前回の嬉野市長選は告示の一週間前に突然立候補を決意して選挙に出ました。

立候補をする為の準備で、全く選挙運動は出来ませんでした。

前回の市長選は、前の市長が引退して新人二人の一騎打ちの選挙に成る予定でしたが。急に私が出た為に三人の選挙になりました。

結果は前市長が推薦する35歳の新人が当選しました。

今回も前回と同じ組み合わせで、三人の戦いになりました。

前回は選挙の一週間前の突然の立候補で全く選挙運動は出来ませんでしたが今回は四年間の運動期間があり100%活動しました。

一番初めにした事は候補者としての公約を決める事でした。

私の主な公約は 市の財政の健全か 市の無駄を省く 市長の給与の減額と市長の退職金の廃止 市民への行政サービスの充実などでした。

私は、嬉野市の現状を正確に知りたいと思い嬉野市に10回以上質問状を出して現在の現状をお尋ねしました。

すると可なりの無駄がある事が分かり、嬉野市の課題が見えてきました。

多くの市民は何も分かりません、全く市の財政など関心がありません・。

勿論、私も選挙に出るまでは、全く関心がありませんでした。

嬉野市から聴いた嬉野市の現状や問題点 改善点など書いて、20ページ以上のリーフレットを一万枚印刷して嬉野市の全世帯に、妻が一軒一軒ポスティングしてくれました・

ポスティングはとても大変な作業で町の中心部は家が繋がっているので沢山配る事が出来ますが田舎に行けば隣りの家まで100メートル以上あります。

また、坂道でとても足に負担がかかり大変な作業です。

選挙はまず、市民の人に名前を憶えていただく事からが始まりです。

嬉野市には、嬉野町と塩田町の二つの町があり人口は約25000人です。

この25000人の人に名前を憶えて貰うのはとても大変です。

いろいろ考えた結果、車の前後左右に私の顔写真と名前を入れる事にしました。

選挙が終わる四年間この車が大きな役割りを果たしてくれました。

また、車にスピーカーを着けて該当演説をしました。

通常、選挙は選挙期間(一週間)だけ、選挙カーを借りて動いています。

多くはデンタカーをを借りていますが、私は、車にスピーカーを着けていつでも出来る様にしていました。

ですから、他の候補者より沢山prが出来たと思います。

前回の選挙に比べて数百倍も活動しました。

妻と二人で四年間全力で頑張りましたが得票数は前回とあまり変わりませんでした。

名前は、四年間頑張りましたので市民の人に知って頂きました。

でも、票には、繋がりませんでした、

理由ははっきりしています。

それは、私が目が見えないと言う事が一番のネックに成っている事です。

多くの人は「目の見えない者が、何が出来るか」と思っておられるからです。

確かに、目が見えない事はハンディーではありますが 少し工夫をすれば目の見えない事などそんなに問題にはなりません。

政治は、目に見える物だけを判断する物ではありません。

むしろ、見えない物を判断する事の方が多いいと思います。

でも、残念ながら、中々理解はされない様です。

私は、今回二度嬉野の市長選に立候補して二度落選をしました。

でも、選挙に出て本当に良かったと思っております

なぜなら、他の候補者が言いたいけど、言えない事を大周の前で大きな声で言った事

嬉野市の問題点を市民に伝える事が出来た事 選挙でしか言えない事と貴重な体験をしました。

いつの日か、あの時岸川美好が言っていた事が本当だったと言ってもらえる日が来ると思っております。

今回、市長には成れませんでしたが市長に成ったつもりで今までどおり嬉野市のPRと嬉野市の発展の為に全力で頑張って行こうと思っております。