実際に見ると久しぶりに哀しみ通り越し怒りすら覚える、私目線での話でしかないですが。
 
 



エタノールは消毒したい気持ちは色々な意味でまだわかるとして
(本来は個人的にはそんなに必要ないと思っていますよ、意味がわからない)
 
 
精製水までも安易な判断で買い占められる。
 

 
無水エタノールと消毒用エタノールの違いもわからず買って、精製水で薄めるレシピで薄めて、それで🆗だと思っているその安易な安心感の裏で、
 
 
 

本当に必要な人がとても困っている。
 
 
 
勉強せぇよ。
 
勉強することには時間もお金も出し惜しみ、
 
知ろうともせず、無料で得られるもので済まそとして、
 
 

からだの仕組みも、生き方も、自分の人生も。
  
 
真摯に向き合ってこなかったからこそ、
 
今なにかが起こっているのかもしれない。
 
 

 
自分の責任は棚に上げ、
 
 
すべて誰か任せにしているから
 
不安が大きくなり、誰かを責め、奪い合うことしかできなくて、文句ばかりで、
 

結果誰かの命に危機を与えるほどの罪レベルのことに加担していることにも気づくことなく
 
 
またエタノールも精製水も自分の手を荒らすためだけに使うのかと。
 
 
その荒れた皮膚は私にはここにバリアがありませんと言ってるようなものではないの。
 
 

 
ソーシャルディスタンス、自粛、消毒、レジの飛沫防止の仕切り、手袋、ゴーグル、
 
 

この分離感が自分の中で当たり前の感覚になってきていることに危うさを感じている人はどれくらいいるのでしょう。
  
  

この分離感に慣れてきていることにそもそも気づいてるのかも怪しい。
 
 
 

 

 
エタノールも次亜鉛酸水も使いすぎではありませんか。



それがないと怖くて不安で不潔で、というその精神への影響は、


健全ですか。




逆に病を引き寄せはしませんか。




 
 
「消毒しなくては」という一側面しか不安に駆られてみることができないから
 
 
こういうことになるのではないかと、考えてみたってバチはあたらない。
 
 
 

使うなと言ってるわけではなく、
 
この同調圧力の中でそれがあることで助かることもあるから持っておくことが必要な人もいるでしょう。
 
 
 
それがわかるからマスクだって継続して取り扱っています。少なくとも私は。
 (他にも理由はあるけれど)
 

  

エタノールも次亜鉛酸水も、荒らすのは手の皮膚だけじゃないでしょう。
 
 
 
からだ全体への影響があります。



免疫を上げよう!と誰しもが声を上げている中で、


それらの過剰な使用は、矛盾を感じるものが多い。




なんでそんなに視野が狭い。
 
 
エタノール云々どうこうではなくて、
  
 
その物事の見方の癖が、
 
すべてのシーンで偏りを生んでいることに気づくことが大事だと思うよというつぶやきです。
 
 

 
この意見もただの私の偏った視点でしかないけれど。
 
 
 
人間の朋美より