前回のつづきです。
人は、人によって癒される
今回もそのことを痛感するひと月でした。
昨年から窮地に立つ場面が多々ありました。
信じていたものが脆くも崩れ、新たに出会った師に先立たれ、
古くからの師は病に倒れ、心の支えとなる頼れる人を失いました。
自営で活動するのは孤独です。
独りは好きですが、孤独を愛するわけではありません。
友人には恵まれていますが、遠くてすぐに会えるわけではありません。
一人で抱え、他人に頼ることができない性分です。
誰にも相談できず、一人で旗振りしなければならないプレッシャーに押しつぶされていました。
哀しい出来事がありすぎて、自分でも消化できていなかったのでしょう。
本当は、弱り果てていたのだと思います。
私には「限界を超えても頑張る」というキーワードがよく当てはまります。
バッチフラワーレメディでいうと「オーク」です。
ある点に於いて、自分に課して厳格になりすぎるのです。
このひと月の現場で「がんばる」とか「働き者」とか、
「ムリしないでね」という言葉を同僚の方たちから何度も投げかけられました。
その時、私はこう答えていました。
「(その作業は)けっこう好きなんで大丈夫です」
「他の(作業)は、役に立たないけど、これなら役に立ちますから」
この背景にあるのは、
自分が(社会に於いて)役に立つか立たないかで自分の価値を決めている。
ということです。
このように答えている時は、その自覚がありません。
仕事には、適材適所があるし、得意なものをした方が効率が良い。
と、全体性にのみ注目しているからです。
私自身、人を動かす立場が長かったこともあり、効率重視は当たり前だと信じて疑っていません。だからこそ、このような答えに行きつくわけですが…
深層心理では「役に立たない自分であってはならない」という恐れを抱いているわけです。
役に立たないと自己肯定できないという無意識の価値観に突き動かされているということです。
もっというと「役立たずは要らない」というような概念に縛られているのかもしれません。
実際にその作業は好きでしたし、どんどんと加速度的に処理していくそれは、
タイムトライアルのゲームのようでした。
だから限界を超えてランナーズハイになるような様でもあり楽しかったのです。
なぜ楽しいかって…役に立って自己肯定できるからですよね。
年には勝てないもどかしさ、こんなはずじゃなかったという苛立ち。
そんなことも相まって自己肯定できなかったのが、作業を変えてもらったら肯定できたわけですから。
でも、本当は痛々しかったのかもしれません。他人は良く見ていますからね。
そして、今回の現場で何よりも救われたのが、人の温かさです。
利害関係のない現場、大人の対応、優しい気遣いに何度癒されたことか。
会社員時代でもそういうことがありました。
当時は、色々と辛いこともあったけれど、一つの船に乗って、
次々と仕事を片付けるため、同じ方向にオールを漕いでいました。
ここ数年では、そんなことを感じませんでした。
いえ、感じ取れないほど、自分に余裕がなかったのでしょう。
自分が自分でないような、そんな時が本当に多かったように思います。
今年最後にこの現場に行けて良かった。
今は、そのことに感謝しています。