「仕事始め」出来るなら、何日からがいい?
ブログネタ:「仕事始め」出来るなら、何日からがいい?
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あけましておめでとうございます。







ベタな入りですが、やっぱり旧来からの文化は受け継いでいきましょう、アマポンです。





正月から机に張り付かないといけないとは因果な商売だなぁと、軽く職種に責任転嫁してみるものの、タイムマネジメントが甘い自分の不甲斐無さを感じずにはいられないこの新年の朝。



今年もこの調子で行ってしまうのかアマポン!?







いやさ、そうはさせんぞ俺様の暗黒面!



今年は毎月仕事が5日は早くハネて、残りの日々を自堕落に、じゃなくて有意義に過ごすんだ!











そうであってくれ、俺。













ともあれ、今年も宜しくお願いします。











え?何日から仕事始めがいいって?







んなもの、1月はオフでお願いしたいですよ





P.S.



ありがたいことに、よくツイッター(名前はarmorponで)DMなんかを頂きます。

皆さんが私の問題提起についていろいろと考えてくれてるのがとても嬉しく、そして参考になっています。



アメブロやってないとこっちにゃコメント書けないのかな?



ともあれこれからもご意見ご要望等あればいつでもどうぞ!



意外にないのが、

「こんなの描いてください!」

的なリクエスト。



私の遅筆を慮ってそっとしておいてくれてるのかな(笑)




こんにちは、アマポンです。


数日前の寒風吹き荒ぶ中、屋外清掃を敢行しました。

あまりの冷たさに手がかじかみ感覚がなくなったところまではよかったのですが、室内に戻り早く暖まろうとお湯で手を洗ったらさぁ大変。手先の、特に爪の辺りにえもいわれぬ激痛が。

後で知ったことですが、あまりに冷えた手足等の末端を急激に温めるとかような症状が起こるのだとか。


そんなオマヌケな私ですが、本年中皆さんにはとってもお世話になりました。


何をって?


そりゃもう、こんな不安定でつかみどころのないブログを見捨てずに覗いて頂いてる時点で、ひじょーにお世話になっとりますよ、ええ。


気が付けばこのブログにも毎日100人余りの方々が訪れてくれるようになりました。


それはすなわち、

「おぅおぅアマポン、一応期待してやってんだからよ、早いとこ何かやれや」

と言う期待を持ってもらってるんだなと受け止め、それに応えられていない現状を恥じつつ、推進力の糧にさせてもらっとります。



皆さんにオープンにしている作品として反響も多い経済マンガ「マカミエコノミクス 」ですが、正直どうしても他作品との兼ね合いで年内完成が不可な状況です。

しかし期待に沿えるよう、正月を返上してでも1月アタマあたりにはアップしたいと思っておりますのでひとつ。



来年もまた、皆さんをヤキモキさせるやもしれませんが、どうか長い目で見てお付き合いいただければと願って止みません。



それでは皆さん、良いお年を!







とか言って明日更新したりして。
さよなら三角また来て四角、四角い二角(仁鶴ね)がまぁるく収めまっせ。
って、上沼恵美子の顔だけ白いの、誰か指摘してやれよ。アマポンです。

まったく脈絡のないところからスタートした今回ですが、話題はウィキリークスの是非について。


前回まで2回に分けて、ウィキリークスの良く見えるところ、反対にそうでもないところをそれぞれ話してきた。


それでは今回は、私の支持不支持の結論と、その理由を述べて、シリーズの最終回としよう。



●行き着く先は必ず


結論だけを言えば、私ゃウィキリークスのような強硬姿勢を辞さない団体が市民権を得てしまうことにはまだ慎重派である。


理由は前回でも取り上げたが、彼らが暴走しないと言う確証がどこにもないからだ。



志が高いことは本当によくわかる。


彼らの理念を見るに、彼らが国家や組織の透明性を高めることで、我々国民や一般人はより公正な判断を行い、ダメなものには「ノー!」と言いやすい環境ができる可能性があるからだ。



しかし。



今の段階ではまだ、ウィキリークスはあまりに脆く映るのだ、私には。




彼らは未来永劫、独善的な思想やそれに伴う行為を糾弾するある種「ジャーナリスト」で居続けられるのだろうか?



仮にジュリアン・アサンジやその他何名かの創設スタッフが、目指すところに寸分の狂いもない一枚岩だとしても、ではこれから加わって行く新しいメンバー達がそれら全てに同調できるのだろうか?


私にはそうは思えない。




宣言しよう。



いずれウィキリークスは分裂の危機を迎えることになる。



私はそこに、どこかの保護団体ではないが、本末転倒の過激な手段を辞さない分派が興ることを恐れ、そうならないことを切に願う。



高い志を貫くには結局、人間の持つ「良識」に頼らざるを得ない。



しかし世の中、その良識と言う概念すらが正反対であることさえ。
つまりはっきりとした善悪さえ存在しないのが人の世と言うものなのだ。



だから私の「ノー!」は弱含みになってしまう。

まずはアサンジの「良識」とハンドリングに期待するしかない、今は。




皆さんはいかがだろう?