私はこの世の中や人のの汚いところもわかっているけど
綺麗なものを信じる力もたくさん持っていて
そういうところが多分素直というのか純粋にバカにみたいに、子どもみたいに信じてるから
だから毎日、人の可能性を信じられるし
自分が裏でどうこう言われた時にちょっとびっくりするのだと思う。
裏でどうこう言われたことを知った時って、ショックなこともあるでしょう。
でもそのショックは、何かを言われた内容に傷ついたわけではなくて
表の顔と違うことを裏でする人が、わたしのこんな近くにもいたんだということにちょっとびっくりしてしまう感じ。
綺麗なものを信じる力もたくさん持っていて
そういうところが多分素直というのか純粋にバカにみたいに、子どもみたいに信じてるから
だから毎日、人の可能性を信じられるし
自分が裏でどうこう言われた時にちょっとびっくりするのだと思う。
裏でどうこう言われたことを知った時って、ショックなこともあるでしょう。
でもそのショックは、何かを言われた内容に傷ついたわけではなくて
表の顔と違うことを裏でする人が、わたしのこんな近くにもいたんだということにちょっとびっくりしてしまう感じ。
嘘は全部だめっていう話ではこれは全くないのだけれど。
その人の大事な部分においてそれをしてしまうことに、何とも言えなさを感じる時があるという話です。
でもね。
それでも信じていきたいのです。
人を。人の可能性を。
その人のことを。
そうじゃないときっと世界は変わらない。
だけど逆に言えば、それができたら世界はもっと
強く優しくなると思うんだ。