平成11年8月、市川昭介先生との運命的出会いがあり私の作品「春びより」と「雪どけ」の二つの曲が出来ました。

作詞は、私、岸川美好、作曲、編曲は、日本を代表する大作曲家の市川昭介先生です。

そして、演奏は、美空ひばりさんの楽曲を演奏している楽団でギターは、美空ひばりさんの名曲「みだれ髪」でギターを引いておられる日本一のギターリストの「斉藤功さん」が私の曲「春びより」と「雪どけ」の曲のギターを引いて頂いたとの事でした。

平成12年2月、待望の二つの曲のカラオケが送ってきました。

市川先生の事務所からカラオケが送ってきた時私は、福岡の博多駅前のサウナに行っておりました。

妻は、少しでも早く私に演奏を聴かせてやりたいと想い私が行っていたサウナに電話をかけてきました。

そして、私が電話に出るとカラオケのテープが送って来たよと嬉しそうに言っていました。私は、すぐにテープを聴かせてほしいと言いました。

妻もそのつもりでテープの準備をしていました。

初めに「春びより」、次に「雪どけ」と二つの曲を電話の受話器で聴きました。

私は、生まれて始めてできた自分のオリジナル曲に大きな感動をうけました。

そして嬉しくで涙が止まりませんでした。

妻も、電話の向こうで泣いていました。

その後は、毎日、歌の練習です。

妻が市川先生のアドバイスをメモしており、私の歌の指導をしてくれました。

そして、二ヶ月後、東京のシャングリラと言うスタジオで生まれて初めてレコーディングをしました。

朝早い飛行機で長崎空港を出発し昼前に羽田空港へ到着しました。

その後、東京駅に妹の清子を迎えに行きました。

実は、妹の清子は、私のレコーディングの様子を見たいと言って大阪からご主人と二人で新幹線でやってきました。

本当は、私のレコーディングの様子より市川昭介先生にお会いしたいとの想いでやって来たようです。

そして、妹と妻と三人で約束の場所に行きました。

その後市川先生のお車でレコーディングのスタジオに行きました。

スタジオは、鉄筋三階建ての建物で地下一階にレコーディングのスタジオがありました。

スタジオには、レコーディングを担当するオペレーターの方が待っておられました。

オペレーターは、、山口さんと言われる方であの一斉をふうびしたピンクレディーを育てたしととの事、本当に驚きました。

いよいよ私にとって生まれて初めてのレコーディングのスタートです。

私は、奥の部屋に入っていきました。

その部屋には、録音用のマイクとヘットホーンが置いてありました。

私は、ヘットホーンを耳に当ててレコーディングの開始を待っていました。

別な部屋では、市川先生とオペーレーターの人と妻と妹が楽しく話していました。

そして、市川先生よりそろそろ始めようかとヘットホンから声が流れてきました。

市川先生は、私の緊張をとる為に「気楽にやっていいよ 何度でも取り直す事が出来るから」と言ってくださいました。

おそらく私が素人だからとの心ずかいからの言葉だったと想います。

そして、「春びより」の曲が流れてきました。

私は、今まで何百回とこの曲を聴き唄いましたがこの時は、、感無量で唄う事が出来ませんでした。

それは、作曲家も超一流、演奏もオペレーターも超一流の人の中で歌える喜びと幸せを実感したからです。

そして、いよいよレコーディングが始まりました。

私は、唐津のホテルで初めて市川先生にお会いした時の事、市川先生のレッスンを受けた時の事、妻と二人で歌の練習をした事など想い浮かべながら唄いました。

一曲歌った時、ヘットホーンから市川先生の声が流れてきました。

私は、びくびくして聴いていました。

すると「いいよ、とても暖かくていい歌だ」と褒めてもらいました。

私は、まさか市川先生から褒めて貰えるとは想いませんでしたので自分の耳を疑いました。

先生は、そばにいる妻や妹に何度も「暖かくていいよねー」と言っておられました。

私は、ほっとして、それから先は、リラックスして唄う事が出来ました。

約、四時間で二つの曲のレコーディングが終わりました。

レコーディング終了後に市川先生が私にこのように言われました

「このスタジオは誰がしていると想うね ここは歌手の橋幸夫さんのスタジオよ」と言われてまた、びっくりしました。

そして、市川先生とお別れしました。

私達夫婦は、新宿のプリンスホテルに宿泊しました。

妹は、新幹線で大阪へ帰って行きました。

夜9時過ぎ、市川先生のマネージャーの方が先ほどレコーディングした私の歌の入っているMDを持って来てくださいました。

私達夫婦、イヤホーンで私の歌を聴きました。

何度も何度も聴きました。

そして、互いの目から涙が止まりませんでした。

妻も、今まで私と歩いた30年間の出来事を想いだして涙を流していたのではないかと想いました。

そして、二人で、本当に良かった、良かったと何度も何度も言いました。