先日の3連休、2日目のつづき
1月7日
早朝に会津若松から只見線を走破し(一つ前の記事見て)
ここから上越線-高崎線で帰京するつもりだったけど
只見線に乗ってる途中に、新潟在住の◯ーじさんから「長岡来ない?ラーメン食おうぜ」との連絡があり
急遽予定変更し下りの長岡行きへ
長岡と言えば、花火!
一度は見に行きたいわね
そして、ここ長岡駅は
元長岡城の本丸だった場所
江戸初期は堀氏、後に牧野氏が城主になり幕末・明治維新まで長岡を治めたよ
そんな訳で、大晦日~1月4日まで一緒にいた◯ーじさんと再会
どんだけ一緒におんねんw
とりま昼飯!
「あおきや」で長岡名物の生姜ラーメン
体ぽっかぽっかよ!
昼食後向かったのは、長岡駅から車で3分(徒歩だと10分くらい)
元帥海軍大将山本五十六の記念館
残念ながら館内は撮影禁止
山本さんは太平洋戦争中、ラバウルから前線航空基地の視察に向かう途中にパプアニューギニアのブーゲンビル島上空で米軍の襲撃に遭い戦死
その時に搭乗していた一式陸上攻撃機の左翼の半分が展示されていて、生々しかった・・・
戦後、わざわざパプアニューギニアから持って帰って来たのね・・・
他の展示物は遺品や手紙など
アメリカとの戦争には反対だったのに、連合艦隊司令長官として戦わざるを得ず、戦死された山本さん
何とも言えないわね
記念館の向かいには
生家跡に復元された家屋
銅像
次に山本五十六記念館から徒歩約3分
こちらも長岡が生んだ英雄、河井継之助の記念館
幕末の長岡藩家老、河井継之助
戊辰戦争の際、薩長率いる新政府軍と対峙し小千谷談判で中立を主張するも土佐の小童に一蹴され
結局戦になり長岡は焼土に
地元領民からは墓石を倒されたりして、かなり恨まれたそうね・・・
談判相手が薩摩の黒田清隆や長州の山縣有朋だったら、戦は避けられたかも知れない
継之助は若い頃から日本各地を遊学し博識が高くそんな訳で
一泊二日
都内-(常磐線)-水戸-(水郡線)-郡山-(磐越西線)-会津若松-(只見線)-小出-(上越線)-長岡-(上越線・高崎線)-都内
完