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ウイングメーカーのスタディ・グループの時に出たポイントを、
ここで改めて追っておこうかと思います。
IRIDESCENCEサイトに、ウイングメーカー・サイトのイントロダクションの
部分を翻訳したものを載せたページがあります。
★ウイングメーカー★
このページの中にある、「ウイングメーカーの歴史」というセクションの中に、
ジェームズの言葉の抜粋があります。
全員が自分自身に、最終的にはこう言わなければなりません。「私は知らない。けれども、その可能性について熟考するつもりだ。」と。それは、私たちがワンネスへの道だと感じる瞑想(熟考、沈思黙考)の中にあるのです。また同様に、私たちが分離とエゴ・アイデンティティへと後退する瞑想の欠如の中にあるのです。
「私たちがワンネスへの道だと感じる瞑想(熟考・沈思黙考)」とありますが、
ここで使われている「瞑想」とは、「meditation」のことではありません。
英文では、「contemplation」という言葉が使われています。
この言葉、「瞑想」という意味よりも、どちらかというと「沈思黙考」とか
「熟考」という意味合いのほうが強いのかもしれませんが、、、
私はあえて、「瞑想」という言葉を使いました。
東洋的な瞑想は、マインドをストップさせることを目的としたもの、、、
「空」を目指すようなものが多いのですが、西洋的な瞑想というのは、
何かひとつテーマを決めて、ひたすらそれについて考え続ける。。。
というようなものが多かったりします。
何か一点に集中し続けていると、ふと自分のソウルの部分から、
様々なメッセージやインスピレーションを受け取ることがあり、
それは自分にとって、とても深遠で、有益になる答えだったりすることが
よくあります。
でも、それだけではなく、、、
こういったタイプの瞑想でも、時に、
神を見ることがあったりもするようです。
あるカバラのラビは、、、
ひたすら数字を数えていたら神を見てしまったそうです。
これだけ聞くと、なんのこっちゃ?という感じですが、、、
私はそれが、、、どういうことなのか、なんとなく解るような気がします。
私も、タイムトラベルの本を読んでいて、それを無理矢理マインドで
理解しようとしたら、思考停止したからです。
それと同じように、、、禅問答にも、そういった仕掛けがほどこされているようで、、、
頭では到底理解不能のような質問に対する答えを、ひたすら思考を使って
探し続けていると、限界を突破した時、思考はショートして、停止する。。。
その瞬間、神を見る。。。
禅問答の本来の目的は、神を見るということではないのかもしれませんが、、、
そのような、偶然によるおまけ的に、神を見てしまうような仕掛けも、、、
どうやら、その中には込められているのだとか。
そのようなことを踏まえたうえで、、、
私はここで、「瞑想」という言葉を選んだのでした。
私たちがワンネスへの道だと感じる瞑想(熟考、沈思黙考)の中にあるのです。また同様に、私たちが分離とエゴ・アイデンティティへと後退する瞑想の欠如の中にあるのです。
・・・とありますが、これは、、、
悟りを目指してひたすら努力している人でも、、、
ハートの美徳を日々頑張って実践している人でも、、、
何も考えずに、ただただ外側の世界に反応だけしながら生きている人でも、、、
それらすべては、「ファースト・ソースのひとつの表現である」という
意味においては、どれもまったく等しいものである。。。ということです。
私は、これまでの日記で書いていたように、今流行のスピの在り方は、
ハッキリ言って嫌いですけれども、、、
それは、「夢の登場人物としてのわたし」としての感覚であり。
もっともっと深い部分では、「みんなおなじ」ということは、
重々、解っています。
そういうことが解ったうえで、
嫌いなものは嫌いなだけであって、それ以上でもそれ以下でもなく。。。
ただ、それだけのことです。
そして、嫌いなものを無理矢理好きになることはしません。
そして同時に、、、深い深いところでは、、、
どんなものでも、愛しているのです。。。
私達はそうやって、「多次元的」に生きています。
