運命の出会い 40 | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

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2代目のブログです

宗教には、「顕教」と「密教」があることを知り。。。

 

そして私はどうやら、「密教」は、

そこまで嫌いじゃなさそうだ。。。と。

 

そんな風に思った。。。

 

イエスのことも、ブッダのことも、

嫌いではなかった。

 

むしろ、好きだった。

 

 

ならば、自分は宗教の何がイヤなの?と。

そんなことを、いろいろ考えた結果。

 

やっぱり、それを実践して体現していた人の、

そのあとにつづいたフォロワーの人達が、

のちに作ってしまったシステム。。。

 

それがイヤなんだろう。。。と。

 

そんな思いに至った。。。

 

 

組織。。。

団体とかコミニティとか。

 

そういうものに「属する」ことで、、、

人は何かを見失っていくような。

 

そんな気がしたから。。。

 

 

じゃあ、見失うものは何なのだろう?

・・・と考えて、思い当たったものは。。。

 

「個性」なのでは?と。

そう思った。。。

 

自分自身を見失っていく。。。と。

 

 

「すべてである私」「神」「宇宙」。。。のような。。。

人間の視点から見たら、すごい高みにあるように

感じるもの。。。

 

 

そこに到達することばかりに気を取られ。

 

「人間になりきれている貴重な今」。。。を、

見失っていくこと。

 

 

私はきっと。

そういうのが、すごくイヤだったのだと思う。。。

 

 

人間には、弱さや脆さがあるけれども。

 

でもね。人間だもの。

そういうものは、あって当然だと思う。

 

「人間」。。。なのだから。

 

 

私の目には、宗教などに関わっていない、

ごくごく一般的な人たちのほうが、

そこをちゃんと認め、受け止めているように見えていた。

 

だから、ごくごく一般的な人に対しては。

すごく、寛容になれる自分がいた。

 

 

人間。

 

ここに、人間として生きている限り。。。

いろんなドラマが起こる。。。

 

決して良いことばっかりではないし、

時には誰だって、疲れてしまうことがある。。。

 

疲れれば、失敗することもあるけど、

でも、疲れた時は、無理しないで休めばいい。。。

 

でも、大丈夫。

人には自然治癒力があるのだから。。。

いずれ絶対、立ち直るのだから、大丈夫。。。

 

 

・・・と、寛容になれた。。。

 

 

だって。

もともと私たちは、全員。

 

「すべてである私」

 

今はすっかり忘れてしまっていても、

今でさえも、全員が、「すべてである私」

 

戻れないわけがない。

解らないわけがない。。。

 

 

19歳のあの日以来。。。

私はずっと、こう信じてきていた。

 

 

だから、子供たちがまだまだ小さかった頃。

 

子供たちがいたずらをしても、、、

すぐには叱らなかった。

 

ただ、「ママは怒ってる」という表情だけ見せて、

あえて、子供本人に訊ねた。。。

 

「ママが、どうして怒ってるか解る?

胸に手をあてて、もうひとりの〇〇ちゃんに

訊いてみてごらん」

 

・・・と。

 

 

すると、子供たちはちゃんと答えるの。。。

 

頭の中にまだ、余計なものが詰め込まれて

いないからこそ、大人よりももっとスムーズに、

自分の内なる声と、繋がることが出来ていた。。。

 

そして、まだまだ、4、5歳の子供が、

ちゃんと答えてくれていた。

 

「やっぱりちゃんと、解ってるんだ」

 

・・・と、私に感じさせるような答えを。

 

 

それで私は確信したの。。。

 

人はやっぱり、言葉で教えられなくても、

自分の力でちゃんと気づけるものだ。。。と。

 

だったら私は、子供に対しては、

口であれこれ語って聞かせるのではなく。

 

私自身が、行動で示せばいい。。。

私自身が、自分を生きていればいい。。。

 

そうすれば子供は。

私の在り方を見ながら、自身でいろいろ

学んでいくだろう。。。

 

いろんなことを、考えたり、感じたりして。

 

自分自身に必要なものを、

勝手に、吸収していくだろう。。。と。

 

そう思った。。。

 

 

だから私は。。。

子供たちの中にも、「すべてである私」が

常にいることを。。。

 

いつも、忘れないようにしていよう。。。と。

 

今までずっと。

そういう風に思って、生きてきた。。。

 

 

 

