先日の土日は2週間ぶりの関西遠征
初日7月20日(土)
新幹線を京都駅で下車し、乗り継いで京阪電車の祇園四条駅で下車
右のタイプは初めて見たな
駅を出て東側に少し歩くと
四条通りに面するお茶屋「一力亭」
「お茶屋」というのはお茶を飲めるお店ではなく、芸子・舞子さんを呼んでお酒や料理を味わいながら遊ぶ場所
「忠臣蔵」で大石内蔵助が世間の目を欺く為に豪遊した場所!
入口が祇園のメインストリートである四条通り側ではなく横道を入った所にあるのには理由があって
江戸時代は四条通り側にあったんだけども
大正期にその四条通りに市電(路面電車)が開通
老若男女が行き交う様になった為、風紀上良くないという理由で入口を横道側に付け替えた訳
そして駅から徒歩約7分
四条通りの東の突き当り、東大路通り沿いにこの日最初の参拝地
所在地:京都府京都市東山区祇園町北側
創建:伝・656年
全国に約2300社ある「八坂神社」の総本社
仏教の釈迦が説法を行ったとされるインドの祇園精舎の守護神である牛頭天王を祀ることから「祇園社」とも
要は神仏習合の神社
明治になり神仏分離令により「八坂神社」と改称
2011年以来、実に13年ぶり2度目の参拝
この日は祭りの賑いはなかったけど、まぁ31日間毎日やってる訳ではないよねw
そしてこの西楼門が建つ場所は
つまり京都盆地と東山の境目
西楼門前のこの階段から東山の裾野が始まっているということ
更に
植木の下に古い石碑が見えるやん?
かつてこの位置に楼門があったという事を記す石碑
現在より西南側に建っていたのを四条通りが市電開通の為に拡張
それに合わせて四条通りの真ん中になる様に現在の場所に移転
その痕跡!
ブラタモリ祇園編でも紹介されておったよ
そんなこんなで境内へ
これぞ神仏習合の名残!
一般の神社では別棟になっている本殿と拝殿を1つの入母屋屋根で覆った独特の建築様式
これぞ祇園造!
社殿を横から
左から社殿・舞殿・南楼門
社号標
鳥居沿いの道路
鳥居前に建つ社号標と馬の像
本殿
別称「難波大社」「生玉宮」「生玉社」「生玉明神」とも
正面の大鳥居
社号標
拝殿
拝殿・本殿を含む建物は大阪空襲や戦後の台風で失っており、1956年の再建
本殿
立派な摂社が幾つも建っておった
祇園祭限定御朱印
これも神仏習合の名残り!
そう、社殿の正面にあたる南側にも立派な楼門があるのよ
そんな訳で南側に出てみた
南側の鳥居(1646年再建)
そういや西側には鳥居はなかったよね
こちらが表参道になるんだけども
祇園のメインストリートである四条通りの突き当りに建つ西楼門側の方が賑わっているし、そっちが正面だと思ってる人が多いんだろなぁ
こちらの表参道は少し寂しい感じやった
前述の通り京都盆地と東山の境である為、傾斜があるわね
道路の先が四条通り方面、下がっているのが分かる
そんな訳で13年ぶりに訪れた祇園
今回はディープな部分までじっくり見れて満足(・∀・>)
しっかし、外国人観光客ばかりだったw
13年前は5月のGWにいったんだけども、そんなにいた印象はなかったな
新しい御朱印帳を購入(7冊目)
次に京阪電車で大阪に向かい、いつもの距離坊主氏と合流
諸々乗り継ぎ、阪堺電軌阪堺線の天神ノ森駅で下車
徒歩約5分、最初に訪れたのは
阿部野神社
所在地:大阪府大阪市阿倍野区北畠
創建:1882年
2年半ぶり2度目の参拝
↑
過去記事
明治期になり、建武の新政の貢献した南朝側の人物を祀った建武中興十五社のひとつ
祭神は北畠顕家公
北畠顕家公については過去記事にめっちゃ詳しく書いているので是非読んでね
写真は境内の右側(西側)の入口
駅から最短距離で行くとこちら側に出ます
南北朝の動乱期、21歳の若さで戦死・・・
次にまた諸々乗り継ぎ、市営地下鉄の谷町九丁目駅で下車
徒歩約5分
生國魂神社
所在地:大阪府大阪市天王寺区生玉町
創建:伝・神武天皇即位前頃
大坂城も建つ「上町台地」と呼ばれる舌状台地に鎮座
元々は現在の大坂城の場所に創建され、秀吉が大坂城を築城する際に南西方向の現在地に移転
別称「難波大社」「生玉宮」「生玉社」「生玉明神」とも
地元の人達からは「いくたまさん」と呼ばれ親しまれている大阪の代表的な古社
「魂」の右側「鬼」の上の点がないの何故なんだろう?
拝殿
拝殿・本殿を含む建物は大阪空襲や戦後の台風で失っており、1956年の再建
本殿
他には境内には
立派な摂社が幾つも建っておった
境内の外を散策すると
上町台地の谷にあたるのが良く分かる傾斜
そして周りを取り囲む石垣
これはかつてこの地がまだ海に囲まれていた名残り
上町台地の高低差を感じることができた神社でした
以上で初日の神社巡りは終了!
いやー、しっかし暑かった!!!
前回と同じく、その後は
阪神甲子園球場へ!今季3度目の観戦
今回の御朱印
祇園祭限定御朱印