何か用すか?カーテン開け遊びが流行のミオちん。
アロマ&カウンセリング 心とからだのセルフ・ケアをあなたに、アロマシオンの島田さつきです。
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webをうろうろしてたら北海道の植松電機の植松努(社長)のブログにたどり着きました。
新聞読まないし社会面を積極的に取りに行かないので、この方を知ったのは何年か前のTED。
下町ロケットさながらの会社で、ホリエモンのロケット事業にも関わったとこらしい。
植松氏は、社長業の傍ら講演も行い、特に子どもの教育に関して力を入れている。
植松氏のブログはこちら 「力をあわせることの危険性。」
さて、何度となく「教育」についてこのブログでも取り上げています。
上のブログでも共感したことがあったので、紹介したいと思います。
植松氏のこのブログでは、力を合わせること=画一的な人間を造ること
つまり教育現場で成されていることへの懸念を描いています。
その力の合わせ方とは、必ずしも、全員が同じ事をする、ではないです。
日本人は、ともすると、「全員が同じ事をする」を美徳とします。
(略)
誰かが考えた問題解決の方法を、全員一致でやってしまったら、
それは、なんだか一致団結の高揚感はあるでしょうが、
でもそれでは、実は、永久に進化できないです。
多くの発明や発見の根底には、自由な発想があり「右向け右」の価値観では生まれない。
世界から評価されている日本のことは、実はチームプレイではなくスタンドプレイのものがほとんどです。
例えばノーベル賞などをみればそれがよくわかります。
全員一致の行動の強制、そして、連帯責任。
(略)
なぜ、みんな同じペースでいけると思うのか?なぜこんなことするのか?
戦後、あれほど軍国主義に反対していた学校が、なぜこうも軍隊的な教育を行うのか?
いっとくけどね、軍隊も、企業も、ある目的を達成するために、
必要とされる条件をクリアすることを人材に要求します。
これは、当然のことです。
でもね、教育でそれやったらダメです。
未だに自分の頭で考えるための教育が成されないことへの警告ですよね。
言われた通りにコマとして動けば良い。昔ほどじゃないけど、と思われる方も多いかもしれません。
けれども、その本質はちっとも変ってはいないと、私は思うのです。
最悪の答えは「そんなこと考えている時間なんてないんだ! そうやれって言われてるんだから、余計なこと考えないで、言われたことを言われたとおりにやればいいんだ!」です。
すげー楽ちんな答えですが、これを言ったら、
生徒からバカだと思われて、思いっきりなめられます。
注意してください。
植松氏と同世代だからかな…
私らが子ども時代は、こんなことの繰り返しでしたし、親世代のほとんどが、
「(親の)言う通りにしていればいいんだ!」って常套句だったと思います。
子ども達の疑問に、真剣に考える努力をすべきです。
「なぜ宿題をやらないといけないの?」=「お前のためなんだから、やりなさい」
「なぜ学校にいかないといけないの?」=「義務教育だからだ」
「なぜわかってることをなんども教えるの?」=「遅い子を待っていなさい」
では、子どもは納得しないね。
子どもの口を封じるための受け答えをするのが常だったような気がします。
大人の都合による勝手な決めつけや、価値観の押し付けを子供たちは判別できているのですね。
私が子どもの時、すでにそう思っていましたから、どんな子でもその可能性を持っています。
そして、これ!、次の文がスゴいね。
生物は、オスとメスとで交配して子どもを作ります。それは「ちがう」を目指すからです。
自分と同じものを作ってしまったら、一つの病気で全滅します。
だからこそ、大好きな自分の遺伝子を半分捨てて、訳のわからん他人の遺伝子を半分入れて、自分たちとちがうものを生み出すのです。それは、生き延びるために必要なことです。
しかし、日本では、「同じ」が要求され、「違う」はおかしい、と言われます。
そんな社会は、一つの価値感の変化で、滅びかねません。
単細胞でなく多細胞の増え方を選択した時から、私たちは「ちがう」をミックスすることで、
生き延びる戦略をとったのです。
同じが要求され、違うを排除するのは、実は生き物のサガでもあります。
これは別の機会にね
しかし、同じを要求、違うを排除は、集落でまとまって生きる社会性ではないかとつい最近まで思ってました。それも一理あるとは思いますが、この価値観は近年のものではないか?と疑問を持ち始めました。
というのも、江戸時代の教育や社会は、現代と比べてもっとおおらかで人間性の富んだものだったと言う人が出てきたからです。(歴史を説く人たちのこと)
子どもを、素直でまじめで勤勉なだけの奴隷の一員にしないでください。
日本の学習指導要領が目指す日本人は、おそらく、昭和の日本人です。時代遅れです。
お願いだから、未来を生きる子ども達のために、
いまの世界がどうかわっているのか?今の企業はどんな人をもとめているのか?
それを真剣に学んで欲しいです。
ゆとり教育というのがありました。
実は、ゆとり世代は色々言われることが多いのですが、この方法が正しく運用されていたなら、
もっと効果が高かったろうという議論があります。
抑圧の少なかった分、捻じれたりひねくれたりする子は少ないという印象を持つ人はけっこう多いのです。
今、道徳教育なんてものが復活して、国が戦争を前提としているような嫌な空気感を持つ人が多いです。
戦争を知っている世代の人たちが、そう感じているのです。
それは、国にとって都合の良い、統治しやすい人間を造ろうとする流れを恐れているのです。
素直でまじめで勤勉なだけの奴隷の一員
型にはめた人材を造ることは教育ではありません。
そこに準じていないからといって、ダメ人間でもないのです。
体罰が良いとか悪いとか、躾だとか、その時代時代で価値観の変容が確かにあります。
今だったら信じられないことが昔はたくさん行われてきました。
そのことを「私たちは、それを乗り越えてきた。」と片づけるのもちょっと違います。
こうなることが「善いこと」というルールに沿ってヒトを測っている限り、
都合の良い人間を造ろうとすることから、離れることはできないのだと、思います。
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