血塗ラレタ日記

血塗ラレタ日記

阪神タイガース、ブラアラキ、メタル、たまにオタク

先週の関西遠征の続き

 

初日6日は神戸市内の神社を巡った後、甲子園で野球観戦

 

二日目、7日七夕

 
諸々乗り継ぎ、阪急の上牧駅で下車し駅前でレンタカー
 
約10分、この日最初の参拝は

水無瀬神宮

 
所在地:大阪府三島郡島本町
創建:1240年
 
約3年ぶり二度目の参拝
 
↑前回参拝時の記事
 
鎌倉前期の承久の乱で配流された三帝(後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇)を祀る神社
 
元々は後鳥羽天皇の離宮(別荘)・水無瀬殿下御所があった場所

社号標

 

神門

 

拝殿(昭和初期再建)

 

境内の湧き水は「離宮の水」として日本の「名水百選」にも選ばれており、沢山の地元の人が水を汲みに訪れておりやした

 

ちなみに、前回来た時はアイドルらしき女性とオタクらしき男性が撮影会をしていたんだけども・・・

 

なんと、今回もおりましたwww

 

え、ここはそういう場所なの??

 
 
次に高速道路を使い、約40分
 
京都府亀岡市に入り
出雲大神宮
 
所在地:京都府亀岡市千歳町千歳出雲
創建:不詳
 
丹波国の一之宮
 
神社背後の御蔭山には古墳があり、社殿が建つ709年よりもっと古くから山を御神体とする信仰があったそうな。
 
「出雲」と言えば島根の出雲大社だけど
 
その島根の出雲大社から勧進した説と、逆にここから出雲大社に勧進した説があり
 
こちら出雲大神宮は後者の説を採り、別称「元出雲」とも
 
とは言ってもどちらが元なのか争っている訳ではなく、交流があるそうよ
 
神社が争ったらいかんよね。仲良しで平和で良いことや(・∀・>)
 
一之鳥居
 
社号標
 
参道
 
参道に建つ二本目の社号標
 
こちらは島根の出雲大社宮司の筆
 

二之鳥居
 
拝殿
 
拝殿の奥に中門
 
拝殿正面から望む中門
 
中門奥に屋根だけ見える本殿
 
室町時代初期の足利尊氏による再建
 
撮影禁止でした
 
中門
 
ちなみに、出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していた為、江戸末期までは「出雲の神」と言えばここ出雲大神宮を指していたとされるとか
 
やはり、ここが元出雲!?
 
 
次に車で約5分
愛宕神社(元愛宕)
 
所在地:京都府亀岡市千歳町国分南山ノ口
創建:伝507年
 
こちらも創建とされる507年よりもっと古くから山を御神体として信仰があった場所
 
全国に鎮座する愛宕神社の総本社は近くの愛宕山山頂にあるけども
 
この地から山頂に勧進したという言い伝え
 
故に「元愛宕」「愛宕本宮」とも
 
元々は「阿多古神社」と称したそうな

鳥居
 
社号標

拝殿
 
拝殿から望む本殿
 
右が拝殿、左に本殿
 
本殿正面の拝所
 

石碑には旧称「阿多古」の文字が見える
 
本殿を横から
 
本殿は大きな覆屋に覆われ、写真では見難いけどその中に本殿がある
 
鎌倉後期の造営で国の重文
 
境内の大杉
 
 
次に車で約10分
 
亀岡市の市街地に入り
牛楽というお店で昼食
 
ここは丹波亀岡牛を味わえるお店
 

亀岡牛ステーキ
 
肉とは思えない程の柔らかさで、口の中で溶けそうやった(〃∇〃)
 
 
次に車で約10分
鍬山神社
 
所在地:京都府亀岡市矢田町上垣内
創建:伝709年
 
亀岡市がある亀岡盆地を神々が開拓し、その際に用いた鍬が山積みされたことから「鍬山神社」と称されたそうな
 
また、地名の「矢田」は神社が8つの神田を所有していたことから「八田」→「矢田」となり
 
別称「矢田社」「矢田宮」とも
 
社号標
 

紅葉に囲まれた参道
 
秋に来たらめっちゃ綺麗やろなぁ
 
参道の先、右折する様に建つ二之鳥居
 

朱塗りの二之鳥居
 
新緑紅葉に囲まれ綺麗!
 
紅葉の季節も良いけど、新緑も好き(〃∇〃)
 
拝殿
 
で、この神社は珍しい造りをしていて
 
拝殿の奥には・・・

ほぼ同じ大きさの本殿が二棟並んでおる!
 
