最近、子供と話すのが
可愛くて
愛しくて
宝物を愛でているようで
幸福感がすごいんです。
そして。私にとって子供たちというのは…
この家、またはこの親が居る環境を
自分の人生の一定期間
「間借り」
するつもりでここへ
やってきた他人
という感覚があります。
(7.8年前の首里城前)
かく言う私
何年か前までは
「自分と、自分の管理する子」
という無意識ルールがあったのでね…
ええ。
旦那さんが話す子供の話にも
「ダンナが私の子育てを指摘してくる」
とおもっていたし、
自分の親がつぶやく言葉にも
「親が口出してくる」とおもっていたし
自分の責任の中で子を育てている!
と立派に(?)おもっていたので
自分が言われたら嫌だなぁと思う言葉も
普通に「常識でしょ」って使って、なんとか子供ってものを上手に(都合のいいように)自分がコントロールしようとしていた気がします。
…たぶん。?
→ちょっともう、感覚は忘れちゃっててよく覚えていない🤣💦
その頃の困った思い込みを打破してくれたのが、間違いなく
とても自分に正直でしかない、
そこに濁りがなく透明で
底知れず優しい彼(長男)でしたね。
彼が身をもって、親の・大人の(狭い)常識では対応できないような案件をガッツリ体験させてくれたからこそ、私はこう思えるようになりました。
そしてこの子たちは
この家、またはこの親が居る環境を
ある一定期間「間借り」
するつもりでここへやってきた。
のだな!と。
そして
長男の性格、人生
長女の性格、人生
次女の性格、人生
そこには大丈夫、しか無い。
なぜそう思うかって
私自身がそうだと分かったから。
そうか、誰でもそうなのだと。
もちろん、高校やめた、とかそーゆー行動ひとつのことで全てが変わったわけじゃなくて
その途中で
「私の、勝手な思い込みに気づく」
ことから始まり…
するとね
彼ら自身にもたくさんの過去生や運命があって、こだわりや愛情表現や欲しいものが別々に複雑にあるんだなってわかるようになったんです。
そしてそこに目に見えない存在としてたくさんの見守りがあることも。
↑
もっかい言うけど
自分もそうだからね。
そんなの全部なんて到底把握できないからさ笑
下手な手出しなんて
あらまぁ!なんだよぅ
無用だったんじゃん!笑
なのに、必死になってみたり
悩んでみたり
もがいてみたり
答えを探しまくって。。。
嗚呼
母心、親心の健気で尊いことと言ったら
もう、、美しすぎるだろ。
↑結局自分を褒めるっつーね笑
子供たちは
とんでもなく柔らかい頭や心をもっていて
その身体や瞳や魂が輝く瞬間を
日々の中に散りばめている。
ただの姉妹の会話にも
長男とのちょっとした電話も
音楽を聴いて歌う姿にも
キラキラがいっぱい存在している。
こんなに近くで見せてくれている。
「たまたま
間借りしにきた通りがかりのとてつもなく美しい子!驚」
ということで笑笑
今回の人生で
「親」という立場をもらった私の
視点の変化のお話しでした🌈
・・・・・
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