代々木公園駅のヒーリングサロン AROHAM アロハム のブログへようこそ
今日はけっこう気がつきにくい「自分バッシング」について書きます。
少し視点が変わるとおもしろいな、と思い^^
ある日のセッションで「悪口」がキーワードで出てきました。
「悪口を言ったあと、自分の中に残るイヤな感じ。」
探っていくと
「悪口は絶対言ってはいけない。」
「悪口を言う私はダメな私。」
「私は良い人間であるべき。」
自分の中にある、「~べき」や「美しく、崇高であること、
(ここまで直接的ではなくても、「優しくありたい、とか。」)
へのイメージ、などが出てきました。
これは結構たくさんの方が持っているものではないでしょうか。
(もちろん、わたしも持ってましたし、今も持ってます。)
たとえば、「優しい人でありたい」という理想。これ自体はアリなのですが、
「理想の自分」を作ることは時として自分を罰する基準になったりします。
誰かに対して怒りを感じたり、責めたくなったりしたときに
「そんなことを思う私は優しくない。だめだ自分。。。」となったり。
この段階から抜けるアイディアの一つに、
「悪口」が「良いもの、わるいもの」ということを考えるのではなく、
「悪口はダメ。そう思う自分(の感情)はナシにしないといけない。」
これは、『どんな気持ちからきているのかな?』ということを見ます。
ここからが無意識へ入っていく部分。
普段の表層意識のしたの方に何重の思いに隠れてしまわれています。
これを探るのが難しいときのアイディア2、は、
その感情を眺める、こと。
腹が立つ、不愉快だ!と、自分が感じている感情をナシにして
「ああ、私はこう思ってしまった。。。私はヒトとしてダメだ~~。」
とか
「あちらの都合も考えずに私にだって悪いところがあったかもしれないのに。
となっていると、いつまでたってもその下にある
「私は良い人と思われたい」
さらにその下にある
「私はできない。私は無力だ。」というコアビリーフ(人によってこの部分は違うけど。)に
たどりつけません。
なので、これから、「腹立つ」「悲しい」(など見たくない感情)を感じたときに、
まずはそれを感じている「私」を眺めてみてください。
感情と一緒になるのではなく、
なんの批判やジャッジ(腹が立つなんてダメ、とかああ、また。。。とか。)もなしで、
「『腹が立っている』と感じている私がいるな。」と、眺めてみてください。
すると。
「怒り」や「悲しみ」そのものが自分じゃない。のだ。
と、いうことが見えてきませんか??
もし、目をそらしたくなる感情が出てきたら、
「~と思っている私がいるなぁ。」と眺めてみてください。
「だめだめ!こんなこと思ったらだめ!」とナシにせずに、
「なんてダメなんだ!まただ!!」と批判モードになるのではなく、
「~と思っている私がいる。おわり。」と、眺めてみてください。
そして「批判するわたし」はものすごく厳しいし、すばやいので、
このジャッジマンが出てきたら、老成した賢者のように
「うん、うん、そうな、そうだな、ま、そこにいてな。で?あんたはどうしたいんじゃね。」と
問いかけてみてください。
(どんな役でもいーのですが、なんとなくイメージ的にしっくりきまして。)
本当の私はその観察側にいるんだ、ということ。
これを知っているだけでもずいぶん自分バッシングは減ってくると思います。
そして、そのうえで
「で?ほんとうの私(ハート)は何が言いたいのかな??」と見てみると~
…思いもよらぬ「本音」が出てくるのですね~~
この奥深く隠された本音がコアビリーフ(思い込み)を作り、
いろいろな言い訳を着て着膨れして世に出て行く訳です。
なので、今私たちがぱっと目にしている姿(言葉)はほぼ間違いなく
「装い」ということ。
その人のすっぴんや裸は見てないってことと同じです。
うーん、今回の例えはちょっと飛びすぎているかもしれないけど、でもそういうことです。
過剰な装いは滑稽だし、かといっていつも素っ裸(本音)でいるのものヘン(というかムリ。)な話。
今日は「この服を着ている私。」で楽しめるといいな~なんて思います。
重たい服は脱ぎ捨てて、自分が心地よい服を着ませんか。ということです^^
話が反れましたが、とにかく。
見たくない感情が出てきたら、少なくとも自分は自分の批判をしないで
ただ、眺めてみてください。
これだけでも視点が変わってくるはずです♪
今日は長くなりました。。。
良い一日を!
love&joy
AROHAM
kee