●日本が誇れること→「超高齢化先進国」!?
前回 は「来たくなる日本」であるためのポイントには、それぞれ問題も付きまとっているものだと言うことに触れた。
また、その問題を解決し、さらに魅力あるものにするとなれば2倍オトクではないか…とも。
そこでまずピンと来たものがある。
日本は言わば「超高齢化先進国」だ。
この問題を逆手に取って問題解決→市場創造→(ココが難しいが)→来たくなる日本へ!
…とは持ってこれまいか?
先に言っておくが、ここでたとえ素っ頓狂なアイデアが浮かんだとしても、それは決して徒労ではない。
現在実現している先端技術のアイデアを半世紀前に唱えた人がいたら、それはどう受け止められただろうか…そう考えれば「素っ頓狂」なんて、現代人の戯言でしかないのだ。
私がこの「超高齢化社会」問題に触れた時、いつも思うのが、
「高齢者が『弱者』でなくなる日が来るのではないか」
と言う思いだ。
我々は通常、高齢者=弱者の構図を無意識にイメージしてしまう。
実際にそうであることは否めないし、老衰は間違いなくやってくるものであるから、避けて通れるものではない。
しかし。
少なくとも我々人類が、人としての文明を手に入れた時にこれだけ長生きできたのかと言えば「No」であった。
30代まで生きれれば御の字と言う時代が確かにあったのだ。
勿論当時、栄養の摂取不足であったり、衛生環境に多く左右されたことは間違いない。
けれども現在、単に寿命が延びたと言うだけでは説明できない人々…50代で若者顔負けの運動量を誇る人がいたり、明らかに偏った食生活を送る人が80代にも珍しくないと言う事実を鑑みるに、人間がある程度の身体能力を維持した状態で齢を重ねる方法がどこかにあるのではないかと言う気がしてならないのだ。
うーんでも、それを市場の創出…増してや「来たくなる国」に結びつけるには少々無理があるなぁ。
ちょっと置いておこう。
●日本の強み、それは…
じゃあ、前回 にも取り上げた「高い技術力」に焦点を当ててみる。
正直なところ、日本と言う国がここまでの技術力を培ってきたのは、特に戦後のハングリー精神と、それに伴う経済成長があったからこそだと、私は思っている。
20世紀終盤の辺りで、そのハングリー精神は恐らく、雲散霧消した。
けれどもそこに取って代わった先進国として潤った設備投資により、その更に先を行く技術の開発には不備を感じることがなかったのではないかと。
しかし世紀を跨ぐその前後にかけ、景気後退の影響で先述の設備投資は停滞あるいは圧縮され、残ったのはハングリー精神などとうの昔に無くなった我々の情けない姿だけ(失礼)…これが今の状況じゃなかろうか。
すると日本の技術を高く保つには
「ハングリー精神再び」あるいは
「先端技術の研究を可能にする環境整備」
この2点のどちらか…勿論両方あればこの上ないが…を用意する必要があると考えられる。
ただ前者に関しては、危機や貧困を国民総意で感じ取れるような状況置かれてこそ発揮されるものであり、現代の「文句は言うが危機感が足りない」我々から滲み出るものではないと思う。
すると必然的に残ってくるのは「先端技術を開発し得る環境」を作る案だ。
私の知る限り、日本と言う国は技術研究開発についての、国策としてのバックアップには非常に遅れた国家らしい。
これは先程も言ったが、企業がもっと潤っていた時代から、その研究開発を彼ら自身に委ねてきたところが大きいのだと思う。
最近の話題から引っ張り出せば、韓国は電子機器の世界的大手に成長した自国の企業サムスンを、国としてバックアップする方向に動いているそうな。
一方で日本はと言えば、事業仕分けで研究機関の純粋な研究費すら圧縮してしまう始末。政府すらがその重要性を認識していないと言う事態なのだ。
「これではいかん!」
素人の私でもそれくらいは分かる。
日本の強みである技術力を活かすにゃ一体どうすりゃいいんだ、どうすりゃ…
ん?待てよ。
技術力、研究、高齢者社会…
こ、これだ!
