結婚してもう、24年も経ちましたが、、、
今振り返ってみると、結婚してからは本当に、大変なことの連続でした。
それでも、、、
夫も私も、考え方がものすごく楽天的なので、、、
そこは、ずいぶんと救いになったなぁと思います。
「まぁ、そのうち絶対なんとかなる。」
・・・と。。。
そう信じていたので、何があってもあまり深刻になったことはありませんでした。。。
良くも悪くも、私たちはふたりとも、、、
そういうところはいい加減なんですよね^^;
射手座がどこまでもポジティヴっていうのは、、、本当です(笑)
結婚するまでは、今思えば、自由気ままに、自分のことだけを考えて生きてきた私が、
結婚と同時にその自由を奪われ、いろいろなしがらみで八方ふさがりとなり。。。
なんだか、色々なことを手放さなければならない状況に、
強制的に追い込まれたりもしましたが。。。
そうやって、自分の本当にやりたいことが全くできない状態になったからこそ、
私はある一定の期間、スピリチュアル的なことにあれだけ没頭できたのだろうなぁ。。。と、
そう思います。
今は、あれだけ塞がれていたものが一気に開かれて。。。
今までずっとやりたかったことが、全て出来る状態になりました。
やりたいことが出来なかった頃は、「それに対する執着を手放したんだ」と、、、
そう自分の中で定義していたこと。。。
そう定義していたことで、実際にそれが出来ない状況であっても、それを辛いと
感じることはありませんでした。
でも、今実際に出来るようになってくると、やはりそれをやりたいと思う自分はそこにいて。
やっていると、すごい幸せを感じたりもして。。。
今のこの、ほんの些細なことに対してでも、
心の底から幸せだと感じられる感覚は、、、
精神的なことを深めていったからこそなのだと思うと、、、
やっぱりすべては必然で。。。
なんだか。。。
物は考えようだ。。。と。
本当にしみじみそう思います。
精神的な教えというものは、、、
この世界を生きていく時に、いかに苦しまずに生きていくか。。。
・・・のためにあるような気がします。
でも同時に、精神的な教えの盲点というか落とし穴は、、、
「このままではいけない」
・・・という思いに囚われすぎてしまうこと。。。
そんな気がする。。。
分離感が強くなってしまうんですよね。。。
そこには、「救済」という概念が生まれてしまうのです。。。
自分はもう、救われたもの。
でもあなたはまだ、救われていないもの。。。
・・・みたいな。
でも本当は、みんな同じなのです。
私以外の全ての人が、私とは違う体験をしてくれている、
もうひとりの自分なのですから。。。
私達が生きるこの物質的な世界というものも、、、
本当はとても素晴らしいところで。。。
思っていることをうまくは書けないのですが、、、
人にはたくさんのエゴイズムがあり、
それによって悲しい歴史もたくさん生まれましたが、、、
でも、、、
人には同時に美しい部分もたくさんあり、、、
いつもその部分にフォーカスしていることができたら、、、
これ以上、幸せなことってないよなぁ。。。と。。。
そう思います。
八日目の蝉の映画に出てきた小豆島のお祭りがとても綺麗で、、、
胸に響き。。。
例えば、人の信仰心や祈りというものを通して生まれたお祭りや絵画や音楽は、
とても美しく。。。
それだけでもう、、、いいのではないかと。。。