この日は、防府市から、新南陽までの行程で、朝、[養心の会]の前田敏統様と奥様が、心のこもった、お弁当を持って、ホテルに迎えにきてくださいました。

温泉の町、湯田での素晴らしい出会いと。人様のぬくもりを感じながら、前田様の車で湯田温泉とお別れし、防府市まで送って戴きました。

その後、前田様、ご夫妻ともお別れして、いつもの様に、夫婦旅が始まりました。しばらく歩いていると、椿峠と言う交通の難所があり、大変苦労しました。また歩道が無く、歩きにくい長いトンネルがあり、本当に恐い思いをしました。

今まで、トンネルの中は、車でしか通った事は無く、トンネルの怖さを知りませんでしたが、実際に歩いて見てトンネルの怖さをしりました。特に歩道の無いトンネルは、車がすぐ横を通り、吸い込まれる様な気がして、生きた心地がしませんでした。しかもトンネルの中は、音が反響して響き、音と車の風圧で、本当に恐い思いをしました。

また、トンネルの中は、排気ガスが酷く、息苦しく、マスク無しでは歩く事が出来ませんでした。

トンネルの中は暗く、息苦しく、風圧が強く、音は響き、本当に危険な所です。こんな恐いトンネルが、途中何度もありました。

そんな恐い思いをしながら、午後3時、新南陽市に到着しました。

新南陽市では、心強いお助けマンが待っていて下さいました。

その人は高畠正義様と言う人で、嬉野町の中島利允様の友人で、本当に親切な人です。

高畠さんも、以前、仕事の関係で嬉野町におられたそうです。

今回、中島利允様が私達を助ける為に、高畠様に連絡をとって下さり、私達の面倒を見る事を頼んで下さったそうです。

高畠さんとお会いするのは、この日の午後が始めてでしたが、それまでに何度も助けて戴いていました。高畠さんは、山口県に入った日から、私達の宿泊ホテルに、ファックスで、道路地図を送って下さっていたり、各市役所に連絡を取っていて下さいました。そのお陰で、迷わずにここまで来る事が出来ました。

高畠さんは、私達を助ける為に、知り合いの人から大型のワゴン車を借りておられ、2月14日から、2月19日まで[新南陽市から、岩国まで]の6日間、つきっきりで、手助けをして下さいました。

高畠さんと始めてあったのは、この日の午後3時、新南陽市の国道でした。私達は道に迷って車専用の道を歩いており、行き先が解らず難儀をしていました。

そんなピンチの時、道路の向こうから[コッチ・コッチ]と声をかけて戴き、ピンチを脱出する事が出来ました。

車専用の道から、人の通る道に戻る為には、1キロ以上も戻らないと、いけないので、道路脇のガードレールをくぐり、車専用の道から出る事が出来ました。

這うようにして、ガードレールをくぐって、向こうへついた所に、高畠さんが待っていておられました。高畠さんは、ニコニコ顔で、私達を迎えてくださり、労いの言葉をかけて下さいました。

この日は、防府市から、新南陽市までの予定でしたが、お助けマンにお会いでき、元気が出て、予定以上に歩く事が出来ました。この日から、山口県を抜けるまでの6日間、高畠さんは、私達を側面から、サポートして下さいました。

午後6時、高畠さんの助けを借りながら、その日の宿泊地の徳山市のホテルに到着しました。その後、ホテルで新聞の取材をして戴き、徳山市の居酒屋に行きました。

居酒屋には、徳山市盲人福祉協会会長の石村恒久様と奥様の和恵様。盲学校時代の同級生、立木秀男様や先輩の方5め名の方が、私達を待ち受けて嬉しい激励会をして戴きました。

昼間8時間以上歩いて喉も乾いており、本当に生ビールがおいしく感じました。

約2時間の、楽しい食事会も終わり、みんなでカラオケボックスに行き、それぞれ得意な唄を披露してくださいました。

[宿泊 徳山市 ホテル・アルフレックス]