ブラアラキ~長岡編~ | 血塗ラレタ日記

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阪神タイガース、ブラアラキ、メタル、たまにオタク

先日の3連休、2日目のつづき

 

1月7日

 

早朝に会津若松から只見線を走破し(一つ前の記事見て)

小出駅に到着

 

ここから上越線-高崎線で帰京するつもりだったけど

只見線に乗ってる途中に、新潟在住の◯ーじさんから「長岡来ない?ラーメン食おうぜ」との連絡があり

 

急遽予定変更し下りの長岡行きへ

7駅、約34分乗車し終点長岡に到着

 

駅前

 
長岡と言えば、花火!
 
一度は見に行きたいわね
 
そして、ここ長岡駅は
元長岡城の本丸だった場所
 
江戸初期は堀氏、後に牧野氏が城主になり幕末・明治維新まで長岡を治めたよ
 
そんな訳で、大晦日~1月4日まで一緒にいた◯ーじさんと再会
 
どんだけ一緒におんねんw
 
とりま昼飯!
「あおきや」で長岡名物の生姜ラーメン
 
体ぽっかぽっかよ!
 
 
昼食後向かったのは、長岡駅から車で3分(徒歩だと10分くらい)
元帥海軍大将山本五十六の記念館
 
残念ながら館内は撮影禁止
 
山本さんは太平洋戦争中、ラバウルから前線航空基地の視察に向かう途中にパプアニューギニアのブーゲンビル島上空で米軍の襲撃に遭い戦死
 
その時に搭乗していた一式陸上攻撃機の左翼の半分が展示されていて、生々しかった・・・
 
戦後、わざわざパプアニューギニアから持って帰って来たのね・・・
 
他の展示物は遺品や手紙など
 
アメリカとの戦争には反対だったのに、連合艦隊司令長官として戦わざるを得ず、戦死された山本さん
 
何とも言えないわね
 
 
記念館の向かいには
生家跡に復元された家屋
 
銅像
 
 
次に山本五十六記念館から徒歩約3分
こちらも長岡が生んだ英雄、河井継之助の記念館
 
こちらは少しだけ撮影可能
 
幕末の長岡藩家老、河井継之助
 
戊辰戦争の際、薩長率いる新政府軍と対峙し小千谷談判で中立を主張するも土佐の小童に一蹴され
 
結局戦になり長岡は焼土に
 
地元領民からは墓石を倒されたりして、かなり恨まれたそうね・・・
 
談判相手が薩摩の黒田清隆や長州の山縣有朋だったら、戦は避けられたかも知れない
継之助は若い頃から日本各地を遊学し博識が高く
 
もし明治以降も生き残っていたら新政府の要職に就いていたかもね
 
こちらは北越戦争で長岡藩が使用したガトリング砲(復元)
 
継之助が藩の家宝を全て売却し更に米相場で儲けた軍資金で、当時日本に3門しかなかった内の2門を購入
 
日本ではまだ元込式の単発銃が珍しかった時代、このガトリング砲はかなり脅威だったに違いなく
 
その2門を持ってしても長岡藩は新政府軍に敗退
 
継之助は重傷を負い、会津へ向かう途中に現在の只見町で死去
 
 
次に向かったのは車で約7分、駅の反対側
帝京長岡高等学校
 
昨季、阪神タイガースに入団したルーキー茨木秀俊投手の母校!
 
2年目の今季、活躍を期待しておるよ(・∀・>)
 
 
そんなこんなで長岡市内を巡り、よー◯さんと別れ帰京の途へ
長岡駅16:34発、水上行きに乗車
 
18:33水上着
 
ダイヤを見ると・・・
上りの水上-高崎間はだいたい1時間に1本だけど
 
下りの水上から先はかなりエグいわね
 
水上18:44発、高崎行きに乗車
 
19:48高崎着
 
ここからは湘南新宿ラインで一気に都内へ
 
そんな訳で
 
一泊二日
 
都内-(常磐線)-水戸-(水郡線)-郡山-(磐越西線)-会津若松-(只見線)-小出-(上越線)-長岡-(上越線・高崎線)-都内