【その他コラム】あろ作品で泣ける話。 | あろひろし観察記

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嫁から見た漫画家・あろひろしの観察記です。

ブログテーマを何にするかで、ほんのちょこっと悩みましたが、「コラム」にしました。
あろさんとの出会いについて書いているけど、ちょこっとお休み中の【しみじみコラム】は、現在、続きをどう書くか悩み中です。
忘れた頃にまた書きますので、しばしお待ちを。
(って、・・・年を越したらどうしよう)

さて、今回は。
「あろ作品で泣ける話」です。
最初に断っておきますが、あろさんにこの話をしたら、
「どこをどう読んだら、あれで泣けるのかわからない」
と言われましたので、たぶんあろさんのファンの皆様にも首をかしげられる部分で泣いた、と記しておきます。

あろ作品で私が泣けるお話。
それは。
「ハンター・キャッツ」です。
しかも、5巻。
さらに詳しく言うなら、「CASE;35~36」です。

もともと、私は、殺人が出てくる物語というのが読めません。
好きとか嫌いとかいう次元ではなく、「読めない」のです。
なので、「ハンター・キャッツ」も、かなり読むのが苦しかったです。

今、「ハンター・キャッツ5」をお手元に持っていて、「CASE;35~36」を読み返してくださったあなたなら、お解りになられたでしょう。
「泣き女」たちの境遇について、私ははたはたと涙をこぼしたのです。

名前も出てこない彼女たちですが。
年のころなら、たぶん20歳ごろ。
一応、「ハンター・キャッツ」は日本が舞台になっていますので、その前提でお話させていただきますが、日本で20歳くらいの女性、しかも口元しか見えてないけどたぶん美人で、スタイルもよろしい、そんな女性が、なぜ殺し屋さんになってしまったのか。
人生の中で、20歳くらいって、かなりいい時期ですよね。
しかも、美人でスタイルもいい女の子なら、ちやほやされて一番もてる時期、無敵で最強の時期でしょう。
(年代別の「モテ」ってのもあるとは思いますが、やっぱり「若さ」って、なんだかんだ言ってもある意味武器のひとつだと思います)
大人への階段を上りかけたあたり、そろそろ自分の人生の過ごし方(どんな仕事につきたいかとか、将来設計を考えるとか)を決めるあたり。
そんな年代の彼女たちが過ごしてきた境遇を考えると、涙を流さずにいられません。
20歳で、殺し屋として教育され、しかもストーリー上仕方がないとはいえ、「使い捨て」の殺し屋としてその人生を終えてしまう。
どんないきさつで「闇葬儀社」の教育を受けることになったのかは解りませんが、胃の中に燃料袋を仕込まれるとか、暗器を身体に埋め込まれることになった彼女たちの宿命。
自分が、もし、彼女たちのような境遇だったら、と考えると、そりゃあもう30分は楽に泣けます。
そして、彼女たちの血縁やお友達、彼女に関わってきたたくさんの人たちが、彼女を失くした心の痛みをどんなふうに消化していくのか。
私のお友達が「泣き女」のようなかたちで、私の目の前から去っていったら、そして、再会したときにはすでに自分の境遇に逆らえる力がなく、いわゆるまっとうな人生を送ることが出来ない、私にも友達を救える力はなかったら、と考えると、ここでもまた30分は楽に泣けます。
私が泣いてもどうしようもないと解りながらも、彼女たちを助けるすべにならないと知りながらも、それでも自分の無力さに涙を止めることは出来ないでしょう。

「泣き女」たち・・・名前もない彼女たちがあまりにも切なく、私は彼女たちを、「ランラン」「カンカン」「キンキン」「ケロンパ」と呼んでいますが。
あの4人が、「紅の寡婦」も含めて5人が、天国で幸せな時間を過ごしていますように、と祈らずにはいられないのでした。



・・・という話をあろさんにしたら、
「そういう読み方をされるとは想像していなかった」
と困ったように言われました。

自分では、「当然の読み方」だと思っていたんですが。
「俺も! 俺も、そういう読み方してた! そういうこと感じてた!」っていう同志求む。
・・・いるのかな?