アルカダイアモンド 社長のひとりごと
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自分探しは地獄への道

自分探しは地獄への道

 

若い人の中で、「本当の自分を探す」という目的のために、今の仕事をやめて、海外に行ったり、禅寺にこもったり、何か修行という名の行為に没頭したりということを行うという話を聞きます。

もしも、その方が、「本当の自分を探したい」と私に相談してくれたら、私は即座に「そんな無駄なことはやめなさい」と申し上げます。

もちろん、ご本人の真摯な姿勢を否定するつもりはありません。

しかし、この「真摯」に「自分さがし」をするということの無意味さが分かっていないだけで、重症であると申し上げたいのです。

 

なぜ、「本当の自分」を探すために、どこかに行かなければならないのでしょうか。

少なくとも、自分を探すために、今までと異なる環境に身を置かなければならないのでしょうか。

 

いま、ここにいる自分以外にどこに自分がいるのでしょうか。

あるいは、自分の中に隠されている「本来の自分」が、環境を変えることで見つかるとでもいうのでしょうか。

 

はっきり申し上げて、「いま、ここ」にいる自分以外に自分は存在しません。

もっと言ってしまえば、「自分」というものが存在するということを、アプリオリ(先天的)に前提としています。

「自分とは何か」「私とは何か」というのは、哲学の根本的な問いです。

自分など存在しない、という考え方もあります。問い続ければ、とても深く、容易に答えがでるような問いではありません。

 

大事なことは、「いま、ここ」にあることだけが確かであるということです。

だから、「いま、ここ」を忘れて、どこか遠くに自分を探しに行くのは、地獄へ行くようなものです。

なぜならば、そこには何もないからです。何もないのに、何か貴重なものが見つかるかもしれない、という幻想に支配されています。迷いの地獄にたどり着くことはあっても、「真の自己」にたどり着くことはありません。

最初から幻想にすぎないのです。

というよりも、「いま、ここ」からの逃亡です。

自分を変えるのは、「いま、ここ」しかありません。

「神」の国、「武」の精神

「神」の国、「武」の精神

 

昔、「日本は神の国だ」と言って、退任に追い込まれた総理大臣がいました。

先ごろもセクハラ発言で五輪組織委員会会長を辞任させられた人です。つくづく場をわきまえないで発言する人です。

しかし、「日本は神の国」ということ自体は間違いではありません。

 

多くの日本人もあまり認識していないことでしようが、今上天皇を125代天皇として、皇紀2681年もの間連綿と続いた王朝は、世界に類がありません。

ヨーロッパの王朝にしても、中国の王朝にしても、王朝が変わると前王朝の血は根絶やしにします。したがって、王朝が変わるごとに断絶があります。

例えば中国4000年の歴史があるといわれていますが、戦後、中華人民共和国ができて、それまでの中国の文化はかなり破壊されました。さらに毛沢東の文化大革命によって、数千万人の文化人や知的財産が破壊され、100年以上の文化的な遅滞をもたらしたと言われています。

 

しかし、我が国は、権力の移行はあっても、天皇陛下をいただいた体制は、2600年以上変わらずに続いているのです。これは、世界史のなかでも奇跡といっていい出来事です。

 

初代天皇は神武天皇と言われています。それは、神話上の架空の存在であるという説もあります。しかし、第125代天皇である今上天皇陛下まで、男系男子として、その血を継承してきました。これもすごいことです。神武天皇と名乗った存在は、間違いなくこの大和の国におられました。

天皇の贈り名を「諡号(しごう)」と言います。

初代天皇に、なぜ「神武」という諡号が贈られたのでしょうか。

それは「日本は『神』を中心とした国であり、『武』の精神を内包している国である」という、日本という国の国柄を表すものだからではないでしょうか。

武の精神とは、強いものが弱いものを支配するという弱肉強食のことを言うのではありません。

武の精神とは、「平和を実現する、戦いをやめさせる心のこと」と聞いたことがあります。いつでも戦うことは辞さないが、それは大儀があってのこと。

神の理想を実現するために、武の精神があります。武道とは、そのための精神を培うために行いことであるのです。

私は、このような素晴らしい国に生まれたことに感謝するとともに、この国の根本精神について学んでまいりたいと思います。

不遇は善知識

不遇は善知識

 

知り合いの社長から聞いた話です。

私は知らならなかったのですが、中村久子という四肢切断した女性がおられました。

この方は、幼少の頃に病気のために、両手足を切断することになりました。さらに七歳の頃に父親と死別し、十歳の頃には弟と生き別れになるという不幸に見舞われました。

祖母と母親は、この娘が自立できるように厳しく育て、筆記や編み物をできるようになりました。

20歳で生まれ故郷を出て、横浜で一人暮らしを始めるのですが、身売り同然に見世物小屋で「だるま娘」という芸人として働くようになりました。

41歳のとき、来日していたヘレンケラーに、口とひじのない腕で作った日本人形を贈ると、ケラーより「私より不幸な人、私より偉大な人」という言葉を贈られました。

久子は、生涯、「恩恵にすがって生きれば、甘えから抜け出せない」と国の障がい者救済制度を利用しなかったといいます。

後年、執筆活動、講演活動、慰問活動を通して、全国の身障者や健常者に大きな生きる力と光をもたらしてきました。

 

42歳ごろから『歎異抄』に出会い、仏教に深く帰依しています。

仏教には「善知識」という言葉があります。善知識とは、教え導く師匠方のことを言うのですが、彼女の言葉の解釈は違いました。

「手足の無いのが善知識」というのです。

おそらく五体満足であれば、平凡な一生を送ったかもしれません。四肢切断によって、数奇な生涯を送ることになりました。

「なやみを、苦しみを、悲しみの宿業を通して、喜びに、感謝にかえさせて頂くことが、先生たちを通して聞かせて頂いた、“正法”でございました」

 

どのような境遇であろうとも、その人の考え、生きざまによって、その人生はどん底にもなれば、輝きの世界にも変わるということでしょうか。

こんなすごい人生を歩んだ女性がおられたということに、私は言葉もありませんでした。

そして、このような女性の生き方から、どのような逆境にあっても、抜け出せる方途はあるということを学びました。教えていただいた社長にも感謝です。

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