左が「鍬山宮」、右が「八幡宮」
 
そう、ここは「一社二宮」の神社
 
鍬山宮創建から遅れること1165年に八幡宮を客神として祀ったそうな
 
鍬山宮の入口
 
鍬山宮本殿
 
 
そして左側

八幡宮本殿
 
両本殿は1814年の再建で、同一の形式・規模
 
んー、写真撮っておいて後から見直してどっちがどっちか正直分からない←
 
両宮本殿の裏側へ回り

八幡宮本殿
 

鍬山宮本殿
 
写真左下に見えるのが八幡宮本殿
 
とても珍しい神社やったね
 
 
次に車で約20分
 
京都府の南西方面に戻り、長岡京市に入り
長岡天満宮
 
所在地:京都府長岡京市天神
創建:903~916年
 
桓武天皇時代の784年、平城京から遷都して都となった長岡京
 
その後794年に平安京に再遷都し、平安時代になった訳で
 
その平安時代、元長岡京周辺は菅原道真公の所領であったとされ、道真公がしばしば余暇を楽しんだ場所だったとか
 
道真公が大宰府へ左遷される際、この地に立ち寄り名残を惜しみ
 
この時付き従ったのが、菅原氏の一族である中小路宗則
 
その宗則が道真公の死後に祀ったのが創建の由来なそうな

大通りにどーんと聳える大鳥居
 
この鳥居の先には

江戸初期に築造された八条ヶ池
 
三本の神橋
 
何故か真ん中だけ通行禁止
 
神橋を進んで振り返ると、さっきの大鳥居
 
両側に生えるのはツツジ
 
この先で左折し
石鳥居
 
ちなみに境内が広く参道が複雑で一之鳥居・二之鳥居の区別が分からないw
 
注連縄柱居
 
この先の石段を昇り、また左折すると
また石鳥居
 
潜った後、今度は右折し
最後の石段と石鳥居
 
石鳥居とその先に広がる境内
 
拝殿
 
屋根だけ見える本殿
 
本殿は昭和初期に平安神宮の社殿を移築したもの
 
いやいや、猛暑の中広い境内でなかなかキツかったでw
 
 
そして最後の参拝地へ移動
 
車で約10分
離宮八幡宮
 
所在地:京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷
創建:859年
 
かつてこの神社は山城国の国府が置かれた時期があり
 
紫式部の夫、藤原宣孝が山城守を務めていた際にいた場所
 
なので大河ドラマ「光る君へ」ゆかりの地ということで、例の如くまひろちゃんのポストカードを掲げてます←
 
実際、参拝する前週にドラマ内で紹介されておったよ!
 
グッドタイミング!(・∀・>)
 
 
それはさて置き、創建は平安期清和天皇の時代
 
八幡宮の本社である宇佐八幡宮から勧進
 
この地の岩の間から清水が湧いてるのを見つけたことから「石清水八幡宮」と名付けられた、という言い伝え
 
その後、淀川(桂川・宇治川)を挟んだ南東に聳える男山に遷宮し新たに「石清水八幡宮」を建立
 
それが現在の石清水八幡宮
(男山に鎮座するので別称「男山八幡宮」)
 
そして、残されたここ大山崎にも再度勧請して「石清水八幡宮」を存続
(別称「大山崎石清水八幡宮」)
 
故にここは石清水八幡宮の元宮とされる神社
 
って、分かりにくっ!!
 
実際、江戸期にどちらが「石清水八幡宮」の社号を名乗るのか争いがあり
 
裁定の結果、対岸の男山に鎮座する方が「石清水八幡宮」を名乗ることに
そしてこちらは「離宮八幡宮」という正式社号になった訳で
 
「離宮」とは、かつてこの地に嵯峨天皇の離宮(別荘)があったことに由来
 
東門
 
もう一つ惣門(南門)があったけど撮るの忘れたorz
 
鳥居
 
鳥居の扁額は藤原行成筆
 
行成さんは「光る君へ」に登場する公卿
 
離宮はいくつかあり、ここは「河陽宮」と呼ばれる
 
「製油発祥地」の碑
 
平安期に当社の神官が荏胡麻油の製造を始めたことから、日本の製油発祥の地に
 
油売りで繁栄し、江戸期には「西の日光」と呼ばれる程の広大な境内と壮大な社殿を有した神社に
 
その後、菜種油の製造が広まると共に衰退(悲)
 
幕末に長州vs幕府軍の戦に巻き込まれたり、明治期に東海道線敷設の為に境内の一部を収公されたりして境内は縮小
 
中門
 


拝殿
 

本殿
 
本殿の中を覗くと、油の一斗缶が奉納されておった
 
 
そんなこんなで、猛暑の中の神社巡り終了(疲弊)
 
レンタカーを返却し
JR山崎駅から京都駅へ
 
新幹線内で打ち上げ(ノ^^)ノ
 
今回も東京では待ってくれている人がいました(〃∇〃)

 

 
今回の御朱印