変わらない。」
と、不思議な安定感に包まれつつ、手術室へテクテク歩いて行きました。



うーーん。。
ひとりよがりの文章になってしまった感も、なきにしもあらず(笑)

でも後々このブログを読み返してみたいので、ここに記録として残しておきます。



本当に大事なものは、隠されている。