運命の出会い 58 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

『ラストバリア』や『星の巡礼』の小説を読み、、、

 

マスターとは?

 

・・・という疑問が浮かんだ頃、フォーラムに

「私はマスターです」という人が現れて。。。

 

・・・ということが以前あったけれども。。。

 

 

あれ以来ずっと、私の中では、、、

 

「一体、何をもってマスターと呼ぶのか?」

 

・・・みたいなことが、考えるテーマのひとつに

なっていたりした。。。

 

 

なので当時は、ブログでもよく、

そういうことを書いていたようだ。。。

 

 

********

 

 

本当の優しさとは?

 

 

例のケン・ウィルバーの本を読んでいたら

またこんな事が書かれていました。  

 

(これはコーエンさんの言葉からの引用みたいですが。。)    

 

 

精神的な「師」を選ぶ時は慎重に選ぶように。

 

ナイス・ガイ的な優しい師匠もいれば、  

荒くれ者の師匠もいる。

 

 

ストレスを軽くしてエゴを慰めてくれる優しい師匠ならば  

素敵な道を歩む事ができるが、荒くれ者の師匠の場合、

居心地が悪いどころではない、  

 

魂が消えるほど怯える。。。と。    

 

 

でも、覚醒へ早く辿りつきたいのであれば、

荒くれ者師匠を選ぶ方がいいらしいです。。    

 

 

以前、ウイングメーカーのフォーラムで

ちょっとした出来事がありました。  

 

 

そこに「私はマスター」と名乗る方が現れて、

いろいろな知識を教えて下さったのですが、

ひとりのお仲間の方に対し、

とても厳しいことをおっしゃられたのです。  

 

 

私は以前からずっと疑問に思っていた事があって、

それは、私が読んだ本(多分実話に基づいたお話)の中に

出てくる師匠さんはみな、弟子が間違った事をすると

ものすごい勢いでこれでもか!というほど、

怒る事に対してでした。  

 

それこそもう、弟子が立ち直れなくなってしまうのではないかと

思ってしまうくらい激しく弟子を罵倒します。。  

 

私は、弟子に試練を与えて覚醒を早めようとする

気持ちも解からなくはないのですが、ではそれで

落ちこぼれてしまった人はどうするのだろう。。  

 

それで、はい、あなたはダメですね。。

と切ってしまっていいのだろうか。。

いつも疑問に思っていました。    

 

 

なので、そこでマスターと名乗る方が

厳しい態度をとられた時、実際に私の目の前でそういう事が

起こっているような気がして、私は思わずその方に  

抗議してしまったのです。。  

 

実を言いますと、その方が、なんらかの意図を持って、

わざと「私はマスターです」 とおっしゃっているのならいいのですが、

そうでなかったらそれこそ、その方の今後の成長が。。。

なんて余計なことを思ってしまったのと、  

 

あとは、私自身がとても打たれ弱いので、

もしそんな公の場所であんな厳しい事を言われたのが

自分であったら、しばらくは実生活でも立ち直れないくらい傷つく。。  

 

それにもしかしたら言われるべきは自分だったのかもしれない。。

なんて思ったらついつい。。

 

(実際に言われた方は、私の心配などおよびでないくらい  

懐の深い方だったのですけれど^^;)    

 

 

自分が混乱したくない、自分が傷つきたくない。。  

そういう自分のその思いを他の人にまで転写してしまい、

もしかしたらその人にとってはとても貴重なもの

だったのかもしれないものを、私のそういったエゴで

潰してしまったのではないか。。  

 

なんて今頃になって思うのです。  

 

 

私は、誰も傷ついてほしくないし、みんなが心安らかでいてほしい。。  

変容するのならば、出来るだけ多くの人と一緒に。。と思いつつ、  

そう思うのは結局は自分のためなのかもしれないな。。

なんて。。思いました。    

 

 

感謝が出来ない。。と言って嘆き、自分を責める人を見ると、

私は「その感謝が出来ない状態からしか

学べない何かがあるはずなのだから。。」と思ってしまいます。  

 

でも、もしかすると「感謝をしなさい!感謝が出来ないなんて愚か者だ!」  

と言った方が、実はその人のためになるのかなぁ。。なんて、  

今更ながらいろいろ考えています。    

 

