ご訪問ありがとうございます。
9月22日に受講した、
『誰も言わなかったアロマテラピーの本質(エッセンス)②』
数日かけて、気合を入れて書いた受講レポが、何故か消えてしまいまして 気落ちしながら2回目の受講レポを書いております。(当時の熱量では書けないかもしれませんが、ノート見ながら必死にしたためます
)
1回目のセミナーレポはコチラ
2回目は、1回目と同じく第Ⅰ部の「アロマテラピーが生まれるまで」ですが、前回が歴史的な内容だったのに対し、今回は実際に“アロマテラピー”という言葉が生まれた時代の背景や、絵画やバレエといった芸術的なことに触れる内容でした。
目次は以下をご覧ください。
第Ⅰ部 アロマテラピーが生まれるまで ~
第2章 アロマテラピーの誕生
ペニシリンもラベンダー油の医薬的利用も農民の知恵からはじまった
ルネ=モーリス・ガットフォセの逸話
ルネ=モーリス・ガットフォセの逸話の真相
アロマテラピーが誕生したときの時代背景
アロマテラピー発祥の地、フランスの現状
アロマテラピーとアロマセラピー
こんな英語は存在しません
マンガ首相とエステシャン
第3章 アロマテラピーとアール・ヌーボーとの結びつき
マルグリット・モーリーについて
アール・ヌーボ(新しい芸術)とバレエ・リュス
ルネ=モーリスとマルグリット
ルネ=モーリス・ガットフォセとジャン・バルネ博士
(アロマテラピー研究室HPより、許可を頂いて転載してます)
先ずは「アロマテラピー」という言葉がフランスで生まれた背景から。
様々な菌を抑制する物質がイギリスでアオカビから発見され、それがペニシリンと呼ばれる抗生物質になったのは有名な話ですが、その背景にある農民のお話がありました。
そして、ラベンダーの農家さんたちは、経験的にラベンダーの精油がどんなことに使えるのかを知って活用していました。
“アロマテラピー”という言葉は、アロマテラピーを学んだ方はご存知の通り、フランス人の化学者だったルネ=モーリス・ガットフォセが作った造語です。
「ガットフォセが実験中に大火傷を負い、壊死しかけた皮膚がラベンダーの精油に浸したら火傷跡も残らず瞬く間に治った」なんて言う逸話は、最初の頃に聞いたことがあると思いますが、実はそんな魔法のような話ではないんですよね。
その辺りの詳細は、高山林太郎先生が実際にガットフォセのお孫さん夫妻から聞いたお話として、紹介されています。実際に見聞きされたお話なので、説得力があります。
“アロマテラピー”という言葉が生まれた当時は、まだヨーロッパ諸国が混沌としている時代でした。フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、そしてヨーロッパだけではなく、ロシアやアジアも戦争の真っただ中にいたんですよね。
暫くそういった歴史的なことが語られたあと、アロマテラピーの発祥の地であるフランスの現状のことが書かれていました。
日本にいると、フランスでは誰も彼もがアロマテラピーを生活に用いているような錯覚を起こしそうになりますが、実際はそうではありません。“アロマテラピー”という言葉の発音すら覚束ないフランス人もいるそうです。
しかし、そのフランスでももちろんアロマテラピーを真摯に研究し続けている方はいらっしゃいます。そのうちのお一人が、「フランスアロマテラピー大全」を共著した、ピエール・フランコム氏です。
ちなみに、この本を翻訳されたのも高山先生でした。
沢山の仏書の翻訳をされた高山先生ですから、言葉の選び方や表記の仕方には大変厳しく、今回のセミナーの中でも度々その辺りについて言及されている箇所がありました。正直、見ていて少し気分が悪くなるような表現もありましたが、先生の真面目さ故なのでしょう。
後半の第3章では、マルグリット・モーリーについてと、フランスにおける芸術についてでした。
少し長くなったので、続きは次回
研究室の島田さつきさんとリンさんが、時間をかけてしっかり準備して下さったパワーポイントを見ながら、途中で島田さんの解説を聞きながら、高山先生の伝えたかった“エッセンス”を少しずつ受け取る感じでした。
今回は全7回のうちの2回目でしたが、2回目は追加募集がされています。そして、見逃してしまった1回目も、2名以上希望者がいらっしゃればリクエスト開催も可能とのこと。
内容や問合せなどはコチラへ
以前受講したセミナーの受講レポを再度読み返しながら、高山先生が遺された様々な<エッセンス>を、これからも感じて行きたいと思います。
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