ブログは、「誰かのため」に書き始めたのではなく、
「自分のため」に始めたものだったので。
そこでは結構、好き勝手なことを書いていた。
特に最初の頃は、それまでの長い間、
自分の中にずっとため込んでいたものを、、、
ここぞとばかりにあれこれ、
放出していたような気がする。。。
そして、その頃の日記を読み返してみると。。。
私はもともとは。
どちらかというと、哲学者とか科学者的な
物の考え方をする人だったんだな。。。と。
そんな風に感じたりもした。
昔の日記から、少し転載。。。
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夜ごはんの時に、私も懲りずに^^;
またもや子供達相手に変な質問をしていました。
私「ブロッコリーって何色?」
娘&息子「緑!」
私「緑ってどんな色?」
娘&息子「ブロッコリーの色。」
こんな感じでレモンは?黄色。。
黄色って?レモンの色。。
みたいに冗談でずっとやっていたら、隣で主人が
ホトホトあきれた顔で「ねえ、何やってるの?」と一言。。。
「だってさ。。パパの見ている色と私の見ている色。。
絶対一緒かどうか分からないでしょ~。」
すると、娘がいきなり立ちあがると
バタバタと走って行き、なんだろう??と思っていたら、
国語の教科書を持って戻ってきました。
「ママ!これ読んでみて!」
ちょっと食事中にめんどくさいなぁ。。
なんてチラッと思ったのですが、
でも読んでみてびっくりでした。
それは、西研さんという方が書かれた
「ぼくの世界、きみの世界」というものです。
「ぼくの世界、きみの世界」 著・西 研
ぼくが、小学校の四年生か、五年生だったころのことだ。
ふろからあがって、しばらくぼんやりしながら、
天井からぶら下がっているうす暗い電球を見ていた時、
ふとこんな考えがうかんだ。
『この電球は、丸くて、うす暗くて、だいだい色をしている。
でもこれは、ぼくだけにそう見えているんじゃないか。
ひょっとしたら、自分以外の人には、全然ちがったふうに
見えているのかもしれない。』
もちろん、ほかの人にどう見えているかを、
具体的に想像してみたわけではない。
ただ、「自分に見えているものは、あくまでも、
自分にそう見えているだけなのだ。
ほかの人にも同じように見えている保証はどこにもない。」
そういう思いが、不意にわいてきたのである。
その時、なんともいえず不思議で、心細い感じがしたことを、
今でもはっきり覚えている。
この体験は、ずいぶんあとになるまで、
だれにも話さなかった。
人に話すほどの意味があるとは、思えなかったからだ。
だが、大人になってこの話をしてみたら、
同じような体験があるという人が、かなりたくさんいると
わかっておどろいた。
それどころか、哲学を研究する人たちの世界では、
昔から大まじめに議論されてきた問題だったのである。
例えば、甘味や痛みのような感覚は、
すべての人に共通しているといえるか、という問題がある。
子供の教科書って、面白いですね。
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この出来事が起こった時私は、、、
多くの人が、ふと、思うこと。。。
そこに、「共通点」があるという事実が、
すごく面白いことだと思った。。。
娘の教科書から、私もまた。。。
自分が昔からなんとなく思っていたことが、
昔からの哲学の議論のテーマになっていたと知り。
人間ってやっぱり。。。
どこかで繋がってるんだな。。。と。
そう実感したのを覚えてる。。。
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シェルドレイク「形態形成場論」。。
自然界には、電気・磁気・重力以外の
未知の力の場が存在していて、これを「形態形成場」
または「形の場」と呼び、ある形や活動が広がると
その形や活動パターンが宇宙に刻印され、
「形の場」の共鳴作用によって同じような形や行動が
起こりやすくなる。
また、生物の進化も「形の場」の
共鳴作用が関与している。。と。
ある本には、「例えば、魚がもっと泳ぎやすい
ひれが欲しいと思うと、その思いが次の子孫に
ひれを創り出す。」と書かれていました。
意識が形態形成場に何かしらの
影響を及ぼすのでしょうか?
これってきっと、量子の世界と
何か関係しているような気がします。
そうそう、量子力学がこの世に登場したのと、
冥王星の発見はだいたい同じ時期だそうですね。
今ではほとんどの人に真実だと認められている
科学的な発見も、ひとつの仮説から始まって、
それは、それまでの世の中の常識からは
思いきりはずれていたため(いわゆるトンデモ的なため)、
知識人達の間ではほとんど相手にされなかったのに、
その後(へたをすると本人が死んでしまったあととか)に
証拠が発見され、それが正しかった事が証明される。。
という事を繰り返してきましたよね。
なんとなくですが、誰かが仮説を立て、
それに賛同する人も何人かいて、
そしてその賛同した人の数がある数に達すると、
その根拠となるものが、実際にこの世界に
発生するのではないかなんて思ったのです。
実は仮説が先にあって、
証拠はあとから発生したものなのに、
あたかもずっと昔からそれはこの世に
存在していたかのように私達に映る。。。
例えば、この生命の進化のお話も、
ダーウィンの時代の人間の意識には
存在しなかった概念。。
シェルドレイクの形態形成場論のような。。
(これは今でもトンデモ扱いされているみたいですが。。)
そういう仮説が、ある時、世に出て、そして広がって、
賛同する人が一定数に達した時、それは遥か過去の生物の
進化にまで影響を与えるのではないか?と。。
「今、その出来事が過去に実際に起こる」
つまり、私達の時間の感覚からみたら、
歴史上の事実になるのではないかと。。
今が過去を変える事もあるのかも
しれないと思いました。
そして、もちろんそれは未来に対しても
言えるのではと思います。
過去も未来もそして現在の世界も、
「今」の私達の意識が創っているものなのではないかと。。
ちょっと飛ばしすぎかなぁ?と思いつつ。。
なので、今までの既存の宗教や思想、科学や神話、歴史。。
そういった中からのみ真実を探そうとしても結局、
今までの私達の創り出してきた
「概念」の世界にはまるだけ?
なんて思いがふつふつと。。
それだけではいつまでたっても、
今まで長い間に人類が創りあげてきてしまった、
意識の牢獄からは出ることはできないような気がします。
もちろん、概念そのものが間違いだとは言いません。
それらが創り出した世界が、
今の現実での真実なのだから。。
でも、それだけにとらわれるのは。。と思うのです。
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この話の軸になることは実は、、、
すべて、レイオルトが教えてくれた。。。
彼の言葉はもっと、シンプルだったけど。
それをもとに、人間Lyricaがあれこれ
考えているうちに、「シェルドレイク」の
理論にぶつかり。。。
すごく、感慨深い思いになったのを
覚えてる。。。
だから私は今でも、、、
この考え方、まったく変わってない。
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つづく