終戦記念日は、何を記念するのか tw 2013.8
終戦記念日は、何を記念するか(何を記念その1)私見を述べる。終戦=敗戦。終戦直後の感情として、敗戦を記念するとは考えられない。ある人は、軍事戦争で敗れて、経済戦争を始めて戦後復興、高度経済成長を遂げたという。この考え方によると、新たな形の戦争を始めた、記念の第1歩となる
終戦直後、天皇人間宣言が行われた。これは、終戦後の新日本国家の建設を国民に呼びかけたものであるという。その後の経済成長を考えると、経済戦争開始記念日とも考えられる。当初の記念の意味は、新しい日本建設を目指すという意味の記念日と捉えてよいであろう。
日本の経済成長の終わりは、1992年頃のバブル崩壊だろう。この後、急速に終身雇用制が崩壊し、非正規労働、雇用の流動化が進んだように思われる。この時点で日本の雇用の特質であった年功賃金制度も終焉を迎えることになるから、日本的経営が破たんしたことになる。
日本的経営が破たんし、経済のグローバル化に巻き込まれたことで、日本の経済戦争も終焉したと言えよう。新国家、経済戦争を開始した記念日ならば、終戦記念日は、バブル崩壊の1992年で終了する。でも、昨日68回目の終戦記念日を迎えた。途中から、新たな意味が付加された?
1960-70年代にコートジボワールも年8%の高度経済成長を遂げていた。これをイボワールの奇跡という。しかし、その後内線状態になった。日本では考えられないことだ。日本には、憲法9条がある。世界的にみて珍しい条文だ。日本国憲法は、1947年施行だ。
1947年5月以降、新国家建設、経済戦争開始の記念の意味に、平和国家建設の意味も追加されたと思われる。軍事戦争がないから経済活動(経済戦争)ができるという意味でも、憲法9条は、意味がある。ここで考えることは、平和にも絶対的平和と相対的平和があるという点である。
絶対に戦争が起きない状態が絶対的平和、隣国等との力の均衡の上に平和が成り立つことを相対的平和と定義しよう。おそらく、1947年以降国民の多くは、絶対的平和を望んだであろう。日本社会党は、非武装中立論を唱えた。しかし、世界は絶対的平和を否定した。
1950年朝鮮戦争が勃発。軍需景気により日本の経済復興の弾みとなる。自衛隊も1954年設立。日本は、相対的平和を目指すことになる。この時点での記念の意味は、絶対的平和を目指すことから、相対的平和を目指すことに変化したと思われる。では、バブル崩壊後は、どうなったか。
1993年以降の失われた20年の時代の記念の意味は、相対的平和を目指す国家を建設する記念日に変質したといえよう。このところ、隣国との領土問題で無意識下に、ある意味での記念が生まれつつあると思う。話は、横に逸れるが、ユングは集合的無意識として元型を定義した。
日本人だけに通じる元型は、「神風」と考える。世の中で閉塞されるほど、集合的無意識「神風」が顕在化しようとする。これは、日本人特有のことと思われる。記念の話に戻ります。平和国家建設のための終戦記念日の意味合いに新たな要素が加わりつつある。無意識下に。
戦争体験世代が少なくなり戦争の悲惨さが伝わらなくなってきている。歴史の風化だ。この隙をねらって、リメンバー・パールハーバー的な、敗戦記念日の要素が終戦記念日の意味の無意識下に加わりつつあるように感じる。隣国との領土問題を契機として国防軍を造るという見解がある。
大好きな歴史ドラマをみると、敗戦を復讐のための記念日と意識化させるシーンが出てくる。今の日本も押し付け憲法とか、新しい国の姿とか、敗戦をある意味復讐のように用いようとする考えが主流化しつつある。終戦記念日が、軍事戦争の終わりを意味することから、変化が生じてきた。
