昔から時折、
「ウイングメーカーって何ですか?」
・・・と訊かれることがありましたが、そういう時は、
「本が出ているから、もし興味があるなら
それを読んでみるといいですよ」
・・・としか、言えなかった。
ウイングメーカーとは何か。
それはおそらく、その人その人が「感じるもの」であって、
誰かから「説明されるもの」ではないと。
そういう意識が自分の中のどこかにあったから。
ただ。
本を読んでみてはいかが?
・・・と言うことすらも。
私にとってはちょっとした、
負担を感じるものでもありました。
なぜなら。
昔から母に、いろんな本を薦められ。
「こんなに素晴らしい本があるから、
読んでみなさい」
とか言われるのだけど。
「読む気がしないから、今はいい」
・・・なんて答えようものなら、だいたい、
こういう返答が返ってくる。
「あんたにはまだ、器が小さいからわからないのよね。
ご近所の〇〇さんなんて、すぐ読んでくれて、
感動してたわよ」
・・・みたいな。
近所の〇〇さんに、こんな本を、薦めたの?
ちょっと、、、恥ずかしいからやめて。。。
と、子供の私は思ってた。
そりゃ、〇〇さんだって。
そんな風に薦められちゃったら、無下に断れないでしょ。
近所なんだし。。。
ちょっと、お母さん。
「社交辞令」って言葉、知ってる?
・・・とかね。
でも、そんなことを私が口にした日には、
一層めんどくさいことになるのは火を見るよりも
明らかだったから。
言い返しはしなかったけど。
心の中では、そんな風に思ってた。
強引に宗教の勧誘するおばちゃんとか。
絶対、母みたいなタイプの人なんだろうなとか。
そんな風に思ってた。
ある意味、純粋。とてもピュア。
でも、思い込みもとても激しい。
だから、周囲の空気を読まずに
突っ走る。
そういう経験をしてきたからだと思うけど。
私は、「この本読んでみて」と。
人に薦めることすらちょっと、
躊躇してしまうところがあったりしました。
でも。
ウイングメーカーとは何か?と訊かれて、
それを私の言葉であれこれ「説明すること」に対してのほうが、
更に抵抗感があったので。
「よかったら、、、ですけど、
そういう本がありますけど?」
・・・と。
ものすごく弱気に(笑)
紹介することしか、出来なかったりした。
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先日、スタディ・グループにいらしていたひとりの方が、
こんな風に言っていた。
「最近は、ウイングメーカーって何?って訊かれたら、
『哲学』ですって答えてます」
・・・と。
それを聞いて、思い出した。
英会話の先生に時折、翻訳をチェックしてもらっているから、
結果的に、彼もなんだかんだと、ウイングメーカーの情報に
触れることになってしまったけど。
そんな彼は、ウイングメーカーのことを、
「これは、『ジェームズの哲学』だね」
・・・と、そう言っていた。
そんな彼らに。
私はとても、共感しています。
そして、英会話の先生はいつだったか。
こんなことも言っていた。
「今更、『新しい宗教』を作る必要はないよ」
・・・と。
この言葉にも。
私は、心から共鳴しています。
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「盲信」という言葉は、、、
英語では、「blind faith」というのだそう。
そんな言葉が存在するということは。
いつの世も、どこの国でも。
そういう方向に走っていってしまう人というのは、
必ずいたのだろうな。。。と。
そんなことを思った。
きっと、そういう人が。
「宗教組織」とか「宗教団体」とか。
そういう方向に走るのだろうと。
そんな風に思った。
母もあんなだったし。
ミッションスクールのキリスト教関係の先生たちの
在り方を見ていても思っていたのだけど。
「なぜ宗教って。
こんなにも人の心を重くするのだろう?」
・・・と、ずっと感じていた。
その謎は、10代であの神秘体験をした時に、
ちょっと、解けた。
多分、イエスも仏陀も。
「これ」を、自身で経験したのだろう。
そして、「これ」さえ思い出してしまえば、
根本的なところで、人間的なすべての苦しみから、
解放されること。
これを彼らは、その身をもって、知ったのだろう。。。と。
そう思った。
けれども、「これ」を「言葉」を使って説明することは、
不可能。
それもしみじみ、実感した。
だからこそ彼らはそれを、神話的に、