宗教の在り方は。。。

 

私のそういうポリシーとは、

真逆に見えてね。。。

 

 

だからついつい、宗教の人達に対してだけは、

どうしても、厳しい目を向けてしまっていたのだと思う。

 

そういう人たちが言葉で言っていることと、

実際にその人達がとっている行動の中に。。。

 

どうしても、「矛盾」を感じてしまう自分がいたから。

 

 

そして。

人間の中にある、「弱さ、脆さ」を。。。

また、自分も同じ、その「人間である」ということを。

 

教義で塗り固めて、認めないようにしている。

そういうことを、「悪」と捉えて、戦ってる。。。

 

そんな風に教義を楯と鎧にして、、、

わざわざ大変な道を選んで、遠回りしてるなんて。

 

なんて、悲しいことなんだ。。。と。

 

 

教義なんかに縛られないで。。。

もっと、正直になって。。。

 

力を抜いてラクに生きればいいのに。。。と。

 

そんな風に私は。。。

思っていたのだと思う。。。

 

 

 

今ではもう。。。

そういう思いすら、手放してしまって。。。

 

私は私。

あなたはあなた。

 

全員、自分の好きな道を好きに歩けばいい。。。と。

 

あの頃のモヤモヤが、、、

嘘のようになってるけどね(笑)

 

 

********

 

 

「般若心経」のあとに出会ったものの中で

印象に残ったのは、禅の「十牛図」だった。。。

 

十牛図の中にもまた。。。

 

「すべてである私」の匂いを観た。

 

 

どういう経緯で、この図に辿り着いたのかは、、、

もう、忘れてしまったのだけど。。。

 

その「十牛図」の内容をサラッと見た時、

最初に思ったこと。。。

 

 

それは。。。

 

 

第8図の「人牛倶忘」と、

第9図の「返本還源」と、

最後の第10図、「入鄽垂手」。

 

 

この3つの図の意味するところは、、、

ものすごくよく解るのだけど。。。

 

他の図については、全然解らない。。。

 

・・・ということだった。

 

 

自分の中に「実感」があるのは、、、

最後の3つの図だけだったから。。。

 

 

今となってみれば。。。

 

他の図に関しては、、、

わざわざ解る必要もなかったよな。。。と。

 

そんな風にも思う。

 

 

それを解ることで逆に。

人生が、めんどくさくなったりもしたから。

 

そんなことを知らなかった頃のほうが、

実は、シンプルだった。。。

 

 

 

もともと私は。。。

 

「宗教」というツールを使って、

悟りを目指しているわけではなかったので。。。

 

そこに少しでも、小難しさや、ややこしさを

感じたら、すぐに放り投げてしまっていた。

 

あの頃は。。。

 

 

なので、この「十牛図」に初めて出会った当時も、

 

「何言ってるのか、全然解らないから、もういいや」

 

・・・で、済ましていた。。。

 

 

それなのに。。。

 

その後の人生で起こったドラマを

いろいろ経験していくうちに。。。

 

いつの間にやら、、、

他の図の意味も、解るようになって

しまっていた(苦笑)

 

 

最後の最後に辿り着く場所。。。

 

それはもう、最初から知っていたのだから。。。

わざわざ戻らなくてもよかったはずなのに。

 

 

気がついたら。

ミイラ取りがミイラになった時期があった。。。

 

 

あの頃、自分の中の「知識欲」が肥大化して。

その「欲」が呼び寄せたのだろうか。。。

 

その後に続いた人生ドラマ。。。

 

そのドラマを通して。。。

「人間Lyrica」が成長していったこともまた、

事実。。。

 

 

そして、思う。。。

 

十牛図もそうだし。

カバラの生命の樹なんかも。

 

ああいうのを見ていると、なんだかそこには、

最初から決められた「ルール」のような

ものが見えるような気がしてね。

 

このゲームの基本ルールのようなもの。

 

 

そのルールにそって。

「道を辿って還っていく」というのは、、、

 

人間のサガなのか。。。と。

 

 

だから。

 

「人間をおおいに楽しみたい」

 

・・・と思っていた私の願望は。。。

しっかりと、叶ってしまっていた。。。

 

 

・・・とも、言えるのかもしれないけど。

 

 

始まりは多分。。。

 

フォーラムで起こった、

あの一件だったような気がする。。。

 

 

********

 

 

つづく