彼女が飼っていたうさぎが4月1日に急逝しまして、大変な日々を送っています。

 

毎日のことは、Twitter(またやってる)で出しているからいいとして。

 

けっこう大変であります。

 

まず、中年だし体力も最盛期というわけじゃないので、

 

彼女の家からの通勤がシンプルにハード。

 

帰ってからご飯作って食べてズレこんで遅くなって、

 

長く、遅い一日が続いています。

 

でも基本、彼女の家に帰っています。

 

 

うさぎという家族を急に亡くして、彼女は深い悲しみの中にいる。

 

いつもは普通にできたことができなくなっていて、今はその回復期にいます。

 

なにもできなくなってしまった彼女も私の好きな彼女であるから、

 

私はできる限り寄り添って、支えて、生活をともにして、伴侶でいようと思う。

 

なにもできなくても、存在しているだけでいい。

 

なにもできなくても、存在しているだけでいい。

 

そう唱えて、そう、存在してるだけでいいんだよって思うのだけど、

 

心の底から、そうは思えない自分にも、この違和感を過ごすことができないことにも、

 

私は自分で気が付いています。

 

 

なにもできなくても、存在しているだけでいい、という寛容の強要に、

 

私は長年苦しめられてきました。

 

それは、なにもしてくれない大人に、長年苦しめられてきたからです。

 

私の父は。

 

下着泥棒が目の前にいた時も、「酔っ払いだろ」と言ってなにもしなかった。

 

建て替えた実家が欠陥工事で、初日から雨漏りしても、なにもしなかった。

 

(今でも実家はこの雨漏りの呪いにずっと縛られている)

 

お店のシャッターを開けても、なんの仕事もしなかった。

 

母が躁うつ病になったときも、病院に連れて行かなかった。

 

自分が癌になったときは、もう手遅れなのに、湯水のような医療費を使って延命した。

 

父は年金を納めていなかった。

 

父が生きてる限り欠陥住宅のローンは続き、私も何回か支払った。

 

何回か肩代わりしてくれた叔母にはずいぶん小言を刺された。

 

父が死ねば終わるローンだった。

 

生きているだけで赤字の父を、なぜ延命するのか、したのか、私は今でもわからない。

 

とにかく誰のことも守ってくれない人だった。

 

なにもしない大人がなにもしないことで、こんなに苦しめられてきたのに、

 

存在しているだけでいいなんて、私は腹の底からは思えない。

 

私の致命的な思いやりのなさ、病的に優しくない心根を突き詰めると、

 

結局ここに行き着く気がして、この違和感をどうにかしたいとも長年思っている。

 

世の中は、優しい人がよくて、実質的な人は別にそこまでどうでもよくて、

 

他人に寛容であることが求められるからだ。

 

あれこれ行動するよりも、ただ心を寄せることが、必要とされるからだ。

 

それは、私の必要とはだいぶ違うと思った。だいぶズレている。

 

私は、優しくなくても、実際的な行動を起こしてくれることこそが信用だと今でも思っているし、

 

ただ寄り添う担当の人は、ただ寄り添うだけでいいからいいですね、という汚い心もある。

 

気持ちを寄越してくるばかりの人は、私にとっては「口だけ」に過ぎなくて、

 

やっぱりどこかで信用できなくて、そうだよね、嫌だよね、誰も役に立たないね、

 

誰も助けに気付いてくれないね、自分でやるしかないね、自分がやればいいね、と、

 

中学生の自分に明確に話しかけるのである。

 

自分がそうなるのはやめようね、と。

 

25歳の自分に約束するのである。

 

癌になっても治療するのはやめようね、と。

 

40歳の自分に念押しするのである。

 

存在してるだけでいい人なんていないよね、と。

 

 

だって、「なにもしなくても存在してるだけでいい」ことを許したら、

 

私のあの苦しみはなんだったの?今でも続いているこの生きづらさはどうしたら?

 

私はこう生きている限りずっと生きづらくて、これからも生きづらいだろう。

 

 

一方で、今の恋人と恋人であるのは、ここが真反対からだとも思う。

 

彼女は、

 

「なにもしてくれなくていい、存在しているだけでいい」を体現している女性だったからだ。

 

彼女の愛情はそういう愛情なのだ。

 

彼女は、私の長年の呪縛を解いてくれる相手なのかもしれない。

 

呪縛が解ける前だからか、今はただ、寛容という岸壁を前に、毎日が息苦しいけれど。