「あ、生きていけるかなって」

 

 

これがゆりさんが創り出したいもの(光)です。

 

 

 

とても大切な話なので、わかりにくいかもしれませんが、

 

今何か活動をしていて、

 

何のためにしているのか、

 

自分が何をしたいのか明確にしきれていないまま進んでいる方がいるなら、

 

ぜひカケラだけでも拾ってほしいので、

 

わからないなりにでもぜひご一読いただけたらと思います。

 

 

 

 

今、発達に難があると言われてしまう子どもたちがとても増えていて。

 

 

小学校の支援学級で先生をしていたゆりさんは、

 

学校をやめても、これからは学校の外でそういった子どもたちの学習について何かをやっていきたいと最初から話をしてくれていました。

 

 

 

学校の先生を退職されたのが2020年の3月、

 

4月から香り師一本で活動を進めてきてくれたゆりさん。

 

 

今が2021年の3月。

 

本格的に活動を初めてから約1年が経とうとしています。

 

 

この1年間、アロマや学習についてコツコツ発信や活動を続けてきてくれましたが、

 

特に去年は学習の分野についてなかなか形にすることができませんでした。

 

 

学習支援についてやりたいことは確かにあるはずなのに、

 

それがじゃあ具体的にどういう事なのかというと、

 

言葉にならない。明確にならない。形にならない。

 

活動ができない。動かせない。

 

なんとなく靄がかかっている。

 

 

そういう時期が1年ありました。

 

 

その間、ずっと伴走していて、ずっとゆりさんの活動の様子を香り師アドバンスのチームとして見させて頂いていました。

 

 

 

今年に入って少し学習の活動について動きが変わってきました。

 

 

ゆりさんの場が変わってきたことを感じていたので、

 

先日のアドバンスのミーティングでは、

 

ゆりさんのことを扱うと、私自身が決めていました。

 

 

 

 

 

先日、香り師アドバンスのミーティングがありました。

 

そこでね、

 

「これからゆりさんがやっていきたいことは何?」

という話になって。

 

‘’話になって‘’というか、朋美さんが話をしてくれて。

 

 

そう。

 

 

「これからゆりさんがやっていきたいことは何ですか?」

 

と、私は聞きました。

 

 

こういう質問はよくするのですが、

 

ここから対話を始めます。

 

 

「これからゆりさんがやっていきたいことは何ですか?」

 

そうすると、ゆりさんは色々話してくれました。

 

 

「アロマワックスのレッスンももっとやりたいし」

「アロマライフMasterコースももっとやりたいし」

「学習支援も」

 

ばーっとたくさん言ってくれたのですが、

 

この最後に、

 

「子どもたちがみんな集まれるような場所を作りたい」

「家みたいな」

 

ちょっと正確な表現を失念しましたが、

 

そういうことを口にしてくれました。

 

 

いつもと違うゆりさんの言葉とエネルギーだったので、すごくわかりやすかった。

 

今日扱うべきはここだとすぐわかりました。

 

ここかなと思ったので、そこを触っていくことにした。

 

 

 

「子どもたちの居場所もつくりたい」

 

 

うん、じゃあ

 

「どんな子に、そこに来てほしいの?」

 

と、聞くと、ゆりさんは

 

 

元気がよくて、

なんならうるさくて、

エネルギー有り余っているような子たち。かなぁ

 

 

そういうようなニュアンスのことを話してくれました。

 

 

その時にイメージとして見えて、聞こえたのは男の子の声でした。

 

 

「うん、そっか。

その子たちにもっと自由になってほしいのかな」

 

と、私は聞きました。

 

 

「自由、、自由?」

 

ゆりさんはうーんという顔してました。

 

 

「なんでもかんでもやって良いってわけではないし、、うーん、、、」

 

という感じのゆりさん。

 

 

「自由」という言葉がまずかったかも。

 

わたしに見えていたのは、ゆりさんと出会って自分を受け入れ、解放されていく子どもたちの姿だったので、

 

それを「自由」という言葉で表したのですが、

 

 

自由の捉え方が私とゆりさんで異なっていたので、ちょっとちぐはぐになった。

 

 

別に全然いいのです。

 

このやりとり全てがすごく大切で。

 

 

 

で、ここからわたしが見たイメージをゆりとまやと共有をしていきます。

 

 

わたしが聴いた声は

 

 

「どうせ誰も僕のことなんてわかってくれないんやろ」

「どうせやってもほらまた怒られるし」

「どうせ僕なんていらんのやろ」

 

「え、ゆり先生は僕のことわかってくれるの?」

「僕は、僕のままでいいの?」

「僕ってもっと、できることがあるの?」

「僕はここにいてもいいの?」

 

 

そういう声なんだよ。

 