…次回に続く。
(ホントに思い付いたのかよ、と言う質問はナシにしていただきたい(笑))
前回 は「来たくなる日本」であるためのポイントには、それぞれ問題も付きまとっているものだと言うことに触れた。
また、その問題を解決し、さらに魅力あるものにするとなれば2倍オトクではないか…とも。
そこでまずピンと来たものがある。
日本は言わば「超高齢化先進国」だ。
この問題を逆手に取って問題解決→市場創造→(ココが難しいが)→来たくなる日本へ!
…とは持ってこれまいか?
先に言っておくが、ここでたとえ素っ頓狂なアイデアが浮かんだとしても、それは決して徒労ではない。
現在実現している先端技術のアイデアを半世紀前に唱えた人がいたら、それはどう受け止められただろうか…そう考えれば「素っ頓狂」なんて、現代人の戯言でしかないのだ。
私がこの「超高齢化社会」問題に触れた時、いつも思うのが、
「高齢者が『弱者』でなくなる日が来るのではないか」
と言う思いだ。
我々は通常、高齢者=弱者の構図を無意識にイメージしてしまう。
実際にそうであることは否めないし、老衰は間違いなくやってくるものであるから、避けて通れるものではない。
しかし。
少なくとも我々人類が、人としての文明を手に入れた時にこれだけ長生きできたのかと言えば「No」であった。
30代まで生きれれば御の字と言う時代が確かにあったのだ。
勿論当時、栄養の摂取不足であったり、衛生環境に多く左右されたことは間違いない。
けれども現在、単に寿命が延びたと言うだけでは説明できない人々…50代で若者顔負けの運動量を誇る人がいたり、明らかに偏った食生活を送る人が80代にも珍しくないと言う事実を鑑みるに、人間がある程度の身体能力を維持した状態で齢を重ねる方法がどこかにあるのではないかと言う気がしてならないのだ。
うーんでも、それを市場の創出…増してや「来たくなる国」に結びつけるには少々無理があるなぁ。
ちょっと置いておこう。
●日本の強み、それは…
じゃあ、前回 にも取り上げた「高い技術力」に焦点を当ててみる。
正直なところ、日本と言う国がここまでの技術力を培ってきたのは、特に戦後のハングリー精神と、それに伴う経済成長があったからこそだと、私は思っている。
20世紀終盤の辺りで、そのハングリー精神は恐らく、雲散霧消した。
けれどもそこに取って代わった先進国として潤った設備投資により、その更に先を行く技術の開発には不備を感じることがなかったのではないかと。
しかし世紀を跨ぐその前後にかけ、景気後退の影響で先述の設備投資は停滞あるいは圧縮され、残ったのはハングリー精神などとうの昔に無くなった我々の情けない姿だけ(失礼)…これが今の状況じゃなかろうか。
すると日本の技術を高く保つには
「ハングリー精神再び」あるいは
「先端技術の研究を可能にする環境整備」
この2点のどちらか…勿論両方あればこの上ないが…を用意する必要があると考えられる。
ただ前者に関しては、危機や貧困を国民総意で感じ取れるような状況置かれてこそ発揮されるものであり、現代の「文句は言うが危機感が足りない」我々から滲み出るものではないと思う。
すると必然的に残ってくるのは「先端技術を開発し得る環境」を作る案だ。
私の知る限り、日本と言う国は技術研究開発についての、国策としてのバックアップには非常に遅れた国家らしい。
これは先程も言ったが、企業がもっと潤っていた時代から、その研究開発を彼ら自身に委ねてきたところが大きいのだと思う。
最近の話題から引っ張り出せば、韓国は電子機器の世界的大手に成長した自国の企業サムスンを、国としてバックアップする方向に動いているそうな。
一方で日本はと言えば、事業仕分けで研究機関の純粋な研究費すら圧縮してしまう始末。政府すらがその重要性を認識していないと言う事態なのだ。
「これではいかん!」
素人の私でもそれくらいは分かる。
日本の強みである技術力を活かすにゃ一体どうすりゃいいんだ、どうすりゃ…
ん?待てよ。
技術力、研究、高齢者社会…
こ、これだ!
…次回に続く。
(ホントに思い付いたのかよ、と言う質問はナシにしていただきたい(笑))