そう言えば。


飯を食うのに左手を使うようになって久しい。


いつからだっけ?
もう数ヶ月は経ってるはずなんだけれど。


当初はホント、ご馳走を食べるのに何でこんなにストレスを溜めにゃならん、そう毒づいたものだが、近頃はさほど気にならないレベルに。

具体的には、塗り箸でラーメンが食べれるくらい(笑)。






なんでわざわざ?






アナタいま、そう思いましたね?


よろしい、何が言いたいのかご説明致しましょう。



●良く見ればゴロゴロ



今現在、あなたが何か新しい試みにトライし、それによって新しい世界が開いた、あるいは間もなく成就しそうな気配。

そんな方はおられるだろうか?



え?バッチリ進行形?



むぅ、そんな方はもう、続きを読まなくてもよろしい(笑)。
これからもアナタの思う通りにやるがいいさ。




そこのアナタはどう?
え?



トライったってそんなもの、



そうそう



あるワケないじゃん





ですと?




きた!模範解答!

と、語り部としてはやりやすいが、ソイツは誤解ですぞ。
そう、ココの誤解を晴らすのが今回のお話。






なにかをやろう、やらねば。






そう思っても、なかなか尻が重たくって立ち上がれないヒト。


その行動(むしろ無行動か)のウラには、

「どうせやっても続かない」

「やるったって何を?そんな身近に実のあるミッションなんざありゃしねぇ」

このような決めつけの心理が棲みついている。

だからやりもしないうちから戯言を並べ立ててしまうんだね。




そこで参考にしてほしいのが今回の左手箸。




ま、動機自体はなんてこともない、左手を使うことで脳ミソが活性化するだの、スポーツ選手がこぞってやってるだの、そんな恥ずかしくも陳腐な理由だったのだが、

・金がかからない

・いつでもどこでも

・成果が目に見える

・里芋がつかめた時のアノ達成感(笑)


つまり投資に対してのリターンがなかなかに大きいのである。

アタマが良くなったかは定かじゃないが、いま私の手は二刀流宜しく、左右両方に箸を持ち、同時に惣菜二品を操ることが可能になった。




「地道に積み重ねよう、一日で成果は見えなくとも毎日の努力が云々」

↑これはこれで必要なんだけれど、尻重派(笑、命名アマポン)の皆さんの疑う眼差し

「ホントに努力は報われるのかしら?」

この疑念を晴らす良い例えだと思わないか。



だって1年前には存在しなかった新しい自分が、今ここにいる。


できると思ってもなかった事柄を可能とした自分がここにいるのだ。




周りを見渡してみるといい。


なにか小さなハードルはないだろうか?
別に箸じゃなくたっていい、今回言いたかったのは身近にだって自分を変える何かなんていくらでもあるってことだから。

そういや以前このブログでも紹介したっけ、昔できなかった縄跳びの二重跳びが出来るようになった、何てのもプチハードルだよね、つまりこんな感じの。


あれば自分の可能性を証明するために是非、利用してほしい。
なければ探すこともまた楽しいかもしれない。




自分が本当にやりたいことへ取り掛かる際、そこで培った自信はきっと、アナタの背中を押してくれるに違いない。
以前ブログで紹介した「金沢カレー」、友人がいつの間にか食べてきたと聞いて何故だか悔しい、アマポポンXX改です。


いや、昨日たまたまテレビをつけたらNHKで「ジブリのヒミツ」ってな番組が。

なんたる偶然、と思ったらそれは為るべくしてそうなったと考える私。
コイツらは私に一体何を見せてくれるのだろう。


●ころびなさい


内容をかいつまむと以下。

いま上映中の「借りぐらしのアリエッティ」制作現場を、今回初の監督に抜擢されたジブリ若手のアニメーター米林さん(だっけ?)にスポットを当てながら、その苦悩をはじめとする心境と共に追いかけると言うもの。

筋としては非常にオーソドックス、悪く言えばありがちなドキュメンタリー。


ジブリの宮崎さんが、監督として選んだ彼、通称”マロ”の成長を期して、叱咤も激励もなく突き放す。

またマロも、これまでがどちらかと言えば受身の環境で、アニメーターとしての技術は培ってきたものの、明らかに未開である指導力や重責を求められる監督職に心身共、追い詰められながら、しかしその弱音を表には出さないよう必死に食らいつく。

そして最後、関係者一同を集めた、それこそ集大成の場で宮崎氏に「よくやった」とようやく認められ、大団円を迎えると言う流れ。



正直なところ、技術的な部分であるとか、心理的なアレコレと言う、恐らくNHKが我々視聴者に見せたかったものにはあまり興味は湧かなかった。


私がこの番組を観て「よかった」と感じたところはただひとつ。


あ、やっぱり自分でアタマをぶつけていかなきゃ、結果を掴み取ることはできないな


これにつきる。



解るだろうか?

昨今、何かにつけてハウツー本的なものがもてはやされている。

ハウツーとは即ち、目的地に向かっての近道を教えてくれるものと定義できるが、中には

「苦労する必要なんかない、この通りにやれば誰でもカンタンに」

このような売り文句を聞くようになって、もう久しい。



だが。



勘違いしてはいけない。

自分が本当にその道を極めにかかりたいと思うならば、人の敷いたレールではなく、自らの試行錯誤によって、時にはつまずき、時には血ヘドを吐いてでも、進んでいかなければ、得られた成果が自分の血肉にはならない。

と、私は思う。



そしてこの番組を観て、その考えをより確信に近づけた。






皆さん。


血ヘドを吐いてますか(笑)

はい、夏だ花火だビールがンまい、図らずも猛暑を満喫しております、アマポンです。

えー、前回 は子スズメを保護するも、親鳥が周囲にいたのではないかと言う専門家の指摘に愕然としながらタマゴをゆでたのでした。


●山あり谷あり


翌朝。


空は相も変わらず濁り雲が立ち込め、今にも泣き出しそうな様子。
それは奇しくも私の心境を映しているようでもある。




親鳥はくるのだろうか




前日はゆで卵の黄身を嫌がる子スズメのくちばしにねじ込んでいたが、今朝になってようやく、食べ物と言うことを認識したのか、口先を軽くノックすると、自ら口を開くようになったのだが。


もしや昨日は弱った上に雨で翼をやられて飛べなかっただけなのか。
ならば今ここで放ってやれば。




願いを込め、現場だった庭先にスズメを置いてやる。

そして私は家中に踵を返し、近くの小窓からこっそりと様子を伺うことにした。




しばらくは、ケージ代わりに使った中元のインスタントコーヒー空箱で周囲を見渡していた彼女だったが、





ピャッピャッピャッ





私がいないことを確認できたのか、突然堰を切ったように甲高い声で鳴き始めた。


なんたる元気。
いや、むしろそれほどに必死なのだろう。





そして一時して。



!!?



来た!



本当に来たよ、親鳥か!

どこからともなく飛来した別の雀。
体躯もたしかにひと回りほど大きい。





お、もう1羽、両親揃ってと言うわけか!



アレ?また1羽?



アレ?



アレ?



アレ?



と言うわけで、気が付くと周囲はスズメだらけ。
軽く10羽くらいはいたのではなかろうか。



何にせよやっぱり仲間は諦めてなかったんだ。               

単純な行動を見ても何を考えているか見当のつかない彼らであるが、今回の一連を見てある種の仲間意識を直に見れたことは、私にとって貴重な体験であった。




しかし忘れてならないのは、本人が群れに復帰できるのかどうかである。

そして…





(次回に続く)