さて、前回の「見えなくなって、見えた事」の続きです。
まず、一番驚いたのが、娘。
4歳の今まで、一日たりとも離れた事がありません。
祖母の家に一人でお泊りすらなかった。
お風呂でも寝かしつけでも、なんでも
ママがいい!って私がいないとこの子どうなっちゃうのかしら?と思う程に
私にべったりだったから。
今回の入院でも、一番の心配はそこでした。
が。。。
全く、問題なく、あっさりと、パパや祖母たちとの生活を楽しんでいる様子。
泣いたのは2日目の一日だけだったそう。
うーん、どうなんでしょうか?
4歳なりに、空気読んで、我慢しているのでしょうか?
この前も病院にお見舞いに来てそうそうに、パパ友達から一緒に遊びにいきませんか?というメールが入って、どうする?と娘に聞いたら、迷う事なく、あっさりと行く!と嬉しそうに、来て20分で帰っていきました。
限られた視界から見える娘は、案外とママっ子ではなかった。
見えたのは、たくましい娘の姿でした。
(上の部分を打ち込んだのは、2日前位なのですが、昨日は寂し~って泣いてた。あんなに泣くなんて、入院してから初めてで、辛かったです)
そして、次にパパ。
ブログでもネタにしちゃったけど、本当に変わった。
つい先日にいたっては、
「今、子育てが趣味。子育てって面白いよ、知ってる?」なんてメールがきた。
知ってる!つーの!
てか、子育て4年目の今更気づいたか。って感じですけどね。
パパも初めての試みが多く、日々、反省したり、落ち込んだりとしているそう。
でも、一生懸命頑張ってる。
娘を楽しませようと、私を喜ばせようと、色々と気を使ってくれる。
様々な事を高い視点から眺め、私が自分の、ひいてはみんなの快適のためにと頑張っていた事は、旦那や娘の自立を阻み、子育ての楽しさをパパから奪う行為だったのかもしれない。
そして、その視界の良さは、パパの良さよりも、悪いとこを見てしまう事にもなっていた。
高く広い視点から見てるつもりでも、やっぱりそれは、つもりであって、ちゃんとは見えていないのかも。
やっぱり、よーく見たいなら、地べたに降りて、狭い視野で眺めたほうがいいのだ。
高いからこそ、見える事もあるけど、高いと、見えない事もたくさんある。
全ての事には裏と表があり、陰と陽は表裏一体。
私は今、家の様子、実家での娘の様子など、一切見る事は出来ない。
だから、この限られた視界から見える事を一生懸命に見る。
そして、限られたやれる事をやる。
今回の突然の入院は、お客様にも、家族にも迷惑をかけて大変だったけど、やっぱりこれからの人生には必要な事だったのではないかと思える。
自分を信じて委ねると 全て上手くいく。
娘を授かるきっかけも、この委ねてみようって、気持ちからだった。
訳もわからず、流されるのとは違う。
自分を信じて、あえて流れに乗ってみる。
だって、わたし、ホントは泳げるし、ってな感じで。
そうすると、全てが上手い方向に運ぶ。
何故なのか知らないけど、上手くいくのだ。
未来を全てを自分の思うようにコントロールしたい!という気持ちを手放して、自分の力を、みんなの力を信じて委ねてみると、思いのほか素敵な現実ばかりで、ビックリする。
だから私は余計な心配はしない。
きっと、何もかも上手くいくのだから。
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