「スピリチュアル」と呼ぶ何かそこにあるのだとしたら、
私にとってのそれは、「生き方」そのものであって。
決して、「語るだけのもの」ではなく。。。
どんなに素晴らしいことを語っていたとしても、
どんなに素晴らしいワークショップを開催していたとしても、
どんなにすごい能力があったとしても。
その人の日常生活に、、、
その人が素でいる時の言動に、、、
その人の生き方に、、、
「魂の透明さ」とか「静寂さ」が顕れていなければ、
私はイヤなんですね。
その静寂さって、、、
ただ、おとなしいとか無口というのではなく。。。
とても澄んでいて、、、
揺らぎがなくて。。。
言葉にするの、難しいのですけれども。。。
今のスピは、透明になるどころか、
どんどんエゴっぽくなる要素を感じてしまうので。
そういうところが多分、私はイヤなのでしょうね。
私がこう思うようになったのはやっぱり、、、
感受性が豊かで反抗的だった頃、、、
自分の自我を一生懸命確立しようとしていた時期に
考えたり感じたりしたことによる影響が大きい。。。
仏教にハマった母とか、
あとはミッションスクール時代の先生たちとか。
そういう人たちの言動をシビアに観察しながら、
あれこれ考え抜いたことが大きいのでしょうね。
「口で言ってることと、実際にやってることが違う」
のでは、全然説得力ないね。と。
あの頃の私の胸に、刻まれたのでしょう。
だから、、、あんまり偉そうなことは、
言わない、語らないに限る。
だって、、、恥ずかしいだけだもの。と。
ずっと、そう思ってた。
でも、落とし穴に落ちてしまうと、、、
自らそういう、「恥ずかしいこと」をしてしまったりもするので、
私も常に、内省は続けないとなぁ。。。と思う。。。
で、どういう時に落とし穴に落ちるかというと。
スピリチュアル的な知識が増えた時なんですね。。。
私の場合。
人ってみんな、「他者から聞いたこと」が、
いつの間にか「自分の意見」になっているのですよ。
自分とか他人を、よーく観察していれば解ります。
自分の手柄だと思っていることのほとんどが、、、
他の誰かから受け取ったものであって。
でもそうやって多くの人が、、、
謙虚さを忘れてしまうのだよね。
ハッタリで自分のことを大きく見せたって。
しょうがないのにね。
「〇〇さんから聞きました」とか「〇〇で読みました」という
前置きをすることを、ほとんどの人は忘れる。
それは、そういうことに対して、
無意識に生きているから。
でも、そういうものは、突っ込んでいけば必ず、
ボロが出る。
若いころはそうやってよく、わざと人を怒らせたりしたけど。
最近はさすがに、やらなくなった。
そういうツッコミは極力。
自分に入れるようにしました。
自分のエゴに対してね。
ソクラテスは、偉い人たちが偉そうなことを言うたびに、
「それはなんで?なんでそうなの?」
・・・と延々と質問を繰り返して処刑されちゃった。
今でもそんなものです。
変わってませんね。昔から。
人間のエゴイズムの在り方って。
ちょっと話がそれるけど。
乙女座が批判的で厳しいとか、毒舌だとか言われるのは、多分。
今書いたようなことを、結構、ズバズバ言うからだと思う。
批判っていうか私は。
それは、「正直」というのではないの?って思うけどねぇ。
でも、こういうことをオブラートに包まずにズバッというと、
大概は、エゴからの反発を食らいますから。
その攻撃を受けて傷つくこと覚悟ならいいけど。
そうでないのならやっぱり、一呼吸置いたほうがいいのかもですね。
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そうそう、スピへの違和感ね。
何にどう違和感なのか、自分のマインド部分でも整理したくて。
あれこれ考えていました。。。
それでちょっと分かったことをメモ。
多分、違和感の始まりは「引き寄せの法則」が
ブームになった頃なのだろうな。。。と、そう思った。
昔から、、、「思考」というのは、私にとっては「ツール」であって、
それが「自分」ではなかったのです。。。
その思考を「使って」、実際に現実を創造しているのは、、、
自分の魂だったのです。
私の感覚では。。。
魂は、最終的にはそのツールである思考も、
自分と同じ透明にしたかったのだと思う。
そのために、その思考自体を使って、あれこれ現実を創って、
思考がどんどん透明になっていくように、
魂と同じ視点で物が観れるようになるようにと。
あれこれ出来事を起こすのだろうと。
そう、信じていました。
だから、、、自分に起こることは、すべて完璧なことであり。
何が起こったとしても、そこに間違いなどなく。
だから、、、頭であれこれ計画するよりも、
自分に起こる現実をそのまま受け止め、流れを読んで。。。
そこからいろんなことを、考え感じ。
いろんなことを知っていく。。。
気づいていく。。。思い出していく。。。
私にとっての現実って。。。
そういうものだった。
でも、「願望実現」というのはなんか。
「思考」がツールではなくて、「メイン」になってるから、
多分、イヤだったのでしょうね。
思考が現実を創るのは、多分、そうなのでしょうけれども。
想いは叶うっていうけれども。。。
それが叶うかどうかというのはやっぱり、、、
それがどれだけ、「ソウルの望み」と
一致しているかによるのだろうと。
私は思う。
なんというか、、、
何が正しいとか間違っているとかではないのでしょうし、
結局は、自分が何を信じるか。。。なのかもしれませんが。
今どきのスピの、その捉え方というか、解釈のしかたが、
それまでの自分の捉え方とか生き方とは、
微妙にずれていたのでしょう。
そのあたりの微妙なズレが、頭でもスッキリ整理できたので、
なんかちょっと、嬉しい。
もうこれからは、、、
そういう外部からの何かに惑わされたくないなぁ。