カタカムナウタヒに興味を持ち、ここ毎日はウタヒに浸かっているような日々が続いています。
縦書きでも横書きでもない、螺旋に言葉が綴られていく。
まあ、長文を書くのは難しいので、段落で区切るしかない上に、段落で区切ったところで、長文だと読み辛いったらありゃしないということになるので、ウタヒ以外はなかなか適応できないなぁと思いながら眺めたり音読したりしています。
一体私たちは古代の文明が現代より劣っているといつから思わされていた?ということを考えてしまいます。
縄文文化然り、メソアメリカの古代文明然り、四大文明然り。
なんだったかな?
文明が発展しきった先にあるのは衰退だということをつい最近、なんかのテレビで聞いたような気がします。
栄枯盛衰。盛者必衰。
だからそうなる前に方向転換をして、次代へと繋げていくのでしょう。
アトランティスは文明が発達しすぎて滅んだと聞いたことがありますし、レムリアは全てがありすぎて、愛に満たされていたがためにそうでない歴史を望んだという話もあります。
きっと今も、古代の文明に想いをはせる人が増えていくのはそういうことなのかもしれません。
産業革命から続く資本主義の世界が飽和する先は、資本主義社会の衰退ということになるのでしょう。
特に、風の時代の入口をくぐったのですから、そうなっていくのかもしれません。
だからと言って、古代文明に戻るということではないのでしょう。
カタカムナウタヒは螺旋を描きます。
その螺旋は平面に描かれたから渦巻きなだけであり、本来は立体構造だったのではないかと言われています。
つまりは中心のシンボルとも言えるマークを頂点に下がってくるもの、そして対極には螺旋に昇っていく見えないエネルギーがあるのです。
ウタヒはシンボルマークから降ろされる神のエネルギーを地上にいる私たちが受け取るための装置とみることもできますね。
古代にあり、現代薄れているのは、見えないエネルギー、つまり神との繋がりなのかもしれません。
宗教を越えてもっと根源的な宇宙というもの、森羅万象に宿るスピリットという意味での神様との繋がりでしょう。
人間が特別で頂点ではないが、人間も特別で頂点であるのです。つまりは全てがそうあるために生まれた存在でその一つ一つが特別で頂点であるということなのだろうなと思うのです。
まあ、まだしばらくカタカムナ及び古代の叡智への継承の探究は続きそうです。
気がついたら、壁に自分の名前やら何やらのカタカムナが増えていたり(笑)
他にもカタカムナウタヒのように自分の名前をぐるっとさせたお守りのようなマステなどグッズを作ってみています。
ただ、まあ、私の名前なので、大量に作っても私しか使わないので、誰でも使えるような言葉をウタヒの中に落とし込んでグッズにして作ってみたら面白いなぁと思っておりますよ(普通のウタヒの5、6、7、8首あたりはTシャツやら何やらになっていますのでね)
感謝を込めて☆
ありがとうございます