最近の | TRIQUETRA ~Tributary Zone~

TRIQUETRA ~Tributary Zone~

2代目のブログです

母が、だいぶ落ち着いてきました。

 

 

*********

 

 

父は数年前に他界し。。。

 

でも今回、母は、父の時とは違ってた。

 

 

どう違っていたのか、、、

それを、言葉にするのは難しいのだけど、、、

 

 

「生きるということ」

 

 

・・・を、最後まで手放してなかったというか。

 

 

母は、口では、

 

「あんまり長生きしたくないわ」

 

・・・と、昔からよく言ってたけど。

 

 

そういいつつも、、、

なにも手放してないよね。。。と。

 

常に感じていた。

 

 

90歳を超えてもなお、元気な伯母を見ていても、

「それ」を感じる。

 

 

「それ」

 

・・・を、一言で言い表すのは。。。

 

本当に、、、難しいのだけど。

 

 

******

 

 

父はなんだか。。。

最後のほう、とても儚かった。。。

 

 

病気になって、手術をして。。。

 

そこまでは、母も同じだったけど。

 

 

父の場合はその後、、、

 

元気になりたい。

回復したい。

 

・・・みたいな、意欲が薄かった。。。

 

 

眠る時間が日に日に増えてきて、

鮮やかな夢をたくさん見るようになって。

 

 

「あっちの世界が面白くて仕方ないんだよ」

 

 

・・・と。

 

・・・そんなことを言ってたっけ。

 

 

だからなのか。。。

 

亡くなるひと月前だったか、

そのくらいからは、全然目を覚まさなくなった。

 

 

そういうのを、昏睡状態というのかもしれないけど。

 

 

もうあっちに行きたがっている人を、、、

無理矢理こっちにつなぎ留めておくことは、

なんだか、気の毒で。

 

 

父と同室で入院していた、たくさんの寝たきりの

おじいちゃんたちを。

 

何のために、管に繋いでおくのか。。。と。

 

 

そんなことを思ったりもしたな。。。

 

 

父たちは。。。

 

「生きている」のではなく、

無理矢理、「生かされている」。。。みたいに感じて。

 

 

それは、本当に本人のためなのか。。。

 

それとも、残される者のためなのか。。。と。

 

 

そんなことを、よく考えた。

 

 

 

母の場合は、、、

本人は、自覚してなかったかもしれないけど、

 

でも、ここに戻る気満々だったから。。。

 

 

まぁ、、、大丈夫だろうな。。。と。

 

 

そう感じていた。

 

 

 

******

 

 

 

母を見ていると真面目に。。。

 

 

もしかすると、母より私のほうが、

先に死ぬのではないか。。。と。

 

 

思ってしまったりする。。。

 

 

 

 

最近、自分の「死期」みたいなものを、

なんとなく感じていたりするのだけど。。。

 

 

でも、きっとそれは、、、

とても象徴的なもので。。。

 

 

多分、本当に死ぬわけではなく。

 

「以前の私」というものが、

死んでいなくなるのかな。。。とか。

 

 

 

もし本当に死んでしまったとしても、、、

心残りはほとんどないのだけど、でも。

 

 

 

とにかく。。。

 

残された最後の時間はもう。

 

完全に、「自分のため」に使いたいと。

 

 

そう思う、今日この頃で。

 

 

だから、私は結局、

何をしたくて生まれてきたんだろう。。。と。

 

 

よく、自問自答したりもしたのだけど。

 

 

そんなことはもう、

ずっと前から解っていて。

 

 

 

私は、、、

自分ではない誰かを。

 

本当に愛したい。

 

 

ただ、それだけがしたかったのだと。。。

 

 

 

*********

 

 

 

神様視点ではなく、人間視点で。

 

自分ではない誰かを、、、

まるで自分のように感じることが出来たら、

なんて幸せなんだろうと。

 

 

ずっと、そう思ってた。

 

 

 

学校で、、、教会で。

 

奉仕する人たちをみて。

 

それは、「偽善」だと思ってた。

 

 

19歳で、あの神秘体験をして以来。。。

 

宇宙的な視点から。。。

神様的な視点からだったら、

他者を自分だと感じることは、、、

 

本当に、たやすく出来るようになった。

 

 

すべてが自分だと感じることは。

 

 

 

でも。。。

 

人間としての「自我」である自分視点から、

それとまったく同じような感覚で他者を見ることは、

全然できなかった。

 

 

でもそれができないのが、人間なのだと思ったし。

 

ここは、あえてそういう枷をつけて、

ゲームをする場なのだと思ったし。。。

 

 

だから、そういう舞台であるこの場で、

奉仕だの利他だのというのは、

本当に分かってないからこそ、言えるのだと。。。

 

 

そんなのは結局。。。

「嘘」なのだと思ってた。

 

 

嘘の愛。。。

嘘の優しさ。。。

 

本物ではない。。。と。

 

人間には、そんなことはできない。。。と。

 

 

ずっと、そう思ってた。

 

 

子供を産むまでは。。。

 

 

 

自分の子供に対しては出来たんだよね。。。

 

私の思う、、、本物の「愛」の体験。

 

 

 

だからそこで、、、

人間の中にある、可能性が見えた気がして。。。

 

 

だからそこから私は、、、

すごい、努力した。。。

 

 

自分の子供たちに感じる愛を。。。

他のすべての人に感じることが出来るようにと。

 

 

 

その旅の途中で、

いろんな苦悩があった。

 

 

チベットのリンポチェに訊ねたこともあった。

 

 

リンポチェは言った。

 

 

最初は、「嘘」でもいいのだと。

 

いずれ、、、嘘が真になるから。。。と。

 

 

 

その言葉を信じて、頑張った時期もあったけど。

 

 

ある時、挫折した。

 

 

疲れきっている自分に気づいたから。

 

 

そしてある程度は、自分自身も労わらないといけないことを、

その時、理解した。

 

 

 

 

その挫折後、、、

ハードルをすこし低くした。

 

 

愛の対象を、

「この世のすべての人」ではなく、

「自分と関わる人」へと変更した。

 

 

 

でも、、、

それも最近、諦めた。

 

 

 

ただ、、、

今でもやっぱり、思ってる。。。

 

 

それが出来たら、、、

どんなに満たされるだろうか。。。と。

 

 

 

ハードルを更に低くして。

 

たった一人でもいいから、、、

それを体現できる人に出会いたい。と。

 

 

 

娘は言う。。。

 

 

でももしかすると、、、

たとえそれが自分の子供とは言え、

「本当に愛せる人」に、

人生の中で二人も出会えたこと。

 

それだけでも、奇跡なのかもしれないよ。

 

 

・・・と。

 

 

 

そうなのだとしたら。。。

 

 

私はきっと。

 

 

とても、欲張りなのだと思う。。。