わたしが(イメージで)見たのは

 

そういう閉じた子たちが、ゆりさんと出会って、

 

自分を受け入れ拓いていく姿でした。

 

 

 

教員生活は短かったんだけど、

そういう子との関わりはすごく多かったから、

 

私はそんな子たちと一緒に過ごしたいと思っているのかな?と

自分の頭の中に浮かんできたことを思いながら感じていました。

 

みーんな、苦労していたの。子も親も。

 

 

自己肯定感低くて、

自信がなくて、

その自信の無さが負の行動となったり、

やりたいことができなかったり。

 

 

そんな子たちが、

のびのびと安心して過ごせるような、

自分を出せるような居場所を作りたいのかなとふと思った。

 

 

 

うん、そうだよね。

 

 

閉じている子どもたちが、

 

自分の存在を、能力を肯定できない、してもらえない子どもたちと、

 

 

ゆりさんはずっとずっととても近くで過ごして来た。

 

 

 

で、その子たちがその子たちのペースできちんと学習を積み重ねていくと

 

ちゃんとできることが増えていく、成長していくということをゆりさんは教師生活の中で知ってたんだね。

 

 

だけど、子どもたちの成長や可能性と、親御さんの進学への気持ちがうまくすり合わせることができない。

 

 

学習支援のコーディネーターとして親御さんと進学についても話し合うことの多かったゆりさんは、

 

 

これまで歯がゆい思いもしてきた。

(これについてもリブログ先のゆりさんの記事を読んでほしいです)

 

 

だけど、ゆりさんは知ってる。

 

 

 

「この子達はやったらもっとできることがある」

 

「この子達はダメじゃない」

 

 

ゆりさんと深く関わる様になったこの1年で、ずっと私がゆりさんから感じていた声にならないゆりさんの声です。

 

 

「この子達はやったらもっとできることがある」

 

「この子達はダメじゃない」

 

 

こんなことを、この言葉で、ゆりさんは私に話したことはありません。

 

多分、言葉にしたらこれではうまく表現しきれないのだと思います。

 

 

 

 

「もっとできることがあるのにな」

 

 

こういう表現はよくしてくれていました。

 

そしていつもこの話になると、ゆりさんは気づいていたかどうかわからないけれど、

 

「自分は無力だ」という声も、漏れてた。

 

「難しい」って。

 

 

私はこの1年ずっとずっとこのゆりさんの声にならない声を何度も、何度も拾っていました。

 

 

 

それで、

 

 

「ゆりさんは、伸びていく子たちを見ていきたいんだよね」

 

「子どもが成長する姿を見るのが好きだよね」

 

 

そう問いかけて、

 

あぁ、その通りだなと。

 

昔から、子どもたちが成長していく姿を近くでみることが

 

とても嬉しくて、

とても楽しくて、

 

それが教師のやりがいだった。

 

 

そうだよね。

 

 

ゆりさんにとって、

 

 

世界とうまく関わることの難しい子たちが、

 

伸びていくことが嬉しい、

 

成長していくことが嬉しい、

 

 

それに関われることが、ゆりさんの喜びなんだね。

 

 

 

 

うん。じゃあもう少し。

 

 

「そのゆりさんが思う、”伸びていく”って何?」

「”成長していく”のその”成長”って何?」

 

と聞きました。

 

 

 

そうしたら、ゆりさんは

 

「できることが増えたりとか」

「伝えられなかったことが、伝えられる様になったりとか」

 

 

と、続けてくれました。

 

 

うん。

 

「できることが増えていくことが、嬉しいんだね」

 

 

 

このあとに、ゆりさんがぽつっと

 

 

「あ、生きていけるなって」

 

 

と、口にしたんです。

 

 

 

「あ、生きていけるなって」

 

 

 

これが、大きなポイントなのです。
 

 

 

これが、ゆりさんが子どもたちに掴んでほしいものです。光です。

 

「あ、僕はこれで生きていけるなって」

 

 

 

思ってほしい。未来に希望を見出してほしい。

 

 

 

「僕は大丈夫だ」

 

 

 

そんな風に、子どもたちが自分の未来に希望を持てることを自分自身で確信してほしい。

 

 

また、親御さんにもそうご自身のお子さんへの希望の光を見て欲しかったのでしょう。

 

 

「この子は大丈夫だ」

 

 

そうだよね。

 

 

そっか。

 

 

わかったよ。

 

 

 

「ゆりさんは、子どもたちの未来の可能性を拓きたいんだね」

 

 

と、ゆりさんに伝えました。

 

 

 

そこから、ゆりさんは教師時代にうまくできなかった、悔しかったこと歯がゆかったことをポロポロと涙を流しながら話してくれました。

 

 

今まで私の前で、声にならなかった声を、私は初めて聴いたよ。

 

