いつもの様にホテルに荷物を預けて、沼津駅に行き電車のホームに階段で降りている時、東京のテレビのリサーチ会社・クリエイトの岩間様より電話が入りました。[テレビ朝日の「目撃ドキュン!」に出て頂けますか?]と言う、有り難い電話の内容でした。私は、とても嬉しく、すぐに「よろしくお願いします」と返事を返しました。

「後ほど担当の者から連絡します」と言う返事が返ってきました。嬉しくて、嬉しくて仕方ありません。すぐ妻に伝えました。[やったぁー・・・!]と、二人の心は跳びはねています。長崎出発の前の夜、深夜三時過ぎまでかかり、祈るような気持ちで、東京のこのテレビ関係の所へ送る資料づくりをして、出発した事が無駄ではなかった・・・。と、改めて、[何事も、諦めず、ぎりぎりまで努力するという事が大切である。]と言う事を、強く感じさせて頂きました。長崎出発前の私達の心の中には、東京でのテレビ関係には何処と言って何の知り合いもなく、ただ不安のままでしたが、「どうにか成っている。天の神様が必ず観て下っている。」と、強く信じ、出発したのでした。[奇跡が起こり始めている・・・。]という喜びを胸に、今朝の足取

りはとても軽かったです。

列車で東田子の浦に戻り、昨日の歩き残しの所から手ぶらで歩いています。

雨に会い、今雨やどり中です。自宅からメールが入りました。今日時点29679名という事です。ご協力頂きました皆様本当にありがとうございました。

勿論、傘もカッパもホテルに預けていました。

ところが、晴れていた空が曇ってきて、雨が降り出してきました。

途中で、傘もカッパも買う店がなく、よその軒先を借りて、雨宿りしながら、雨をしのいで、沼津まで帰ってきました。十四時十分、今から昼食です。再度自宅からメールが入りました。署名の合計30505名と言うことです。本当にありがとうございます。

ホテルに寄って、荷物を取って、その日の目的地の三島まで歩きました。傘とカッパを手にした瞬間から、天気は良くなり、雨の心配は無くなりました。皮肉なものです。

午後四時、三島に到着しました。

三島は、東海道の最も難所である箱根の山の登り口で、昔から栄えた城下町です。

4月9日、静岡県最後の町、三島市に到着しました。

いよいよ明日、東海道最大の難所の、箱根越えです。

今回の出発の時、みなさんから、箱根は大変と脅かされていました。

その、箱根の山が、目の前に見えています。

箱根は、箱根八里と言われる様に、30キロ以上あり、とうてい一日では越える事は出来ません。しかし、今の私達にとって、箱根の山以上に、大きな山がありました。

それは、あと10日後に到着する東京のNHK放送センターです。

出発して大阪までは、ゴールの東京の事はあまり考えてはいませんでしたが、京都ぐらいから、ゴールのNHK到着の事が頭から離れませんでした。

今回、長崎から東京まで1500キロを歩き、全国の人に、私達の夢と目的をお話して、夢の紅白出場をお願いする旅で、どんな形で、NHKの人に会ってもらえるかが、一番の課題でした。

三島に到着した日、東京のNHK放送センターに電話をしました。

用件は、「平成14年4月19日、午後2時、NHKに署名を持って、紅白出場のお願いに行きます。」と言う電話です。

NHKの人は、あまりにもばかばかしいと思ったのでしょう、相手にはして頂けず、冷たい返事が返ってきました。よく考えて見ると、当たり前の事です。

NHKの紅白は、限られた人か、歌が大ヒットしないと、出場する事はできません。

たとえ、署名を100万人分集めても、長崎から東京まで歩いても、紅白の基準には入りません。

その事は、初めからよくわかっております。

「奇跡が起こる事を信じて」歩きました。

でも、現実は難しく、私の心にあせりがありました。

なぜなら、此処まで、たくさんの人に助けて戴き、たくさんの署名を戴き、また、多くの人の期待を背中に背負って、ここまで歩いて来たのです。

妻も、私の夢を叶える為に、体調を崩しながらも、重い荷物と、目の悪い私の手を引いて此処まで、ついてきてくれました。

そんな多くの人に、「ご恩返しがしたい。」そして、「夢は叶う」と言う事を証明したいと思いました。

私達夫婦は、夢を叶える為に、東京のNHK放送センターの会長様に、手紙を書こう。そして、紅白の出場をお願いしようと思い、祈る様な思いで、手紙を書きました。

その時に書いた手紙が、この手紙です。

 

[NHK会長様へ]

 

はじめて、お便りさせて戴きます。

私は、佐賀県の嬉野町に在住致しております、キングレコードの岸川美好[54才]と申します。

市川昭介先生とご縁ができ、平成12年6月21日、キングレコードより、歌手デビュー致しました。

デビューの日、歌い手の頂点であります、NHKの紅白歌合戦の出場を夢見て、活動してまいりました。

今年1月15日、夢の紅白出場を実現したいと思い、長崎を出発しました。

私は、重度の視覚障害者で、一人で歩く事が出来ず、妻の手引きで、本日静岡県の三島市まで、来る事が出来ました。

旅の目的は、[NHK紅白に岸川美好を出場させて下さい]と言う、請願書に署名を戴きながら歩く事と、その署名を戴いた請願書をNHKさんに持参する事。

もう一つは、各地の皆様に、盲導犬の育成支援をお願いしつつ資料の配布や支援金を戴きながら、歩いております。

途中、各地の応援者の方々が、NHK紅白出場の請願書の署名をお願いにまわって戴

き集めてくださった署名の数が、今日、現在で、3万人以上となっております。明日は、三島市から、箱根越えをしてまいります。

4月18日、午後4時、第一目標の東京の日本橋、東海道五十三次ぎの出発点、記念碑のある所につきます。

翌日の19日、日本橋から出発して、東京都内を歩きながら、最終目的地のNHK本社に午後2時に到着致します。

誠に、ぶしつけなお願いではございますが、私共夫婦のおもいをご理解戴き、全国の皆様から、戴きました署名[三万人以上]を[直接会長様に手渡す事ができたら・・・]とせつに願っております。

会長様は、大変お忙しい方とは存じておりますが、どうか、三万人以上の方々のお心を直接お受け取りくださいます様、伏して、どうかよろしくお願い申しあげます。

本当に、身勝手なお願いと存じております。もし、19日2時と言う時間、会長様の方にご都合があられましたら、会長様の都合の良いお時間に合わせてまいりますし、待たせて戴いても、直接お渡し致したいと願っております。

お時間の方、下記の電話にご連絡頂ければ幸いでございます。

 

090-4995-9753

090-9587-2003

 

当日は、請願書の署名と今まで各地で、取材して戴きました、新聞のコピーなどの資料もいっしょにお持ち致します。

どうか、よろしくお願い申しあげます。

 

H14、4,9、

                                           岸川美好

                                           岸川洋子

[この時の手紙が、十日後の東京に到着した時に、大きな力に成っていました。]

 

この手紙を書き終え、明日の準備にかかりました。いよいよ明日は、東海道最大の難所の箱根越えです。箱根の山越えにそなえて、荷物を極力減らしました。

ここまで、重い荷物を乗せて押してきた乳母車は、ゴールの東京のホテルに送り、カセットやCD、そして衣類は、嬉野の自宅に送り返して、最小の荷物にまとめて休みました。

[宿泊地 三島市 アルファーワン]