言葉を換えれば、、、私たちは人間である限り、どんな人でも自分の中に、
そういったパラドックス、、、矛盾を抱えている。ということです。
嫌いだと思っている自分は、単なる「夢の中の登場人物」に過ぎず、、、
それが自分のすべてではありません。
ファースト・ソースとしての自分、、、
ソウルとしての自分の意識をすっかり忘れ、夢の登場人物としての自分、、、
つまり、自我とかマインドと呼ばれる自分になりきりすぎてしまうと、
あれこれ、悩んでしまうんですね。。。
かと言って、「夢の登場人物としての自分」というものは、、、
ファースト・ソースにとっては、宝物のように大切なものでもありますから、、、
それをわざわざ、手放してしまう必要もなく。。。
自分の中にある多次元性をよく理解して。。。
自分の中にあるこういった「矛盾」と、上手に折り合いを
つけていけるようになれば、、、人生本当に、ラク~~~になりますよ。
「平等性」とか「等価性」、、、というものを、
「夢の登場人物」が「本当に」理解することは、、、
おそらく、とても難しいことだろうと思います。
「愛」がこれまで、もっとも誤解されやすいものであったように、、、
次元が違うものを、イエソド(自我)レベルのままで理解しようとすれば、
そこに誤解が生じるのも当然です。
誤解、、、というよりは、様々な解釈の違い。。。
と言った方が、いいのかもしれません。。。
人はその言葉の中に、、、自分自身を投影して解釈する。。。
今の自分のレベルでそれを解釈する。
ですので、
ほとんどの賢者は、天上レベルで語っているのに、、、
あとに続く人が、それを地上レベルで解釈してしまったために、
本来の意味が歪められて、後世に伝えられてしまった。。。
・・・ということは、歴史の中でもよくあったことでしたね。。。
ジェームズは、「誰もが、私は知らないと言わなければならない」
と言っていますが、、、
知らないのは、「夢の登場人物」としての「私」のことです。
その私は、最後の最後まで、すべてを知ることは出来ないでしょう。。。
ですから、「解ったつもり」になった時点で、、、
すべてがそこで止まってしまうでしょう。。。
ですから私は、、、
「夢の登場人物としての私」は、上を目指して日々精進なのだ。と。
そう思っています。
けれども、、、
私達の中には、「すべてを知っている私」というも、
同時に存在しているのです。。。
ハートを通して語りかけてくるその声は、、、
その「すべてを知っている私」からの囁きです。。。
そして、、、その私は常に、、、あるがままです。。。
ただひたすらに、、、「観察者」です。。。
最後まですべてを知ることが出来ない「私」は、、、
どこまでも謙虚に、、、ひたすら謙虚に日々精進。。。
よく考えること。。。
熟考、沈思黙考、瞑想すること。。。
そして、、、内省、自己分析すること。
・・・と同時に、、、
自分の内側深いところには、、、
パワフルで、何でも解っている自分がいるのだということも、
常に覚えていること。。。
私の中には、、、たくさんの私がいるのです。。。
ファースト・ソースとしての私。。。
ソウルとしての私。。。
マインドとしての私。。。
マインドとしての私にとって、、、
考えることはお仕事ですから。
そのお仕事を手放してしまうなんて、ありえない。
ただ、余計なことを考えて悩んだり苦しんだりしてしまわないように、、、
「正しい考え方」というものを、身につけることですね。
私は、そう思っています。
今のこの地上で私たちがやることは、、、
私達が今ここにいる目的とは、、、
自我と真我を一致させること。。。
マインドは謙虚に日々精進しながら、少しづつ少しづつ、
ソウルの意識へと近づいていく。。。
それが、サヴァリン・インテグラルの体現ですから。
私がここで書いたことは、、、
ジェームズももちろん、重々承知でしょう。。。
ここで挙げた抜粋だけではなく、全体を通して広く眺めてみれば、、、
彼もそう言っていることが、おそらく解るでしょう。。。
でも、、、
賢者の言うことには常に、、、矛盾というものはつきものなんですね。。。
ですから、どの視点から物を言っているのか、、、
どの次元の「私」のことを言っているのか、、、
そういうことが見極められるようになることって、
とても大事だと思っています。