アルカダイアモンド 社長のひとりごと
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教養という療法

教養という療法

 

 2018年に経済産業省は、「『デザイン経営』宣言」なるものを発表しました。

 これからの企業にとって、デザインというものは必須だというのですが、いまひとつわかりません。

 

 その「宣言」によれば「デザイン経営」というのは、「デザインを企業価値向上のための重要資源として活用する経営」ということなのだそうですが、やはり分かりにくいですね。

 

 経営の現場というのは、容易に理屈では割り切れるものではありません。

 ロジカルに決めても、なかなか結果を出していくのは難しい局面というものはあります。そこで、理屈ではなく、直観や感覚的にものごとをきめざるを得ないこともあるような気がします。

 実際にそうしていることも少なくありません。

 

 このデザイン感覚を磨いていくのには、やはり教養を身につけることは必須のことでしょう。

 教養というのは、あのベストセラー本のように一日1ページ読むだけで身に付くものではありません。

 やはり、美術館に行って、いい絵をたくさん観る。

 コンサート会場に足を運んで、よい音楽を聴く。

 時間をとって本をじっくり読む。

 そうした積み重ねが、いつしか血となり、肉となり、その人の人格を形成していくのでしょう。

 

 フランスの哲学者、アランは教養について次のように言っています。

「私が教養というのは、あらゆる種類の思想と長く親しみ、作家を是認したり非難したりすることよりも、はじめにむしろ作家を理解することに意をもちいつつ、すべての作家を探求するということである」

 

 すべての作家を探求するといのは、無理であるけれども、音楽にしろ美術にしろ、文学にしろ、古典という長い時間の審判を受けても、後世に伝えられたものに親しむことにより、本当に人間として身につけるべき知識や伝統、文化というものを学ぶことができると思います。

 それがあらゆる心の病の特効薬になるのではないでしょうか。

喜捨という思想

喜捨という思想

 

 お釈迦様の教えに「托鉢(たくはつ)」があります。

 編み笠をかぶった修行僧が、お椀をもって路傍に立ったり、家々を訪ね歩いて、お椀の中にお金やお米などを入れていただき、お経を唱えるものです。

 

 これは、僧侶が物乞いをしているわけではありません。

 お椀にお金を入れていただくと、お経を唱えてくれる。

 本来ならば、お寺まで足を運び、供養の金品を支払い、そのうえで有難いお経を唱えていただく。それを向こうからきていただき、門前でお経を唱えてくれる。

 だから、お金をお椀に入れてもらっても「ありがとう」などとお礼は言いません。

 

 このお椀にお金を入れる行為を「喜捨(きしゃ)」といい、お金を入れる側がお礼を言うものです。

「仏法に帰依した方々に、お金を正しく使っていただきたい。そのためにお金を喜んで施させていただきます」という意味だといいます。

 

 お釈迦さまは、托鉢に行く弟子たちに注意を促しました。

「けっしてお金持ちの家を廻ってはいけない。貧しい家々を廻って托鉢をしなさい」

 

 それを聞いた弟子たちは、お釈迦様がいい間違いをしたものと思い、聞きなおしました。

 するとお釈迦さまは、その意味について説明されました。

「貧しい者は、自分が貧しいからと人に施しをしてこなかった。だからこそ貧しさにあえぐことになる。私たちの役割は、その人たちに喜捨させることにより、その苦しみから救ってあげることなのだ」

 

 お金に余裕のある人に喜捨しなさい、というのは容易です。しかし、貧しい人にこそ喜捨してもらう、というのは簡単ではありません。

 ここにお金に対する大事な法則が隠されています。

 お金はため込むものではありません。いかに上手に美しく使うかです。そのような使い方をする人のところには、お金が集まってくるようです。

 

お金は、喜ばれるような使い方をしてくれるところに、集まってくるようです。

常識の壁

常識の壁

 私たちは生まれてからさまざまな情報から、自分の思考のなかに「常識の壁」というものを作り出しています。

 

 小さな頃、親から受けた洗脳。学校の教師や生徒たちから受けた洗脳。テレビや新聞、インターネットなどから受ける洗脳。本屋や雑誌の記事から受ける洗脳。

  私たちはそれらの洗脳によって作られた「常識の壁」によって、真実を見ることから遠ざけられています。

 

 ある太平洋上に浮かぶ島の住民は、大きな船というものを見たことがありませんでした。つまり、この島の住民の頭の中には「船」という概念がありませんでした。ですから、水平線のかなたから大きな船が近づいてきても、それを認識することができず、大きな船が視界にはいっているにもかかわらず、見えないといいます。

 

 常識の壁も同様に、洗脳によって、それは存在しないものと認識していれば、けっして見ることはできないのです。もっともよい例は、UFOや幽霊の存在です。

 そのようなものは存在しない、と思っている人には、仮にそれが目の前に現れたとしても、決して見ることはできないのです。

 

 それは存在物だけではありません。

知識というものもまた、常識の壁を作ります。

日本は大東亜戦争でさんざん悪いことをした。

日本の軍隊は、アジアで悪逆非道のことをした。

アメリカは自由と平等を実現した国だ。

欧米先進国は、地球上でもっとも進んだ民族である。

 

これらは、常識の壁のほんの一部です。

自分の中に常識の壁がないか点検してみましょう。

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