歴史ドラマに出てくる敗戦記念日的要素が加わりつつある。何を記念するかの意味は、68年の間にその意味合いが変化しているというのが私の見解です。その中で、私たち一人ひとりは、何を記念としたらよいでしょうか。
私は、終戦記念日の記念の現代的意味を、軍事戦争を自ら起こさないことを始めた第1日目と捉える。自衛隊は、軍隊かというと、軍隊の定義が一義的に定められないから、結論は出せない。現在の国際関係が他国との平和が力の均衡による相対的平和の上に成り立っているのは、自明の理だから、自衛隊必要。
自衛隊を国防軍に昇格させる必要はない。国民の義務として国防が加わる時代にさせてはならない。どこまで、力の均衡を保つために自衛力が必要かは、国民の活発な議論が必要。これは、国家のあり方にも関わる。国民国家という考え方にも関わる問題だ。一般に国家=国民国家の歴史はそう長くない。
日本は、国民国家の概念から捉えると、その開始は陸続きの諸国と比べると、その始まりはかなり古いと思われる。島国で有史以降、他国・多民族の侵略を受けて、民族が他の民族に従属させられたということはない。天武・持統朝ぐらいから、日本は国民国家の黎明があったと考える。
相対的平和をもたらすには、個人的にどうしたらよいか。原水禁等の平和運動に加わるのも一つの方法だが、もっと手軽にできることはないか。周囲の人と争わないように努力する。そのためには、相手の立場にたって考えるという想像力が必要だ。よくいう黄金律、自分がされたいことを他者に行うことが大事
できるだけ、黄金律を実践しようとするが、なかなか難しい。職場でも私生活でも。他者とうまくいかなくなるのは、原因があり、完全に相手のみが悪いということはまずないから、謙遜に自分の問題点を振り返り、気づく範囲で是正していく。この積み重ねかな。心の病に陥らない程度にね。
「何を記念」で始めた終戦記念日の意味を考えるの19本目のツイートです。与那国島の自衛隊進駐は必要か。力の均衡という相対的平和から考えると、与那国島に自衛隊進駐させてもさせなくてもあまり変わらないように思います。国境の島に行かれたこと、ありますか。
私は与那国島もガメラレーダーがある下甑島にも行きました。島民として、国境の島で生活しているなら、自衛隊進駐をどう考えるかなと想像しました。個人的には、自衛隊進駐賛成です。でも、実際決めるにあたっては、上から目線ではなく、住民の気持ちをよく受け止めて決めて欲しいな。
住民(島民)の気持ちを汲み取るは、黄金律の実践。ぜひ実行して欲しいです
8月になると、広島・長崎の原爆の話題が毎年でます。私の勝手な想像ですが、沖縄戦の組織抵抗が終了した翌月あたりにポツダム宣言を受け入れていたら、原爆は、朝鮮戦争時に長春とか天津とかという都市に落としただろうなと思います。なぜ、8月まで、延びたか。別の視点が必要です
私は、靖国神社の中の桜花やサイパン島で戦った日本の中型戦車等が飾ってある博物館をみたり、知覧の特攻隊の資料館をみたり、沖縄の大田少将たちが立て籠もった海軍濠もみたり、父島や加計呂麻島の戦争の跡も見てきました。加計呂麻島は、島尾敏雄『出発は遂に訪れず』の舞台です。
また、沖縄守備軍の牛島中将の辞世の句などを読んでみますと、始めた戦争は、心情的にやめられなくなってしまうのです。日本人は、『平家物語』が好きな方多いと思います。ある面、この物語は「滅びの美学」ですね。また、足利尊氏よりも楠正成の方が人気があるのではないでしょうか。
滅びの美学も神風と同様、日本人特有の元型ではないかと思います。このシリーズを終わるにあたり、最後に一言「軍事戦争も隣人との諍いも回避するよう、一歩退いて努力する。このため心の病に陥らないよう自己の心の管理もする。前向きに生きることを考える。」実践していきたい。