ご訪問ありがとうございます。
真夏日から一転、コート着てても肌寒い小雨降りしきる中、
朝から電車乗り間違えて待ち合わせに遅れるという失態をしでかしながら、参加して参りました。
久保田いずみ先生と、Lotus Flame主宰の城所志保理先生による
『牧野記念庭園散策とアロマワックスバーWS』
募集がかかったとき、恥ずかしながら『牧野富太郎博士』の事を全く存じ上げず
が、いずみ先生だし、きっと楽しいに違いないワックスバーも作ってみたいとすぐに申込みしました。
牧野富太郎博士は、江戸時代に土佐の造り酒屋のボンボンとして生まれました。幼い頃に両親を亡くして祖母に育てられたのですが、頭が良くて小学校の勉強がつまらな過ぎて、一年で辞めてしまったそうです。
そう、中卒どころか小卒ですらない
今では信じられないですけどね~。
<博士が見つけた新種のササ。
苦労をかけた奥様の名前をとって“スエコザサ”と名付けました>
最初に講習室で30分くらいのビデオを観せて頂きました。
牧野博士は幼い頃から土佐の野山を駆け回り、大好きな植物の研究に没頭する中で、ほぼ独学で植物学を学びました。その後、東京に移り住んだ後は帝国大学(現:東大)の理学部植物学教室に出入りを許され、その後大学助手となり、最終的に博士を授与されるまでになったそうです。
日本国中を植物採取の旅で巡り、膨大な数の標本を作り、“日本植物分類学の父”と言われた牧野富太郎博士。ひたむきに「植物」と向き合い、お金や身分など全く気にせず、ただただ純粋にその研究に没頭された人物像は、久保田いずみ先生を魅了したそうです。
いずみ先生は薬科大の課題で植物標本を集める過程で牧野先生を知ったそうですが、
「牧野富太郎博士は、野口英世博士などに全く引けを取らない研究をされ、植物学者として多大な功績を遺したのに、お金にならないことばっかりやってたから、世間一般に知られていないのよね」
と仰ってました。
私も全く存じ上げなかったですがただ純粋に、ひたむきに、情熱を注いで生涯没頭できることがあるって、幸せなことですね。
関東大震災の時に大事な標本の一部を焼失してしまったことから、大正15年に現在の記念館がある場所に居を移しました。それから94歳で亡くなるまで、この地で植物研究を続けられたそうですが、没後この場所が練馬区に寄贈され、博士の愛した植物たちが楽しめる記念庭園となりました。
園内にはビックリするような大きな松の木や、様々なお花、記念樹たちが植えられていました。お天気はイマイチだったのですが、雨なのがかえって園内の雰囲気を瑞々しいものにしていました。
また紅葉の季節などに訪れてみたいです。
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