友達や恋人との温度差を感じる時

例えば、自分から何かを連絡したとして、

自分の気持ちの熱量に反して

お相手からの文面から感じるテンションだったり、

またレスポンスや反応の鈍さに

不安になってしまったり

それは誠意がないのではないかと感じたり。


なぜかイライラ、

モヤモヤしてしまう。。



そんな経験をすると、

次に誰かにアクションを起こすのもまた不安になったり、

お相手の言葉そのものも信じられなくなっていく。



疑い深い自分が更に自分を苦しめる。

そんなことを繰り返しているうちに


「私は愛されていないのかもしれない」

「私には価値がないのかもしれない」

「私は会いたいと思ってもらえる人間ではないのかもしれない」

と、自分自身への無価値感が襲ってきて、

誰もあなたのことを嫌いとも、

会いたくないとも言っていないのに

今度は自分からその関係を切り離そうとしてしまう。


疎遠になったり

面倒になったり

別れを匂わせてみたり

反応を受け取ることを避けたり、

逆にお相手の愛情を確認したくなったり。


どうしてそんなことが起こってしまうのだろう。


∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴


これは、お相手がどうこうという話ではなく

ワタシの心の中に大事に抱え込んでいる

「愛されるとはこういうものだ」という

何か思い込みのようなものが起こしている現実かもしれない。


と、考えてみる。


自分の思うような愛情

自分の思うようなやり方で

自分の思うような時間分

自分の思うようなボリュームで

表現してくれないと

「あなたは私のことを愛してはくれないのですね」

「あなたは私のことを受け入れてはくれないのですね」

「あなたは私のことを認めてはくれないのですね」

と、決めつけてはいないか。


お相手にはお相手の表現の仕方があり

また、私には私の表現の仕方がある。


価値観も、ライフスタイルも、

お互いにお互いのものがある。


普通はこうでしょうと、

思うことももちろんあるかもしれないね。


でも、じゃあ、

その「普通」を、

あなたはその人と共有して、

二人の中に創り上げていく努力はしてこれたかな。


それでも尚、

全く同じものにはならないかもしれなくて、

それでもお相手の愛を

感じられる自分を育ててはきただろうか。



そして、

お相手を尊重することを愛しいと思える自分は

見つけられたことがあるかな。


あなたが理解してほしいと思うように

あなたはお相手を理解しようとは

してみることはできたかな。


頭では分かろうと思っても、

なかなかうまくできない時もあるかもしれないけれど、

まだまだ、何かあなたの世界に

たくさんのフィルターが重なっていて

それがただ、そういう風に

寂しく「見せているだけかも」



察してほしいでは、

届かない。

気持ちを伝えたいなら、

伝えてみたらいいし、

だけど、お相手にもお相手の世界があることを

尊重した有り様から

伝えてみること。

それが、歩み寄りであり、

育むということであり、

愛情の存在するコミュニケーションなのかなって思います。

♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰ ⋱✮⋰ ⋱♱⋰

決めつけていること

当たり前だと思っていること

善かれと思っていることこそ

そうではないものに対して

悪いとジャッジをしやすくなります。

ニュートラルに世界を眺められると

いいよね。


さら