若かりし頃、ダンサーという夢に向かって、

毎日朝から晩までバイトとレッスンに

明け暮れていた時期が,,数年あります。

2つ前の日記に出てきた先生のスタジオから離れる決断をし、

厳しくも、沢山のダンサーを育てていらっしゃる先生の所へ、

恐れ多くも、ダンスを再度基礎から教えていただくつもりで、

紹介という形で通い始めました。


若さとエネルギーしかない、怖いもの知らずだった私は、

ダンスの技術が全く伴わないのに、上級クラスなどに積極的に行っていた。

上級クラスともなると、スタジオの中は、ミュージカル界のスターさんや、
宝塚の女優さん、プロのダンサーや現役インストラクターなどが沢山いらして、
当時の私は明らかに場違いで浮きまくりでした。


なんとか踊りで仕事をしたい!!との熱い思いが優先して、
空気は読めていても、空気は読まない。


図太く生きていた。

3歳や4歳の頃から、バレエやダンスをやってきているような方々を相手に、

オーディションで勝ち抜かなければならないのですから、

そりゃ出だしの遅い、若干手遅れな私は必死ですよあせる


今考えても、チャレンジャーですね、私にひひ


もちろん最初は全く先生に相手にされない日々が続きました。

踊りが難し過ぎて、手も足も出ない日もあるし、

先生に教えていただけるなんてレベルでは到底なかった。


いないものとされる日もあるダウン


「FUちゃん、いいよ、すごいよ、上手だよ」

とチヤホヤしてくれた、以前のゆるいスタジオとは、扱いが全く違うのです。



M気質な私には、厳しくされ、ののしられるくらいのがありがたかった。


上手な人を見て、刺激をされつつ荒波にもまれてる方が、

やる気も出て来ました。

ため息も多かったけどあせる




諦めず、根気よく上級クラスに通う中で、踊る事の楽しさ、身体の使い方が

理解出来るようになり、少しずつ先生が私にも注意をしてくれるようになったアップ

でも決して誉められたりはしませんよ。

お前は下手だとか、ヒドい踊りだとか、手遅れだとか、ののしられても、

無視されるよりずっと嬉しかったし、心からありがたいと思ってました。


先生を100%信じていたし、尊敬してましたから。



先生はあまり人を誉めない。

だけど、厳しさの中にも愛がある方です。



そして、数年後に、おかげさまで、踊りでお仕事がもらえるようになった。

そのスタジオで必死に過ごした数年間、私の青春だと言っても過言ではない。


そんなスタジオにも、
長男を妊娠してから、行くことがなくなってしまった。

母になると言うことは、今までと同じではいられない。
当たり前の事だし、自然の流れでしょう。

踊るという事が、私のライフスタイルの中からなくなったのです。


で、すっかりダンスとは離れた生活が普通になり、TVで踊っている人が

スゴイなぁって思えたり、別世界のようにも思えた。


でも、下の子が幼稚園に通うようになったので、
ふと、6年振りに、ジャズダンスのレッスンを受けに、中目黒へ向かいました。

ワクワクとドキドキ、色んな気持ちを抱え駅を降りたら、

中目黒の街が、すんごい変わってる…。

何だか急に不安になりつつトボトボ歩く。
スタジオまでの道も、区画整理がされており、長年通った頃とは違っていた。


でも、いざ、スタジオに到着すると、ピアノのレッスン曲が扉の外まで聞こえてきて、

あぁ、変わらないなぁと、懐かしくホっとしたのです。

扉を開けると、70歳を超えているとは思えないほど、シャンとした先生が、

にこやかに迎えて下さいました。

またこうして、先生のレッスンを受ける日が来るとは……

大げさだけど夢のようです。

懐かしいメンバーにも会えて、何だか嬉しくて、泣きそうになりました。

「お帰り」って受け入れてもらえたような、気持ち。

通い始めた頃、居場所がないなって思っていたスタジオだけど、
今ではここには居場所がちゃんとある…って
そんな風に思えた。

昔みたいな馬鹿みたいに毎日通う事は、育児中の身でもあるし、

経済的にも厳しいから無理だけど、
時々帰りたくなる私の大切な場所であります。