こんにちは。

今日は極々スマートに参りましょう、アマポンです。



いろんなことに首を突っ込んでいると、わかることがあります。



それは物事には「創り出す人間」と「受け取る人間」が存在すると言うこと。




ん?

当たり前だろう、って?



まぁまぁ、続きを。



でね、音楽の世界なんかを見てるとよく分かるのだけれど、創る側ってのは曲を気に入ってもらうためにあれこれと頑張る。


けれど、ひと度ヒットして一定の地位に登りつめたら、今度は自分を表現しようとするでしょ?


つまり、自分の世界に引き込もうとするのが「ものをつくる」と言うことの本質なんだなぁと。



え?

そんなことわかってるって?



いや、わかってるのかな。

実は多くの作家が自分を表現することを山の頂としているのではないかと、ふと。



本人が目指すかどうかは別としても、実は表現することは山の八合目あたりでしかなく、その作品が人の目に耳に触れ、何かしらを訴えかけられることで、その人が自分自身の立ち位置を知るところにきてやっと頂上なんじゃないだろうか。




ホントはね、こうやって露出するメディアに書き記す以上、こんな覚え書きのようなメッセージの発信はいけないのだろうけれど。


ふと。




あれ?




スマートじゃねぇじゃん(笑)

ブログに書くネタが無いことにアタマを抱えることが馬鹿らしく。

暑さでトロけそうな勢い、フォンデュ・アマン・ポンです。



ところで今、私のアタマに渦巻いているのは

「今の生活から何を無くしたら、経済と言う考え方そのものをありがたいと認識できるか」

って疑問なんだよね。


●経済ってなんだろね?


自分の中での「経済学」の定義は


どうやったら皆が幸せになれるか、を突き詰める学問


これに尽きる。




貨幣が流通し、物事の価値の多くがこの物差しで計れるようになって久しいこの世の中は、


幸せ = 物的な豊かさ


と無意識に感じてしまう。
その証拠に経済学と聞いて「お金」を思い起こさない人は稀だものね。



では世の中よりお金を排除したら経済学は成り立たないのかと言えばそうでもない。

物が人から人へ渡る行為は貨幣が無くなろうと消えることはありえないわけで、つまり人間はこれからも試行錯誤を続けて行く中で、貨幣と言う「経済を円滑にする(かもしれない)」道具を試しに使ってみてる、そう言うことなのだ。


そんなことを考えてると、仮にお金と言う制度を廃止したら勿論、今の文明そのものが否定されて大混乱を招くけれども、ずーっと長い時間軸で見ると将来、また違った経済の在り方に辿り着きやしないかと突拍子も無いことを思ったり。


そして、物的な豊かさを顧みないのならば、効率を追い求める経済学そのものも必要なくなるんじゃないかと言う堂々巡りに(笑)。


皆さんはいかがお考えか。

元の質問から逸脱甚だしい私に代わり、考えてみてほしい。