平成19年11月、妻の勧めで嬉野の朝長医院で大腸の内視鏡の検査をしました。

結果は、大腸に二つの大きなポリープがあり大腸ガンの疑いがあると言われました。

一つは2センチの大きさで横行結腸にあり、もう一つは直腸の下部で肛門から約2センチの所に約10センチの大きなポリープがありました。

朝長先生は長崎県大村市にある長崎医療センターで再検査をするように言われました。

そして、長崎医療センターの西山先生を紹介して頂き診察に行きました。

結果は、朝長先生の診断どおり大腸ガンでした。

平成20年1月9日、大腸ガンを取る為に長崎医療センターに入院して内視鏡での大腸ガンの摘出手術をしました。

横行結腸にあった2センチのガンは内視鏡で取る事はできましたが直腸に出来ていた10センチのガンは内視鏡では取る事が出来ず外科手術で取る事になりました。

そして、嬉野市にある嬉野医療センターを紹介して頂き1月31日に嬉野医療センターに入院しました。

そして、2月12日午前9時に私の手術が始まりました。

手術の前日先生から家族に説明がありました。

そして、二つの問題点を言われました。

一つは、ガンが他の組織に転移している可能性がある、もう一つは、摘出するガンが肛門のすぐ上にある為に人工肛門にしないといけないとの無常な宣告でした。

人口肛門は永久的な人口肛門と一時的な人口肛門があり手術をしてみないとわからないと言われました。

もし、ガンが転移していたら、抗がん剤の必要があり、とても厳しい結果になります。

また、永久的な人口肛門になると一生涯人口肛門での生活になります。

こんな二つの不安をもって手術を受けました。

午前8時、家族と岸川マッサージの社員さんが来てくれました。

8時50分看護婦さんが移動用のベットを持って私を迎えに来ました。

私は、そのベットに横になりました。

妻は、私の手を強く握っていました。

私も妻の手を握りしめていました。

そして、妻がポケットからテープレコーダーを出してテープのスイッチを入れました。

すると私達が二人で唄った結婚三十周年の記念の曲「二人三脚夫婦旅」の曲が流れてきました。

私達夫婦、その曲を聴きながら涙が止まりませんでした。

約5分間の時間でしたが結婚して40年の出来事が次から次と浮かんできました。

そして、心の中で何度も妻にありがとうと言いました

午前9時、家族の見送りで手術室に入りました。

私は、これで妻とも、家族とも、二度と会えなくなるのではないかと不安な気持ちで手術室に入って行きました。

手術の時間は、約11時間とても長い時間でした。

私は、麻酔が掛っていましたから時間の感覚はありませんでしたが待っている家族はとても不安で長い時間だったと想います。

でも、素晴らしい先生のおかげで手術は大成功、ガンが取れ不安がなくなりました。

妻は、よく頑張った、本当に良かったと何度も言ってくれました。

妻の目にも私の目にも涙が流れていました。

手術が終わりベットに戻ってきてお腹をさわると約30センチぐらいの大きな傷がありました。

また、右のお腹に人口肛門のストマーの袋がありました。

約二か月半の入院生活が終わり4月に退院しました。

退院後もお腹には、人口肛門のストマーと腹部の膿を出す為のクダがあり二か月ぐらい通院しました。

人口肛門のストマーは、二日に一度の交換で妻が交換してくれました

人口肛門のストマーは約12センチぐらいの大きさの土台[皮膚に密着する粘着性の強い物]を貼り付けてその土台に約20センチぐらいの袋を取りつけます。

この袋に便が貯まります。

一日に数回トイレに行ってストマーの中に貯まった便を出します・

人口肛門の辛さは、便の出る大腸の部分が痛く、また、皮膚に密着している土台がいたがゆくとても苦痛でした。

ときどき痛くてたまらんと言うと妻はきまったように一生涯人口肛門の人も世の中には沢山いる、あんたはいずれとれると励ましてくれました。