子供たちがまだ、幼稚園かそこらの頃。
簡単な絵本を創ってあげたことがあった。
2006年にブログを書き始めた頃、
その絵本の文章だけを、ブログにも載せた。
ブログでは多少。
文体を変えたけど。
それは、もともとは、その絵本のために
創ったものだった。
今思えば。
私が誰かに解ってもらいたかったことというのは、
すべて、あの絵本のお話の中にあったような気がする。
そうだった。。。
私はそれをずっと。
「もと」
・・・と呼んでいたのだった。
すべてのものの、もとはひとつなんだよ。
・・・と、よく言っていたんだった。
小さな子供たちに。
のちに出会ったウイングメーカーではそれを、
「ファースト・ソース」と呼んでいたけど。
ファースト・ソース。
最初の源。
源。。。
もと。
結局。
そういうことなんだ。。。と。
久しぶりに。
あの、自作の絵本が見たくなったのだけど。
今は、手元になくて。
読めなくて残念。
でも、その文章だけ。
振り返ってみたくなった。
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『もと』
「もと」は何でも知っている。
…けれども、何もできない。
ただ「ある」だけ。
でも、この世にあるすべてのものは「もと」の中に「ある」。
そして、この世にある全てのものの中にも「もと」は「ある」。
「もと」は「経験」ができる「からだ」と「こころ」を持って
自分の記憶を消して旅にでる。
自分を知りたかったから。。。
自分を大きくしたかったから。。。
「今のわたし」は自分の「もと」の姿を忘れてる。
でも、忘れることは「もとのわたし」が決めたこと。
「今のわたし」と重なって一緒にいてくれる目に見えない
「もうひとりのわたし」。。。
そのわたしは「もとのわたし」のことを覚えてる。
だから。。。
記憶をうしなった「今のわたし」は
自分のなかにいる「もうひとりのわたし」に聞けば、
だいたいのことがわかるんだよ。。
ただ。。
その「もうひとりのわたし」のお話を、
素直に聞くことも信じることも
「今のわたし」にはとても難しいことで。。。
それができるようになるためには
「経験」というものが必要になってくる。。
「経験」をするために必要なもの…それは何?
それは「今のわたし」が持っている「からだ」と「こころ」
そして「覚えていないという」状態。
「もとのわたし」のことを覚えていて「からだ」というものを持たない
「もうひとりのわたし」だけでは「経験」はできないから。。。
そしてもし「今のわたし」が本当のことを全部思い出してしまっても
この「経験」というものはできなくなってしまう。
そこで「もとのわたし」は旅の目的を果たせるように。。と
出発前に自分でカギをかけた。
出来れば、、、思い出さないように。。。と。。。
「経験」に必要な「からだ」と「こころ」を持って、
そして帰り道を永遠に見失わないようにと
「もうひとりのわたし」をお供につけて旅にでた。
「もうひとりのわたし」は自分が「もとのわたし」だと覚えてる。
だから「もうひとりのわたし」に聞けば、いろいろなことがわかるんだよ。
ためしに「もうひとりのわたし」に
「お友達のえんぴつをとってもいいの?」と聞いてごらん。
「もうひとりのわたし」は何と答えた?
「いいって答えたよ!」なんて言わないようにするためには、
やっぱりたくさんの「経験」が必要になっていく。
でも「えんぴつをとってもいいよ。」と「今のわたし」が言ったり、
思ったりしてしまうこと。。。
それすらも「もとのわたし」にとって目的だった「経験」のひとつになっている。。
そして、そのことに気づくには、またまた「経験」が必要。。
旅の途中、わたしたちはたくさんの「経験」をするけれども、
それはたくさんの「今のわたし」によっていろいろになっていく。
いろいろになることが、「もとのわたし」の望みだったから。
そして「経験」を重ねていくうちに「今のわたし」は
少しづつ「もとのわたし」を思い出してくるけれども、
カギがかかっているからハッキリ思い出せないかもしれない。。
ほんの一瞬だけ「もとのわたし」に戻ることもある。
自分が「もと」だったこと、あなたが「もと」だったこと、
みんなが「もと」だったこと。。
それを感じる「一瞬」が起こることも
もしかしたらあるかもしれない。
それは、お話を聞いたり本を読んだりして「知る」こととは違い、
それは「感じる」ものなんだよ。。
でもね。。その一瞬も「もとのわたし」がしてみたかった「経験」の中の
ひとつに過ぎないってこと。
たとえ「もとのわたし」に戻れなかったとしても、
それも「もとのわたし」がしてみたかった「経験」のひとつ。。。
「今のわたし」が「もとのわたし」を少し思い出し始めると、
わたしは、 もっともっとハッキリ思い出したくなってしまって、
カギをあけるための 「道具」を探し求めてしまうことがあるかもしれない。。
「道具」を探して森に入り込むと道に迷ってしまうから要注意。。
「カギをあける道具」なんてないの。。
だって「もとのわたし」には「形」がないのだから。。
でも、迷ってしまうこと。。
それもまた「もとのわたし」が望んだ「経験」の一部。
すべての人のすべて経験。。
これは「もとのわたし」の求めていた大事な大事な宝物。
「経験」するために「もとのわたし」が持たせた「こころ」のおかげで
「今のわたし」は嬉しかったり、悲しかったり、喜んだり、怒ったりできる。
うんうんとうなずいたり、う~~ん?とわからなかったり、
ちがうちがうと首を横にふったりできる。
それらが全部、、、
「もとのじぶん」の宝物になっていくだろう。。
そして、すべてのものの「もと」はひとつ。。。
ということ。