(1)砂糖の過剰摂取の結果……
京都旅行から帰ってきてから体調を崩した。
京都のホテルから既に変調は始まっていた。
就寝の際にベッドに横になると、左手が痺れた。
京都では、かき氷やソフトクリーム、パフェやプリンなどこれでもか、とばかりに甘いものを食べまくり、夜は日本酒をあおった。
糖尿病?
という言葉が頭をよぎり、翌日から酒とスイーツを控えた。
旅行から戻ると、今度は両足の先が痺れて、針で刺されるような痛みを覚え、熱感をもった。
この痺れはやがて両手の指先にまで広がっていった。
ゴールデンウイーク中で病院は開いていない。
ヤバい。
糖尿病が進めば、両足切断、失明などに陥る。
そんな最悪の事態も頭によぎった。
私は普段からチョコレートや菓子パンなどの甘いものが好きで、つい習慣的に買い食いをしている。
こどもか!(怒)
児戯に類した自分の行動を恨み、後悔した。
(2)医者の診断は
ゴールデンウイーク明けに慌ててかかりつけ医のところに行き、診てもらった。
医師が言うには、「首」だと言う。
頸椎からきている症状ではないか、という診断である。
思い当たることがあった。
私は普段から重いリュックを背負って通勤している。
首に過重な負担がかかった状態が続いた。
その後、逆流性食道炎を患い、胃液が逆流しないように就寝時に枕を高くして眠る習慣が定着している。
旅先でも枕を2つ重ねて就寝したが、いつもより高さが違って、首の頸椎に圧がかかった。
このような原因で手足の痺れにつながったのではないか。
医師の診断を受けて、枕をもとのように低い位置に直して寝たところ、症状は改善してきている。
念のため、血液検査もして糖尿病のほうは結果待ちになる。
(3)京都に行くと具合が悪くなる
去年も桜の時期に京都に行った。
旅行から帰ると、ひどい不整脈の症状が出た。
かかりつけ医のところに行くと、医師は聴診器を私の胸に当てるなり、顔色を変えた。
あの瞬間の医者の表情を覚えているが、あまり気持ちのいいものではない。
そこで、日を改めて循環器科の医師の診断を受けることになった。
心電図を採って医師の診断を仰ぐと、ひとこと。
「加齢です」
なんか拍子抜けした感じだった。
不整脈は今でも時折出るが、ひどい時期からはずいぶんと改善された。
それでも、なんで京都に行くと決まって体の具合が悪くなるんだ。
これが不思議で、その理由を考えてみた。
去年も今年もある旅行会社のパックツアーで申し込んでいる。
コースの異同は若干あるが、去年と今年で共通して観光しているのは、東寺だ。
東寺といえば、五重塔が有名で、高さ約55メートルは日本で最高を誇る塔になる。
東寺は嵯峨天皇が空海に賜った真言宗の寺院で、京都における密教の根本道場という位置づけになる。
なにやら国家権力の威信をこれみよがしに見せつけているようで、私には不快感しかなかった。
東寺だけでなく、東西の本願寺や知恩院など京都の寺はやたら大きく、朝廷や幕府という巨大な権力にすり寄って私腹を肥してきた。
葬祭仏教とはよく言ったもので、人の死という弱みにつけこんで遺族から金をふんだくり、税金は払わない。
そのくせ坊主は普段ベンツを乗り回し、奢侈を極めた生活をしているくせに、観光客に向かって偉そうに説教する。
私は坊主も寺も嫌いだ。
東寺の塔を見上げながら、私は心の中で唾を吐いていた。
こんな内心を見透かされたのかもしれない。
(4)東寺の隠された裏の顔とは
東寺は京都における真言宗の根本道場ということを先に書いた。
天皇から代々信仰を受け、国家鎮護の寺として、国の安泰を願う寺でもある。
実はこれは表の顔で、もうひとつ裏の顔がある。
それは、講堂に安置された立体曼荼羅で表わされる密教の世界である。
密教の特徴は現世利益にある。
簡単に言うと、「これからいいことがありますように」という祈願に応えるもの。
大学に合格。良縁に恵まれる。お金が入ってくる。仕事がうまくいく等々。
東寺が建立された平安時代においては、貴族が高位高官に昇ったり、病気が治ったりという、いわば人間の勝手な欲望を満たしてくれる「便利屋」のような役割が密教に期待された。
人間の欲望というのは、こうした「良いこと」を願う積極的なものばかりではない。
「憎い相手に災いが降りかかってほしい」といった負の願望も密教は引き受ける。
いわゆる呪いである。
護摩(ごま)を焚く灌頂(かんじょう)という密教の儀式は、祈祷 (きとう) によって病気を治すばかりか、怨敵 (おんてき) を倒すいわば黒魔術という性格も併せ持つ。
東寺の講堂、特に不動明王の前では、このような政敵を呪い殺す儀式が密かに行われた。
そんなおどろおどろしいことが行われていたとはツユ知らず。
ボケーと観光客ヅラした私は、その呪術廻戦が展開されていたまさにその現場を、スゲーと口をだらしなく開けて去年も今年も見たのだった。
私が東寺を内心でディズっていたことは、先方には筒抜けだった。
ひとつこらしめてやろう。
2年続けて京都帰りに体調不良に陥ったことの背景には、そんな東寺の呪力が働いていたのかもしれない。
なにしろ、お寺のこの空間(講堂)で、千年以上にもわたって呪詛が続けられてきたのだから、その場が持つ負のパワーたるや、並みたいていのものではない。
呪術のプロにどつかれた私は、もう決して旅行で京都にはいくまい、と固く心に決めたのだった。