出発 平成14年1月15日(長崎) 到着 平成14年4月19日(東京)

岸川美好&洋子

 

平成11年9月 作曲家 市川昭介先生との出会いから物語が始まりました。

唐津のシーサイドホテルで作曲家「市川昭介先生」と運命的な出会いがありました。

そして、私の作品に曲を付けて頂く事が決まり、翌年6月に.キングレコードより演歌歌手として52歳で歌手デビューしました。

デビューの日の、新曲発表会で 夢は「NHK紅白歌合戦の出場」と宣言しました。

それから、どこに行っても誰と逢っても 夢は紅白 紅白と言っていました。

平成14年1月15日、夢を叶える為に東京のNHK放送センターに行き、NHKの会長に

直談判する為に妻と二人で長崎から東京までの1500キロを三か月かけて夫婦で歩きました。

出発の長崎からゴールの東京まで多くの人との出会いや励ましのお陰で無事東京に到着しました。

この旅で出会った人、この旅での出来事など一人でも多くの人に知って頂きたいと思い平成14年6月に株式会社 文芸社より「長崎東京夫婦旅」と言う書名で出版しました。

今回、このブログで長崎から東京までの93日間の出来事を書いていきたいと思っております。

長い文章に成ると思いますがぜひ、最後まで読んで頂ければ幸いに存じます。

もし、よろしかったらお友達にもご紹介くださいませ。

よろしくお願い致します。

 

1、長崎出発式 

 1月15日

毎日新聞の社会面に九州版で、今日の出発の事が掲載されます。と、深夜12時、記事を書いて下さった記者の方から連絡を頂き、嬉しさのあまり、新聞販売店に深夜2時30分に妻と二人で、その新聞を買いに行きました。

通常、社会面での掲載は困難で、取材して下さった米田さんも自分の書いた記事が社会面になった喜びで、祝杯をあげていらっしゃるのが伝わってきて、熱心に取材して頂いた成果を共に喜び合いました。

私達夫婦の作業はこの時間もまだ続いております。

やっと全国の盲学校に送るDMを詰め込んで1月15日・午前4時05分就寝。午前7時起床。

8時45分より4分間、NBC佐賀ラジオ様より電話インタビューを受けました。

自宅を朝9時05分に妻と母、息子・妻の妹と事務員さんと6人で車に乗り込み長崎に向けて出発、10時10分、長崎県庁に到着。

いよいよ平成14年1月15日、私達夫婦にとって、過去に経験のない過酷な旅がスタートしました。

NHK紅白出場という、とてつもない夢をつかむ旅です。

振り出しは、長崎県庁玄関前において、長崎ライオンズクラブ様30名のご参加で、私達の為に出発式をして戴きました。

会場には全重協会員・雲仙のコロニーの前田様や以前嬉野温泉で神泉閣の副社長をされていた上村紀元様、三好徳明事務所の中尾実様、大久保様のお姿もあります。

出発式では、長崎県知事の祝辞の代読を出納課の課長様がなされ、長崎ライオンズクラブ会長様の激励のお言葉、そして、長崎県議会議員の三好徳明先生のお言葉を戴きました。

三好先生は私達の長崎県の後援会長で、大変お世話になっております。

この先生とのご縁は、三年前、新聞に掲載された私達親子を町のお祭りに来て欲しい。と、長崎県の時津町にちんどん屋さんでお招き頂いた時からのお付き合いで、私達の趣旨をご理解下さり、長崎では本当に心強い応援を頂いております。

大分県野津町中央公民館の高橋光秀様・ネッツ・佐賀トヨタ様・大分の作詞家 乃村栄一様より電報を頂いて出発しました。

当日は、KTNテレビ長崎・NIB長崎国際テレビ・NCC長崎文化放送・NBC長崎ラジオ[スキッピー]・朝日新聞・西日本新聞様と、数多くの報道関係の方に取材にきて戴くことができ、その日の夜のテレビニュースで放映されました。