 

これもケン・ウィルバーの本に書かれていたのですが、

ある程度まで達したマスターも、個としての香りは残すそうです。。  

 

私がもしいつか変容できたら一体どんな香りを残すのか。。  

 

そしてその香りがまわりの人にどんな影響を与えてしまうのか。。。  

 

なんていろいろ考えてしまいました。。

 

 

********

 

 

マスターについて

 

 

 マスターとは何か。  

 

・・・という事もとても定義しづらいですね。  

 

 

本当に究極的な事を言ってしまえば、

人間である以上はどんなに知り尽くしても、

マスターとは言えないですしね。。  

 

 

「今」の私がマスターだと思うのは。。

私の個人的な意見ですが。。。  

 

 

本物のマスターはきっと普通の人です。  

 

 

全てを極めてそれを自分のものにしている人は、

「生きること」そのものをきっと大切にするので、

弟子もとらずに地味~に暮らしているような気がします。  

 

でもそんな人に関わった人達はきっと、

ただ一緒にいるだけで覚醒してしまうかもしれなくて、

なので本人も周りの人も知らず知らずのうちに  

師匠と弟子の関係を築いていることはあるかもしれません。    

 

 

荒くれ者師匠についたほうが覚醒は早いそうですが、

そんなにボロボロになってまで得なくては

ならないものって何?なんて私は思ってしまいます。  

 

ただ「在る」という感覚に戻るだけなのにって。。。  

 

 

それならば今を大事に生きつつ、

楽しみながらゆっくりと進めばいい。  

 

もし悟りを得られなかったとしても、

今ここにいるという事、

それ以上に素晴らしい事ってあるの?と。。  

 

 

スピリチュアルな体験を求めるのに

苦しむ必要はないし、楽しめばいいのです。    

 

でもこれはあくまでも、私の個人的な思いです。。    

 

 

どういう道を選ぶかは、その人がどう在りたいのか。。によって  

人それぞれなのだろうなぁ。。なんて思います。    

 

 

心から大事な人が石につまづいて倒れた時、

あなたならどうしますか?  

 

走りよって抱き起こしますか?  

 

いつも石に注意していれば、

そこに石があることに気付いてころばなくなるよ。。  

と教えますか?  

 

そんな石につまづくなんて!と叱りますか?  

 

それともその人が自分で立ち上がるまで

黙って見ていますか?

 

 

********

 

 

親心

 

 

 今日、ハッ!としたことがありました。  

 

先日からしつこく「荒くれ者マスター」について

書いていましたが、私のモヤモヤの原因のひとつは、

マスターが魂が消えてしまいそうになるほど、弟子を

怯えさせるというその「やり方」についてだったのですが。。。    

 

 

娘と一緒に電車に乗る時でした。

 

扉が開いて中の人が全員降りるまでは、

邪魔にならないように脇によけていなさいね。。

といつもいつも言っているのですが、

 

うちの娘はちょっとボーッとしたところがあって、  

よく真ん中に立って降りる人の邪魔になってしまうことがあります。  

 

今日も何度も注意したにもかかわらず、

次の乗換でまた同じ事を繰り返しているので、

私もプチッ!!(苦笑)  

 

 

「いいかげんにしなさい!!他の人の迷惑に

なるって言ってるのがどうしてわからないの!!

本当にもうあなたって子はいつも

ボーッとしてるんだから!!」    

 

 

人を傷つけたくないと思っていたはずなのに。。  

私も思いっきりやってるなぁ。。なんて思ってしまいました。    

 

しかも最愛の娘に対して。。    

 

 

私の怒りように(苦笑)怯えた娘はそれ以来、

きっちり脇によけるようになりました。  

 

 

その時、なるほどぉ。。と思ってしまったのです。  

荒くれ者マスターの気持ちが少し解かりました(笑)  

 

 

ウィルバーが荒くれ者マスターについた方が

覚醒が早いというのも、なんとなく。。    

 

 

そして以前、ウイングメーカーの掲示板で

自分が書いたことを思い出しました。  

 

 

「WMは。。私達にとって『親』のような存在かもしれません。   

 

子供である私達は、WMからのヒントやきっかけを頼りに、

自分なりにあちらこちらを探索しています。

 

