「目に見えているものが全てではないよ」
当たり前だけど、視覚からの情報が多くを占めていると目から入ってくるものが「真実」のように感じてしまうことがあります。
私たちが認識できる世界なんてほんのちょっとのことで、目に見えている世界なんてそれこそ「だからどうした」レベルのものなんですど、それが自分の世界を構築していると思ってしまうんですよね。
様々な情報が溢れて、それが玉石混交しているわけです。
どれを見るのか受け取るのかは自分自身で決められます。
私たちは「見たいもの」を見て、「聞きたいもの」を聞いて…感じたいように生きているのです。
人間ですから、この自分でいる時間というのは有限です。
それをどう生きるのか。
視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚という五感が全てではないのです。
むしろ五感というのは、この物質世界を楽しむための感覚なんだろうと思うのです。
しかし、この五感というのが厄介で、本来の感覚器官とでもいえる第六感を抑えてしまう。
第六感の方が、私たちの本来の感覚器官でもあるはずなのです。
なぜ不快なものを見てしまうのか。
なぜ嫌だと思うことが起きるのか。
そういうことは全て、自分が意識を向けているからです。
「それを見たくない」「感じたくない」というのは、拒否しているという意識を向けているのですから。
第六感は直感力とも言われます。超能力とも。
それはそう。
物質の本質を感じ取る力なのだと思うのです。
「思考は現実化する」
という認識が割と当たり前になってきました。
逆に言えば、「現実を見れば、その人の思考がわかる」のです。
実際のところ、「思考」ではなく、目に見えないエネルギーなわけですけど。
どちらにせよ、自分を観察することで、なぜこの現実を見せられているのか腑に落とすことはできるのではないかなと思うのです。
五感と第六感のバランスを取るのは瞑想がおすすめです。
感覚器官の大部分は視覚なので、それを休ませることで、意識を内側に向けさせてくれます。
視覚は外側を認識する感覚ですからね。
内側に意識を持っていくと、自分を観察しやすくなります。
そうしたら、これからどんなエネルギーを自分が発せば自分の世界が見たいもので溢れるようになるのわかってくると思いますよ。
感謝を込めて☆
ありがとうございます。