ブラアラキSP~白河編~ (2)小峰城 | 血塗ラレタ日記

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5月2日ブラアラキ白河遠征の続き

 
全記事でお訪れた鹿嶋神社からまた徒歩で白河駅に戻り
 
駅に隣接する場所には

小峰城(白河城・白河小峰城)

 
所在地:福島県白河市郭内
築城年:1340年
築城主:結城親朝
 
南北朝期に結城氏が築城
 
豊臣政権により結城氏は改易
 
その後は会津を治めた蒲生氏→上杉氏と領主は移り
 
関ヶ原後に会津に戻った蒲生氏が再び治めるも転封
 
その後は会津領とは切り離され、独立した白河藩として丹羽長重が入城
 
この丹羽長重は、あの有名な丹羽長秀の長男
 
その後城主は激しく入れ替わり
 
途中、寛政の改革で有名な松平定信が入ったり
 
最後は天領(幕府の直轄地)となり、近辺の二本松城主になっていた丹羽氏が城代を務めていた時に幕末・明治を迎え
 
戊辰戦争では激戦地に

城名は一般的には「小峰城」だけど

 
「白河小峰城」「白河城」とも

東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城・会津若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられておる

 

戊辰戦争で建物の殆どが焼失し、現存で残るのはこの石垣のみ

 

天守(実際には三重櫓)は1991年の木造復元

 

大手門跡の礎石

 

会津門跡

 
会津から移って来た町人が住んでいた事から「会津町」という町名が今でも残っておる
 



遺構の石垣が立派!
 
そして本丸へ
 







この門は前御門
 


ちなみに各城で復元天守が昭和期に多く再建されたけど、それらは鉄筋コンクリート造(外観復元)で
 
木造復元はこの小峰城が最初
 
 
そして天守の中へ
戊辰戦争の野外戦で銃弾を受けた杉を使用した床
 
こういった銃痕の木材が所々使われておる
 


天守から望む白河市街
 
 
天守を出て、本丸広場には
丹羽長重築城址の石碑
 
最初の築城主ではないけども、城郭を現在の状態に改築したのが丹羽長重
 
 
本丸の左側へ周ると
こちらも立派な石垣!
 



この部分は東日本大震災で崩落した箇所を復旧
 
更に裏側へ進むと


こちらも震災の被害を受けた箇所
 
更にぐるっとまわり

立派な石垣が続き、萌えまくり(〃∇〃)
 
 
そんなこんなで天守の裏側へ


こちらは現存する最古の石垣が残る箇所
 
積み方が違う箇所があるのが分かるわね
 

本丸を一周
 
なかなか見応えのあるお城であった(ノ^^)ノ
 
 
この後、白河駅に戻る訳なんだけども
 
城がある側には駅出入口はないので、線路下の連絡通路を通って駅の反対側へ
 
その連絡通路内には白河の歴史や名所・名物の紹介パネルがズラッと並んでいて
白河藩初代藩主の丹羽長重
 
関ヶ原では西軍についた為に改易
 
織田家の家臣筆頭の一人である丹羽長秀の長男ということで大名に復帰
 
常陸国古渡→奥州棚倉を経て1627年、ここ白河に10万石で入封
 
小峰城とその城下町の基礎を作った人
 
 
そして
寛政の改革で有名な松平定信

 

御三卿田安家の出身で八代将軍徳川吉宗の孫

 

11代将軍の候補者になるも白河松平家へ養子に

 

この白河松平家は久松松平家の一つで

 

徳川家康の母である於大の方(伝通院)が松平家と離縁後に久松家と再婚

 

そこで生まれた子供達、つまり家康の父違いの弟達の家系が久松松平家

 

ちなみに伊予松山の久松松平家は親藩扱いで

 

ここ白河の久松松平家は譜代大名扱い

 

 

1日目は以上

 

2日目へ続く・・・