ある時はとんでもない方へ行ってしまったり、   

ある時は諦めそうになったり。。   

 

WMからしてみたら、きっとハラハラドキドキの

連続かもしれませんが、いつか必ず、私達が自分達の力で

WMの位置までたどりつく事を信じ、そして両手を広げて

私達を待っていてくれる。。   

 

WMには、そんな温かさと安らぎを感じます。   

 

なので、私達は安心して探求を続けられるのです。。   

 

この世に、マスターと呼ばれる方はきっとたくさんいて、

そしてWMと同じようにハラハラドキドキ

されているかもしれません。

 

でも、どうか温かい目で私達の事を見守っていてくださいね。。」    

 

なんだか、自分で書いておいて見失いそうになっていました。。    

 

 

子育ては。。現場の人にしか解からないことがいろいろあります。。  

 

例えば自分も同じようなことをしていながら、

子供をキツクしかっている親、放置している親を見ると、

そのダメだと思う部分だけが強調されて  

こちらに映ってしまったりします。  

 

そして、そういう場面を外から見ているほうは

気分が悪くなったりしますが。。  

 

でも、どんな時でもやっぱり親は子供の事を

愛しているのだと思うのです。。  

 

そう信じたいです。。    

 

 

荒くれ者マスターについて理解出来ないと

思っていましたが、自分も同じなのだ 

ということに今日気づきました。

 

 

…といっても、もちろん私がマスターだと  

言ってるわけではないですが(苦笑)  

 

ずっとモヤモヤしていたものがすっきり解消された感じです。    

 

そして、娘は。。私にキツク注意されたあとは、

きちんと直してくれました。。  

 

本当は優しく言っているうちに直してくれないかなぁ。。

というのが親の願望ですが(苦笑)  

 

でも、荒くれ者マスターに対して反発していた私より、

よっぽど立派かも。。なんて思ってしまいました。

 

 

********

 

 

「一体何をもって、マスターと呼ぶのか」

 

・・・という疑問に関しては、この頃は、

まだまだ、ハッキリしていなかった。。。

 

 

けれども。

 

マスターの弟子に対する思いはきっと、

「親心」に近いのだろうな。。。と。

 

そんなことに気づいたあの頃。。。

 

 

子育ての方針というものも、、、

家庭によっていろいろであるように。。。

 

マスターが弟子をどう育てていくのか。。。

というのもまた、様々なのだろう。。。と。

 

 

マスターとなったあとも、、、

そこには、人としての「個性」は残る。。。と。

 

ケン・ウィルバーは言っていたけど。

私も、そう思う。。。

 

 

昔は、悟ることは、、、

完全に「すべてである私」に戻ってしまう事。。。

 

人間をやめてしまうことだと。。。

 

そう思っていたけど。。。

 

今は違う。。。

 

 

 

私達は人間である限り。。。

 

人間であることを完全に捨て去ることは、

絶対に無理なのだと。。。

 

今はもう、解ったから。。。

 

 

個である自分が、消え去ってしまうのは、

ほんの一瞬で。。。

 

その一瞬で得た「すべてである私」の感覚を、

深いところで保ちながら。。

 

私達はここで。

 

「個としての私」という感覚を持った

「人間として生きていく」

 

 

 

ここを、リアルだと感じる人間としての意識。

 

幻想を見抜きながらも、まだ、「個」の感覚を

保っている魂としての意識。

 

すべてが自分であり、、、

すべては、、、自分が生み出す幻想だとしか

感じられない神としての意識。

 

 

その、どの意識も同時に保ちながら、、、

多次元的な感覚で生きていくこと。。。

 

それが、悟ることなのだと。

 

今は、思ってる。

 

 

 

悟っても私たちは、思考や感情や肉体を持った

人間のままで。。。

 

「個という私」という感覚自体が、、、

このゲームなのだと。。。

 

 

 

だから、、、人間である限りは。。。

 

・・・というか、源に溶け去っていくまでは。

 

この「個の感覚」は決して消えないし。。。

 

それでいいのだと。

 

私は思う。

 

 

そして、こういう考え方が。

 

私の「個性」なのだとも思う。。。

 

 

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つづく