血塗ラレタ日記 -10ページ目

血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル

3月になりまして

 

世界はこの先どうなってしまうのか・・・・

 

 

先週のブラアラキ遠征の続き

 
2月21日(土)に出発し
 
常磐線いわき駅~磐越東線郡山駅を経て磐越西線で会津若松駅へ

翌2月22日(日)の朝

 
駅前のホテルの窓から望む会津盆地と福島北部の雪化粧した飯富山地
 
因みに会津盆地は東西両側に南北に走る2つの断層によって作られ
 
南北約34km、東西約13kmと楕円形の盆地
 

会津若松駅前

 
この日の市街地はそんなに寒くはなく、雪は所々に残っている程度
 
 
とりま朝飯

会津若松駅構内の立食い蕎麦屋「立ちそば処鷹」

 

山菜&生玉子&かき揚げ

 
太めの麺で美味しかった(ノ^^)ノ
 
 
駅から約30分歩き

飯盛山へ

 
会津盆地の東のヘリにあたる場所
 
この飯盛山は・・・

戊辰戦争の際に白虎隊の少年達(当時16~17歳)が自刃した場所として有名よね

 
ここを訪れるのは2014年の年末以来3度目
 
この時は大雪で大変だった(白目)
 

白虎隊自刃の地と隊士の墓は山の中腹に
 

麓の白虎隊記念館の前に建つ白虎隊士像

 

こちらは生き残った酒井峰治と彼を助けた犬の像

 
ドラマ「白虎隊」というと日テレの年末時代劇が有名だけど、テレ朝版で山下智久が演じたのがこの酒井峰治
 

徳富蘇峰の詩碑

 

戊辰役で会津と共に戦って戦死した水戸藩士諸生党の供養塔

 
 
記念館の横には

墓や自刃地がある山の中腹へ登る階段

 

雪がまぁまぁ残ってた(白目)

 

階段の右には有料のエスカレーターがあるんだけども、まだ時間が早くて運転しておらず

 

仕方なく階段登ったわよ(危)

 

前述の過去記事の時よりはマシだったけど

 

階段の最後の方は全く残ってなかったw

 
階段を登りきると

お墓がある開けた場所に

 
お墓以外にもいろいろ石碑が建っていて

山川健次郎らが建てた供養塔

 
山川健次郎自身も元白虎隊(自刃した士中二番隊ではない)で、明治になり東京帝国大学総長を務めた人
 

こちらは松平容保公が詠んだ弔歌

 
そして

こちらが墓所

 

飯盛山で自刃した白虎隊士19名が眠っておる
 
よく誤解されるんだけども、白虎隊は6中隊(各30名・総勢300名)で編成され
 
その内の士中二番隊の中で、途中戦死や隊からはぐれた者がありつつ、ここ飯盛山に辿り着いた20名が自刃
(1名は蘇生:後述)
 
因みにここに眠る隊士の1人、井深茂太郎
 
彼の子孫にソニー創業者の井深大氏がおるよ
 

墓の正面は緩やかに下る山道になっており

(写真はお墓方面)
 
ほんの少し下りた場所には

自刃から蘇生し生き残った飯沼貞吉のお墓

 
飯沼は昭和初期1931年に仙台で死去(享年78歳)
 
最初仙台に葬られたけど、1957年にこの地に分骨
 
実に90年ぶりに仲間との再会を果たせたことに・・・(涙)
 
 
山道をもう少し下ると

白虎隊士自刃の地

 
この場所に辿り着き、山の下に見える戦火の城下町を目の当たりにし自刃を決意(落城誤認説もあり)
 

石碑

 

鶴ヶ城をのぞむ隊士像

 

実際に自刃地からのぞむ会津城下町

 
写真では分かりにくいけど、天気も良くちゃんと鶴ヶ城天守が見えたよ
 
 
次にお墓を挟んで反対側へ
 
お墓からは徒歩数分

さざえ堂(正式名称:円通三匝堂)
 
建立:1796年
 
「さざえ堂」とは江戸後期に東北・関東地方を中心に建てられた仏堂で
 
内部が螺旋状の回廊で上っていく構造になっており
 
こちらは通称「会津さざえ堂」で国重文
 
かつてこの地にあった正宗寺(明治期に廃寺)の仏堂として建立されたもの
 

会津さざえ堂は他のさざえ堂とは異なり、螺旋回廊が二重になっており
 
上りと下りですれ違うことがない特殊な構造は日本で唯一
 
有料で中に入れるよ(今回は入らなかったけど)
 
 
さざえ堂の隣には
戸ノ口堰洞窟
 
江戸期に掘られた、琵琶湖からの水を引く為の水路洞窟
 

白虎隊士達は猪苗代方面からこの洞窟を通って飯盛山に辿り着いたのよ

 

 

今回はここまで

 

次回、鶴ヶ城!