【神社を味方にした家康と、神社を敵にした信長】 | 龍神を香りで目覚めさせる!

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アロマ風水®創始者及び、

運命学 神道研究家の横井靖弘です。

 
 
 
神さまは私たち日本人が想像した
スピリット(意志と目的を持った意識)
であり、



祈る人々を通して、
この世(現実)にコミットする
…。



ということをお話しましたが、
このことをよく理解していたのが
江戸幕府を開いた徳川家康です。



戦乱の世、戦国時代に天下を取った家康は、
死後、神社に祭られて「東照大権現」
という神さまになりました。



「見ざる聞かざる言わざる」で有名な
日光東照宮のご祭神です。



家康は、人間も神さまになれる
ということを理解していた
様で、
自分が神さまになれるように
生前、意識的に行動していた
のです。



その理由は、自分が神さまになれば、
徳川家の天下を維持強化するために、
死後もこの世に働きかけられる

この様に本気で考えていたのです。



事実、徳川家の天下は
約300年近くも続きましたから。



家康は、徳川家のための
祈りを集合する神さまが必要
と考え、
 
 
 
 

「東照大権現」という神さまを
新たに創造し、自身を氏神としたのです。



家の初代は
神さまになる資格があるのは、
日本の伝統です。



この様に、家康が神社の扱い方に長けていた一方で、
扱い方を間違えて滅亡してしまったのが
織田信長です…。



戦国時代の中でも、
最も有名な武将の一人で、
天下統一を目前にして、



「本能寺の変」
明智光秀に討たれてしまいました。



その要因は、「ある神社」の扱いを間違えた
ことにあると云われています。



そして家康は、信長が扱いを間違えた
「この神社を適切に扱った」ことで、
その後、勢力を大きく伸ばしていく
ことになるのですが、



このことは私が
「日本の風水」で伝えたい
1つの柱にもなります。



では、僚友の運命を分けた、
その神社とは…、「諏訪大社」です。




 
 

諏訪大社に祭られている神さまは
「タケミナカタノカミ」



日本でも代表的な戦いの神さまです。
では、信長は諏訪大社に何をしたのか…。



それは、信長の嫡男・織田信忠
信州・甲州侵攻で武田勝頼と戦をしていた際に、



武田家の信仰の篤かった
諏訪大社を焼き討ち
にしてしまった
のです…。



ちなみに信長と言えば、
比叡山延暦寺の焼き討ちが有名ですが、
その延暦寺の守護神である
「日吉大社」も焼いています。



ところが、ここから信長の運命は
おかしくなります…



諏訪大社の焼き討ちの後、
隣接する法華寺の陣で、
戦勝を武将たちと共に祝うなか、



その中の一人であった明智光秀が
「我々も頑張った甲斐があり、ようやくここまで来ましたなあ。」
というようなことを発言したところ、



信長が「貴様が何をしたか!」と激怒し、
光秀を殴る蹴るして、
それを見ていた部下たちに



「叩きたいものがいたら頭をたたいていいぞ。ほれほれ。」



この様に促し
光秀に恥をかかしたそうです。



それから間もなく、
信長は京都・本能寺で光秀の軍勢に責められ、
信忠と共に自害する運命に…。



神社とは、人々の祈りの
エネルギ一の集合体です。




諏訪大社の様な歴史ある大きな神社には、
それだけ膨大な人々の祈りのエネルギ一が
積み重なっています。



祈りと言えば聞こえは良いですが、
神社の願い事はなにも
善良な思いだけではありません。



様々な欲望や、恨みつらみの
「はけ口」にもなっています。




ましてや諏訪大社の御祭神は、
日本でも代表的な戦いの神さま
「タケミナカタノカミ」です。



相当に攻撃的な長いが多いハズ…。



それを焼いたということは、
人々の内なる「魔」のエネルギ一をあび、
信長・信忠共にそろって
滅亡の道を歩んだのかもしれませんね。
 
 
 
 
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いつも最後まで、お読みいただき

ありがとうございます。

 

こころよりの感謝を込めて…。

深謝!


 
あなたの実り多き
開運を願っております!