本当に、本当に有り難い事です。

今回、出発地を長崎にした理由は、二つあります。

一つは、長崎のライオンズクラブ様より、盲導犬を贈って戴く事が決まったからです。

二つ目は、昔の長崎街道を歩いて江戸に行きたいと思い、長崎街道の出発点の長崎から出発する事に致しました。

長崎での出発式は、平成14年1月15日、午前11時、長崎市の長崎県庁でして戴きました。

お見送りの人も、約60人の方が、集まっていただき、盛大なる出発式をして戴きました。

お見送りの人の激励のお言葉の後、私が旅の決意を述べて、午前11時22分に、私が作詞・作曲した、新曲[二人三脚夫婦旅]の曲で、1500キロの旅がスタートしました。

もちろん、この見送りの中には、長崎・東京徒歩の旅を猛反対した、母、ミツエの姿も、長男、伸資の姿もありました。

また、大阪から駆けつけてくれた、妻の妹、国分清子の姿もありました。私達夫婦にとって、絶対に引き返す事のできない旅のスタートでした。

背中に食い込む、重いリュックと共に、多くの人の夢と期待がかかった、命がけの旅です。本当に前に行くしかない旅です。

家にいても、まったく歩いた事のない、私達夫婦にとって、1日15キロ以上歩く事は大変困難な事です。しかも100日以上、毎日歩き続ける事は、気の遠くなる話です。

午前11時22分、長崎の県庁前を出発して、約1キロぐらい歩いた所で、お見送りの方や、テレビ等の報道関係の方とも別れて、夫婦二人きりに成りました。

もちろん出発したばかりです。二人とも元気そのものです。

足も手もどこも痛い所はありません。気持ちも軽く、晴れ晴れした思いとルンルン気分で長崎の町を歩きました。

今回、私達夫婦の希望で、出発時間を11時22分にして戴きました。理由は11時22分、11、22[いい ふうふ]のごろあわせです。

これは、余談に成りますが、私達の車のナンバーも11ー22[いいふうふ]です。

また、長男の車のナンバーも11ー22[いいふうふ]です。

出発して、約1時間 ぐらい歩いたところで、長崎名物[皿うどん]を食べて、その日の目的地の[矢上町]に、向かって歩きました。

長崎は坂の多い町で、大変きつい思いをしましたが、途中何度か休憩をしながら、その日の目的地に到着する事が出来ました。

ルンルン気分も途中から足の痛みとリュックの重みで肩・背中・腰に変化が現れはじめました。トンネルに入る前に用意しておいたマスクを付け、額から電気を照らし、安全を確認しながらトンネルを抜け出た時の喜びはひとしおです。お陰で、喉が守られました。足をひこずり、ひこずり、一歩・一歩前進するのがやっとです。お互いに

疲れと、足の痛みとで、会話も、そこそこになります。田中先生から何度も電話がはいります。[今・何処ですか?]そういう会話を重ねながら、自転車で田中先生に迎えに来ていただきました。

矢上町の、カラオケ喫茶[晴れたり 曇ったり]の田中先生が、お店に、カラオケの生徒さん10数名を集めて、紅白の白を意識して下さり、白ワインで、先生の激励の言葉で皆様と乾杯をし、私達の為に激励会をして下さいました。

出発して始めての激励会です。思いがけぬ事だけに、その喜びはひとしおでした。此処まで歩いて来た足の痛みも、背なのリュックの重みも、一瞬にして吹き飛んでしまいました。私は、デビュー曲の[春びより]・[雪どけ]の二曲を歌って、たくさんの拍手を戴きました。また、手持ちのCD、5枚、全て買って戴きました。

また、(有)ぺぎーちゃん本舗 菊屋の会長様・河島竹次郎様より、おいしい長崎カステラの差し入れをして戴きました。

約30分間の激励会ではありましたが、本当に私共夫婦にとりまして、大きな励みになった激励会でした。

[宿泊 長崎市網場町 大名料理 肥前屋]