「比喩」を使って話すしかなかったのだろうけど。
その「比喩」を。
「言葉通り」に、「額面通り」に受け止めた人たちが、
のちにそれを、「宗教」にしてしまったのだろうと。
あの瞬間。
そういうことすら、瞬時に悟った。。。
だからこそ。
「これ」を、本当に知るには。
自身でそれを体験するしかないのだと。
だからこそ。
「誰か、悟り装置を作って!!」
・・・と、あの時、切に願ったわけだけど。
今はもう、あの頃とは時代も変わり。
実際に「それ」を経験する人は稀であっても、
そういった「概念」を知っている人は増えてきたし。
一般的にもそういった概念は、
浸透してきていたりもするので。
だからもう今更、
それを熱く語る必要もないよね。
・・・と。
私の中で、「どうか、解ってほしい」と願い続けた、
あの、個人的な欲求も。
今は、だいぶ薄れてきていたりする。
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ウイングメーカーと出会い。
そこから始まった旅の途中で、
宗教の興りの原点となるもの。
たとえば、聖書とかお経とか。
そういったものを、
自分自身の目で、ちゃんと確かめてみたい
気持ちになった。
学生時代は、聖書もお経もとても身近にありながら、
拒絶反応が大きくて、ちゃんと読む気にもならなかったけど。
その頃の私は、
当時よりも少し、大人になっていたから(笑)
だから。
最初から全面否定するのではなく、
まずは、知ってみよう。。。と思って。
ただその、「原本」だけにあたった。
なぜなら、他の人の解釈や説明がそこに入ると、
必ずそこに、その人の「フィルター」がかかるから。
そういったものは一切抜きにして。
原本のみにあたった。
そうしたら、解った。
イエスやブッダみたいな人が。。。
彼らの言っていたことは、決して間違っていたわけでは
なかったんだな。。。と。
だったら。
私は一体、宗教の「何」を嫌うのか。
宗教のどういった部分に拒絶反応を示すのか。
そういうところも、同時にクリアに見えてきた。
そして、昔からうっすら感じていたことに、
ますます確信が深まった。
結局。
そのあとに続いた人たちが。
「それ」を歪めていったのだな。と。
もちろん、歪めていった人たちが、
悪意を持ってそれをやっていたわけではないことも
解ってる。
むしろ、「善意」でやっていただろうけど。
でもやっぱり、「歪む」のです。
何かが。。。
「それ」が、人から人へと伝わっていく間に。。。
それは、、、
昔も今もきっと。
変わっていないのだな。。。と。
最近。
しみじみ思った。
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今の若い世代は。
「二次創作」は「原作」とは別物である。
・・・という、捉え方が出来るようになってきたみたいで。
また、「目に見えない世界」と、
「目に見える世界」を、きっちり分けて考える
冷静さのようなものも持ってる。
そういう冷静さを保ちながら、
そのふたつの世界を、上手に行き来してる。
そういう意識って、大事だと思う。
けれども。
こと、スピリチュアルや宗教の世界では、
そのあたりの境界線が曖昧になりやすい。
不思議な声が聴こえてくること。
不思議な何かが見えてしまうこと。
そんなことは、おそらく。
誰にでも起こります。
長く生きていればそんなことの一度や二度、
もしくは、それ以上。
誰でも経験します。
そういった経験をとても大げさに捉えるか。
それとも、アッサリ流すか。
それを、個人的なことと受け止めるか。
世界に広げなくてはいけないメッセージだ~~と
意気込むか。
ただ、それだけの違いのように感じます。
誰もが納得できるような証拠を見せずに、
その人にしか聴こえないもの、見えないものを、
「これが真実です」と誰かに伝えようとするときは。
その人が、完全に浄化されきった人でなければ。
よっぽど注意していない限り、
いつもの落とし穴に落ちるでしょう。。。
私自身も。
いつ自分が、その落とし穴に落ちやしないかと。
そういうことに関しては。
自分自身を常に厳しく、律しています。
だって。
人を惑わせたくないもの。
だから、ウイングメーカーに関しても。
私がそういった態度を崩すことは。
今後一切、ないでしょう。。。
そして今後、この日本で。。。
ウイングメーカーが宗教になっていくような
流れが濃厚になったと感じた時は。
その時は私は。
ここを立ち去るだろうと。
そう思っています。