人類と虚構
昨今、話題になっている人類史を俯瞰した『サピエンス全史』という本があります。ベストセラーのようですが、書店で見かけて、目次を眺めた程度ですが、歴史に対する従来と異なる着眼点があるように思います。
そのなかで、大きなポイントとされる一つが、地球上の他の生物と人類を大きく分けるのは、人類は虚構をうまく利用しているということです。
虚構といえば、フィクションです。別の言葉で言えば、幻想です。他の生物は、現実にある物に対応して生きているのですが、人類だけは、虚構を使うことができています。
虚構とは何か。
宗教、貨幣、国家です。
宗教も国家も、実際に触ることはできません。貨幣は触れるものですが、例えば1万円札の原価は20円ほどです。原価20円のものが、1万円という価値を持つのは、国家が信用を保証しているからです。
宗教もご神体や礼拝所や信者さんは、実態として存在して、手で触れることはできますが、その本質である神様そのものには触れることはできませんし、宗教が保障する幸せは、信じる心によって左右されるものです。つまり本質には触れることのできない共同の幻想なのです。
国家にしても、立法、司法、行政を司る公務員や政治家、裁判官等に触れることはできます。それぞれの機関の建物に入ることもできます。しかし、それは国家の一部ではあっても、全てではありません。また、私たちも国民の一人ではありますが、全てが集まってみることが出来たとしても、それで国家の全貌が見えることにはなりません。やはり国家とは虚構なのです。
こうした虚構を使うことにより、人類は今日のごとく進歩発展してきたといいます。しかし、それで人類は、狩猟採集生活していた時代より幸せになったかというと、どうなのか疑問を呈しています。
そのことは日本にいると分からないのかもしれません。
人類は、3つの革命によって、今日の文明を築いてきました。7万年前の認知革命により、貨幣、国家、宗教という共通の神話を利用して、大きな力を手に入れました。
そして1万2000年前の農業革命によって、定住と蓄積と支配という制度を手に入れました。
500年前の科学革命によって、18世紀の産業革命と資本主義というシステムを獲得することができました。しかし、これは富の平等な分配はなされず、むしろ一握りの者への富の集中と極端な格差を生み出すという、歪んだ構造を生み出しています。
著者は、人類の進歩発展というものを必ずしも評価してはいないようです。また、従来の歴史学が、歴史の発展と人類の幸福が必ずしも一致していないことを看過していることを批判しているようにも思えます。
ちゃんと読んでいないので評価は保留しますが、人類の本質は虚構を利用しているという点を指摘している点について、改めて示唆される点があります。
虚構を信じて、さながら砂の城のように文明が大きな波にさらわれている姿を私たちは、2011年の3月11日に目撃しています。
今、大きな分岐点に立っていることを自覚しないと、私たちはとんでもない世界に導かれてしまうという危惧を捨てることはできません。
