2019年4月(ふるさと嬉野に帰ろうよ)の歌が出来ました。

きっかけは、2018年12月の嬉野市の議会放送(ケーブルテレビ)を見た時に思いつきました。

ある女性の議員さんが福井県の大野市に視察旅行に行った時の話がヒントになりました。

福井県の大野市は人口31000人の市で若者が都会に出ていき地域に元気がなくなっているとの事でした。

そこで、都会に出ている若者達にふるさと大野に帰って来てほしいとの願いをこめて(大野に帰ろう)と言う曲を市が作ったそうです。

もちろん大野市の予算で広告会社に作ってもらったそうです。

この話を聞いた時嬉野市も人口減少で若者が都会に出て行き元気のない町になっており、なんとかしたいと思っていました。

こんな思いから出来たのが(ふるさと嬉野に帰ろうよ)と言う作品です。

早速、詩を書きました。

曲名は大野に帰ろうを真似して(ふるさと嬉野に帰ろうよ)としました。

次に曲を作りました。

そして、いつもアレンジをして頂いている東京の佐藤さんにメールで歌詞と曲を送りました。

数日後、デモが送ってきました。

少し手直しをして頂き一週間後に完成品が送ってきました。

次は、歌の吹き込みです。

今回は、妻の岸川洋子がサンプル曲の吹き込みをしました。

毎日、一時間のレッスンを一週間行い福岡のレコーディングスタジオで吹き込みをしました。

4月10日、ふるさと嬉野に帰ろうよの予選会をカラオケアロマで行いました。

当日は、二十数名の参加申し込みがありました。

予選会は課題曲は決めずに自分の特異な歌を歌って頂きました。

審査の結果は全員合格です。

なぜなら、みなさんふるさと嬉野に帰ろうよの歌を知らないからです。

オーデション終了後岸川洋子が吹き込みましたふるさと嬉野に帰ろうよのサンプルCDを全員に配りました。

決勝戦は6月に行い最終的な歌い手を決める事にしました。

当初は1名選ぶつもりでしたが複数の人が歌う方が広がりができるのではないかと思い数名選ぶ事にしました。

決勝戦は30名の方の応募があり7名の方が選ばれました。

審査委員はプロの歌手の人と作詞家の先生5名で審査をしました。

みなさんよく練習をしておられ、選ぶのが大変でした。

その後、私共がカラオケアロマにて歌のレッスンを二週間行いみなさん素晴らしいになりました。

そして、7名の歌い手さんが二週間後嬉野の私の事務所でレコーディングをしました。

通常、スタジオで行うのですが7名の人を連れて行くのは大変ですので特別に嬉野に来て頂き私の事務所で吹き込みをしました。

7月30日待望のふるさと嬉野に帰ろうよのCDが出来ました。

CDには7名の合格者と妻の岸川洋子の8名の歌とカラオケを収録しました。

8月4日、待望のCDが出来てきましたので8名の歌い手さんにCDの贈呈式をカラオケアロマで行いました。

当日は地元のケーブルテレビが取材に来てくださいました。

みなさんとても喜んで頂きました。

今回は、全て私が資金を出して1500枚のCDを作りました。

そして、8名の歌い手さんに100枚づつCDをプレゼントしました。

皆さん初めての体験で感激しておられました。

そして、記念のCDをお友達や知り合いの人に配ると言っておられました。

私は残りの800枚を地元の学校や福祉施設 老人会 婦人会などに配りました。

また、東京 大阪などにおられる嬉野出身の団体関東嬉野会 関西嬉野会などに送りました。

また、8名の歌い手さんの歌をユーチューブにアップしましたのでたくさんの人に聞いて頂いております。

また、通信カラオケ(ダム)にも入れて頂きましたので全国で沢山の人に歌っていただいております。

この曲が地元嬉野の発展に役立ち若者がふるさとを思い出し嬉野に帰って来てくださる事を心から願っております。