ある事象に対する受け止め方は十人十色である。これは、ある男が見た一つの世界、一つの真実の物語である。
私が審査係長になれたのは、審査係員時代があったからである。審査係員時代の1年目に出会ったのが、審査係の先輩職員であったスーパードクジョKである。細かいことを言われ、時には間違っていることも正しいがごとく言われた。大変、仕事がやりづらかった。
1年目の12月のことであったが、課長(当時は、副収入役と言っていた。)と定期面接があり、その席上で「話したいことがあればどうぞ。」と言われた。そこで、「隣の人、どうにかならないか。仕事がやりにくい。」と率直に伝えた。課長は、「私もそう思う。」と答え、その結果、Kは、翌年4月に異動となった。異動が決まった際、Kは「審査の仕事を軽視している。私がいなければ回らない。」などと不平不満を述べていた。結果はどうなったか。いなくなっても、誰も困らなかった。私の仕事がはかどった。平和が訪れたのだ。
その後、私は、6年続けて在籍したが、最後の年に用品基金廃止を実現した。これに対して、Kは、「用品基金廃止は、失策だ。」と陰で私の悪口を言っていた。確かに、失策だと感じていた職員も少なからずいたが、この仕事の成果が認められ、ようやく係長試験に合格したのである。用品基金廃止の件は、機会があれば話そう。
そして、係長職となり、係内主査として産業経済課に異動した。そのときに、3月に定年退職し、再任用職員となったKと同じ係となったのだ。Kも産業経済課に異動してきたのであった。人事課は配慮がない。ある人物から、「立場が変わったからチャンスだ。今までやられたことをお返ししてやれ。」とそそのかされた。私は、「そのようなことをするのは、小者だ。」と拒否した。ところが、ここでも、私はKに嫌がらせを受けた。あるときは、私の怒りが頂点を通り越して、午後の仕事をボイコットしたこともある。
係員は、関係が悪いことがすぐわかるといっていたが、上司であるラインの係長は無頓着であった。こんなこともあった。農地台帳のシステム化が求められ、国から補助金が出るので、いついつまでにシステムを作ることとなったという。この説明会に上司の係長とKが出席した。説明を受けた係長は、部下である係内主査の私に対して、その仕事を振ってきた。内容については、Kに聞けと。聞きたいと思わなかったが、仕方なくKに聞くと、Kがいうには、担当はOであるから、Oに聞けと。Oに聞くと、「係長もKもよく知らないようだ。何を聞いてきたのかな。」という反応であった。Oが説明会の資料を持っていたので、それを読み込んだ。M区は、農地が10数カ所しかないから、大がかりなシステムを組まなくても、Excelで作成し、管理可能であることがわかった。国が目標としていたのは、農地放棄された土地の再活用を図るのが趣旨のようであり、M区はどうでもよいようなものだった。都の担当をとおして確認したところ、M区はシステムを組まなくてもよいことになった。税金の無駄使いを防げた。その後、上司の係長は、企画に異動。上からの評価は高いようだった。慇懃無礼な人だと思っていたが、住民対応が柔らかだということも評価を高くしていたようだ。ただし、住民の中には私と同じように感じた人もいて、区民の声課に「あの慇懃無礼な職員はなんだ。」と苦情が入ったことが1回ある。
さて、Kであるが、私と同じように不快な思いをしている職員が少なからずいた。ハラスメントの女王というべきであったが、M区は、ハラスメントにはおおらかであり、柔軟な対応をするため、メンタルに支障をきたした職員が出なかったことから、Kはやりたい放題であった。私は、担当係長として出先事業所に脱出したが、Kはその後、任期切れまで産業経済課に在籍した。Kが任期切れとなった後、産業経済課に在籍していた職員から報告があった。「Kがいなくなったら、雰囲気が変わった。みな、伸び伸びと仕事をしているよ。」
次回から、財務更改により予測される事務量をどのように縮減しようとしたかについて述べる。「請求書の権威が低下した」に続く。