 

そして

 

「未来を考えるって難しい」と、ゆりさんは言いました。

 

 

そうだね、

 

それが、

 

結局何もしてあげることがないように感じることが、

 

苦しかったんだね。

 

 

 

 

支援学級に在籍しながら普通高校を受験する難しさも知った。

義務教育が終わった後のこと、

進学のこと、

その先の就労のこと・・・

保護者さんも本当に悩んでいた。

 

 

「私たちが死んだ後、この子はどうやって生きていくのか」

「仕事はあるだろうか」

「一人で生きていける力をつけてほしい」

「税金を納めることができる大人になってほしい」

 

 

 

こういう保護者さんの思いも、たくさんたくさん聞いて。

仕事に就いて、自立して生きていく。

その難しさと先行きの見えない不安感とで、

 

「どうすればいいかな?」と

保護者さんと一緒に泣きながら話したこともあった。

 

 

 

こうやって一緒に話をできた親子はまだよかったけれど、

あまり深い話ができなかった保護者さんもいた。

 

 

 

これは数年前の話だけど、

 

見える未来は警察に捕まっているところ。

こういう子ども達もいた。

 

このままいくと、何度も警察にお世話になるだろう。

そういう姿が見えるって、

本当になんとも言えない気持ちなのよ。

そして、自分に何もできないという無力感。

 

「あーもう私には無理だ」と、

途中で気持ちが切れてしまった子も正直いた。

あの頃は私自身が今以上に未熟で、

子どもから心が離れてしまった時があった。

 

 

 

 

あの時、私は救えなかった。

 

あの時、私はできなかった。

 

あの時、私は一体なにしていたんだろう。

 

 

 

悔しかったんだね。

 

 

それを、教師時代にはできなかったことを、

 

これからやりたいなって思ってるんだよね。

 

 

 

それが、

 

 

「子どもたちの未来の可能性を拓く」です。

 

 

「私は子どもたちの未来の可能性を拓きます」

 

そう言えると、良いと思います。

 

 

「私は子どもたちの未来の可能性を拓きます」

 

 

この言葉から、ゆりさんのここからの活動全てが始まっていきます。

 

 

 

ゆりさんがなぜ学習という活動をしていこうとしているのかは、

 

こういう背景があるからです。

 

 

 

だから、

 

「子どもたちの未来の可能性を拓きたい」

 

 

そのために、できることをしたいと、思っています。

 

 

 

単に、勉強ができるようになることを意図しているわけではなくて、

 

 

見ているのは子どもたちが、

 

「あ、僕は生きていけるんだ」と、希望の光を見出す瞬間です。

 

 

 

「生きていける」っていうと、わかりにくい方もいらっしゃるかもしれないのですが、

 

 

私はとてもとてもよくわかるのです。

 

 

この

 

「あ、生きていけるな」って言った、

 

ゆりさんのこの一言を今思い出すだけでも私は涙が出そうなくらいに、

 

 

こう本人が思えることが、

 

どんなに本人にとって、

 

また親御さんにとって光なのかが、

 

私にはよくわかるのです。

 

 

 

発達に難があると言われない一般の子たちだって、

 

 

高校受験や大学受験の時期、どれだけナーバスになっているか。

 

 

自分の未来がこれで決まってしまうのではないかと、

 

本当には、決してそうではないけれど、

 

 

未来への期待と不安、

 

自分の能力への期待と不安、

 

 

自分のこれからが見えない、決まっていないということへの不安って

 

 

計り知れない。

 

 

 

とても、とても不安定に見えることがあります。

 

 

だから、どんな人にとっても、

 

 

「あ、これで生きていける」と、思えることは、

 

人として言葉にしようのないくらいの希望であり、光です。

 

 

 

そういうものを、わたしたちは創り出したい。

 

 

それがゆりにとっては、学習やアロマを通してだし、

 

他の香り師たちにとっては、また別の入り口だったり、

 

希望を見せたい相手が子どもではなく他の人たちだったりもします。

 

 

 

これ以上説明するともうわけがわからなくなると思うので、

 

とりあえず今日はゆりさんのこの記事にお目通しいただけるととてもうれしく思います。

 

 

 

そして、人って、

 

自分がやりたいこと、叶えたいことの一番根底にあるものを

 

自分で拾い上げることが本当に難しいのです。

 

 

これができる人と、できない人では

 

本当に生きる意味が変わってくるのです。

 

 

これがみんなそれぞれの「道しるべ」になるから。

 

 

香り師のみんなには、これを見せてあげたいなって、私は思ってる。

 

 

 

がんばろうね。

 

 

写真はまだ香り師ベーシックでお勉強の教師時代のゆりぽん。

 

 

 

 

 

 

 

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