「あなたは蓮の花みたいですね」

 

そう言われたことがあります。

 

 

わたしが一番苦しかった時期、もがきにもがいていたと思うのですが、

 

その頃に言ってもらった言葉。

 

 

蓮の花の例え、とても有名だと思うのですが、

 

 

泥の中にあっていつか咲きますよ、

 

もう咲くのを待っていますよと、その方はその時付け添えてくださいました。

 

 

 

「泥中の蓮」「蓮の花は泥より出てて泥に染まらず」と呼ばれる花。


 

 

汚れた環境にいても、その影響を受けず、環境に染まらず

 

まっすぐに生きることや、その心を持っている人のことを表していたり

 

 

 

お釈迦様は、きれいな水よりもむしろ泥水の中から養分を吸い上げてきれいな花を咲かせるその花を見て

 

泥(困難や辛いことなど)があればこそ、そこから自らが立ち上がる時には清らかな大輪の花(人生)が咲くのだと

 

おっしゃったそうです。

 

 

きれいな水の中では蓮はきれいに咲かないそうです。泥の中で咲く。

 

 

 

 

どんな環境下でも

 

自分の純粋性を忘れない(信頼している)

 

花は咲く

 

濡れない

 

汚れない

 

 

 

自分が少し停滞した時期や、

 

自分の心の中に何かマイナスなものの容量が増えたように感じる時、

 

 

わたしはよく蓮の花を思い出します。

 

 

 

また、そう言った時期に蓮の花の写真を撮ってきたんだと、

 

 

知り合いの方がSNSにあげてくれていたり。

 

 

どの花もきれいですが、

 

蓮の花を見るとたしかに心に静けさが戻ってくるというか

 

 

凛とした振る舞いに見えて、

 

わたしが自分自身の大切なものを取り戻すのにいつも助けてくれるお花だったりします。

 

 

 

わたしはいつも思うことがあって、

 

 

この泥というのは自分の外側の環境と内側の環境と

 

どちらについても語りかけてくれていて

 

 

そして最終的には、自分の内側に帰結します。

 

 

わたしたちには心があって、

 

すごく傷つきやすい。

 

 

傷ついた記憶をずっと抱えたまま大人になって

 

大きくなって、いつか心を開こうと思った時に、その傷が痛むのです。

 

 

痛いというのは、つらい。

 

ガラスのハートとはよく言ったもので、

 

自分のこともさらに傷つけてしまうような、

 

もう元にはもどらないような、そんな気もする。

 

 

 

だけど、泥の中から養分を得てきれいな花を咲かせる蓮のように

 

 

つらいような、苦しいような

 

そんな私たちの感情からも

 

わたしたちは何か大切な経験を得ていて、

 

それは悪いものだけではなく、

 

 

そもそもその「悪い」という判断はわたしたちの解釈であり

 

 

悪いわけではなかった。

 

 

ただ、わたしたちはその苦しさの扱い方と苦しさの本当の姿を知らずに生きていて、

 

 

ただ苦しいものから逃れたくて、傷つきたくなくて、生きてきた。

 

 

 

でも私たちの心は本当は知っていて、

 

 

自分の心は苦しかったり傷ついたり、

 

喜んだり、楽しかったりするけれど、

 

 

一番奥の奥の方、大切な部分に光があることを知ってる。

 

 

泥の中に一粒真珠が落ちてるみたいな。

 

 

ドロドロなのに、なんかきれいなものがひとつ、ある。

 

 

それに気づいて、それを見つけた時に、

 

 

ハートが開く、ということが起きたり、

 

愛を思い出す、という現象が起きる。

 

 

痛みや苦しみを持ちながらも、

 

わたしたちはいつも光を持っていて、

 

 

そこにアクセスするポイントを知っています。

 

 

 

先日、陰陽の話をしていました。

 

 

陰の中にも陽があり、陽の中にも陰があり、

 

例えば陰にわたしたちがダイブした時、その中には必ず陽へのアクセスポイントがあるんだと。

 

 

言い換えると、

 

次の光のステージへのアクセスポイントを手に入れたことと同じなのだと。

 

 

そんな話をしていました。

 

 

 

昔のわたしは、自分が花だと気づいていませんでした。

 

泥の中にはずっといたけれど、自分が花だとすら思ってなかった。

 

 

でも、

 

「あなたは蓮の花みたいですね」

 

 

そう言われた時、自分は花なのだと気づきました。

 

 

気づいたから、わたしは光へのアクセスポイントを手に入れた。

 

 

気づかせてくれた人がいたから、わたしは花である自分を思い出せた。

 

 

 

みんながそう。

 

 

みんながお花で、咲く時を待ってる。

 

 

わたしたちは人生の中で何度かの咲く時期を神様から与えられています。

 

 

初めて生まれた時、無条件に与えられた命の開花。

 

 

成長と共に自分で自分を受容し、今度は自分で咲かせていくことを学びます。

 

 

 

生まれてきた時は誰しもが無条件に自分が花であることを信じて疑うことはなかったけれど

 

 

生きていく中、育つ環境の中で、

 

 

花であることを忘れてしまう、


または花であることを誰にも教えてもらえない、


否定されることもあったかもしれない。

 

 

こういう風に咲きなさいと、強要されてきたのかもしれない。

 

 

 

だけど、それらは全て悪いことではありませんでした。

 

 

泥としてそこに存在してくれただけのものだった。

 

 

泥がなければ、花は咲かなかった。

 

 

 

この世界の法則の、コントラストの力をいつも感じます。

 

 

光と闇は一対。

 

喜びと悲しみは一対。

 

 

開花するために、傷ついた自分に気づく必要がありました。

 

傷ついて閉じてきてしまった自分に気づく必要がありました。

 

そして何より、自分が花であったことを思い出す必要がありました。

 

 

 

みんなのお花もきれいに咲き誇りますように。

 

 

そして、次の世代へ種が引き継がれますように。

 

 

 

傷ついて自分が花であることすら忘れてしまった時、

 

気づくきっかけを与えてくれるものと出会えますように。

 

 

 

いつもありがとうございます。

 

また書きます。

 

さらより

 

 

 

 

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